OMソーラーについて

OMソーラーの歴史

OMの生みの親

OMソーラーは、建築家・奥村昭雄が考案したしくみです。奥村は、建築物を環境との応答という関係から考える建築家でした。 奥村は「自然の一部としての人間のあり方=パッシブ」は次世代の暮らしへの提案で、まだ未完成ながらOMソーラーはその答えの一部であると考えていました。そしてOM研究所所長退任の挨拶でこのように述べています。「OMソーラーの完成と、次世代の主流の考え方の中に実証していくことを、次の人たち・・・ここにいる皆さんに頼みたいと思います。」私たちOMソーラーに取り組む一人ひとりが、この言葉を心に刻み、歩んでいます。

奥村 昭雄

奥村 昭雄AKIO OKUMURA

1928年東京生まれ。1952年東京美術学校建築科卒業。
吉村順三設計事務所を経て、東京藝術大学名誉教授。2012年没。

【著書】
「奥村昭雄のディテール 空気・熱の動きをデザインする」(彰国社)
「パッシブデザインとOMソーラー」(建築資料研究社)
「暖炉づくりハンドブック」(建築資料研究社)
「時が刻むかたち」(OM出版)
「樹から生まれる家具」(OM出版) 他

あゆみ

OMソーラー株式会社は、1987年、静岡県浜松市で誕生しました。
誕生までには、考案者・奥村昭雄を中心とするさまざまな試行錯誤がありました。
ここに、その技術と組織のあゆみをご紹介します。

ストーブで温めた空気を床暖房に利用した星野山荘(1973年)ラフスケッチ
ストーブで温めた空気を床暖房に利用した
星野山荘(1973年)ラフスケッチ

技術のあゆみ

太陽の熱を空気で運ぶOMソーラーシステムが生まれる前、奥村昭雄によって快適な室内環境づくりは様々試みられていました。窓を二重にして、その間に空調の排気を流したり、ポット式石油ストーブで温めた空気を床暖房に利用したり。
太陽の熱を使った最初のシステムも、空気ではなく水で熱を運ぶものでした。OMソーラーシステムの原型である空気集熱式ソーラーシステムが試みられたのは、1979年のこと。ここから約8年、奥村と建築家や研究者が実験や研究を繰り返し、1987年OMソーラーシステムは生まれました。

量産型ハンドリングボックス誕生(1987年)
量産型ハンドリングボックス誕生(1987年)

組織のあゆみ

きっかけは1982年、奥村と浜松の工務店(マルモ中村住宅)との出会いに始まります。マルモ中村住宅は奥村にこれからの家づくりのヒントを予感し企画を依頼、1986年、「現代民家」とうたわれた民家の表情を持ちながら空気集熱式ソーラーシステムが導入されたモデルハウス「浜松・天竜川モデルハウス」が完成します。
1987年、完成見学会に訪れた来場者は1000人を超え、共同通信を通じて全国の地方紙に取り組みが掲載されました。この記事が各地の地域工務店の話題を呼び、全国の地域工務店をたばねる運動となります。
1987年2月、マルモ中村住宅のメンバーが中心となり「OMソーラー協会」(現OMソーラー株式会社)設立、同時にソーラー研に参加していた主要な建築家らによって「OM研究所(所長・奥村昭雄)」設立。ここから私たちと工務店の連携はスタートし、現在も続く独自の体系をもつ組織に繋がっています。

浜松・天竜川モデルハウス(1986年)
浜松・天竜川モデルハウス(1986年)

現在

現在、OMソーラーは、住宅約27,000棟、施設建築約750棟に導入されています。
私たちは、120社を越えるOM会員工務店に向けて、技術の普及と品質維持向上のためのしくみづくりをしています。奥村の求めたパッシブ住宅と、気候風土や習慣に明るい土地に住む地域工務店の家は、いづれも環境負荷が少なく省エネルギーな家づくりをする上で共通点が多いもの。OMソーラーは、これからも将来にわたって快適な家づくりを支えていきます。

名前の由来

OMソーラーは、奥村のOとマルモ中村住宅のMから名付けられました。その後、奥村の希望からOMの「O」は「おもしろい」、「M」は「もったいない」ということに変更されましたが、自身の著書の中で奥村は名称と技術の性格から次のような言葉を残しています。「OMソーラーという名前が付いたときから、この技術は私の手を離れてひとりで走っている。大きなデザインの樹になって、たくさんの多様なデザインの花が咲くことを期待している」。

Omoshiroi=自然と向き合うとおもしろい  Mottainai=自然を活かさなきゃもったいない!

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