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北海道富良野市・大島さん
1999年11月築

『大自然と、雪と、きれいな空気』を求め、大島さんご夫妻が東京から北海道・富良野に移り住まれたのは、4年前。
今ではこの地にしっかりと根をおろし、仕事の都合で月に一度、3日ほど東京に行く以外は、家の前に広がる畑に精を出す、そんな憧れていた毎日を送られています。
大自然を感じられるところで暮らしたい。
建物全景。農業用の小屋もある。
東京で土壌環境の機器を製造販売する会社を経営されている大島さんご夫妻。経営の後身を育てるため、思い切って現場を離れ、緑や土、水といった自然を相手にできる北海道に移転しました。以前から“土や緑に触れたい”という思いをずっと抱いていたといいます。
また、奥さまはぜんそくという病気のため、人込みが辛く、空気も悪い東京での生活から、“少しでも空気のきれいなところに住みたい”というお気持ちが強くありました。
こうした「大自然を感じられるところで暮らしたい」というお二人共通の願いから、田舎暮らしの具体的な計画が始まりました。
寒く、雪があるところを求めて。
大島さんご夫妻の田舎暮らしへの第一歩は、まず、大きく日本のどのあたりに移り住むかの検討からでした。お二人があげた第一条件は、「寒くて、雪のあるところ」。趣味のスキーは、海外へ滑りに行くこともあるというほど。福島や岩手、北国の情報を集めながら、自分たちに合う地域を探していきます。
2階。奥にはお客さま用の寝室がある。
木を現して、ログハウスの雰囲気に。
そんな中、スキーで北海道を訪れた際、たまたまテレビドラマ「北の国から」の再放送を見て富良野に「麓郷」というところがあるのを知り、早速、行ってみることにしました。360度見渡す限り、どこまでも続く真っ白な風景に、思わず“あー、いいなあ!”。「まさしく心が打たれました」と奥さま。
「富良野に出会ったのは、ちょうどバブルが弾けた頃でした。東京では毎晩遅くまで仕事が続き、心身共に疲れていました。だからなおさら、その情景が心に入ってきたんでしょうね」と旦那さん。お二人にとって、この麓郷との出会いは、たいへん大きなものになりました。
人の匂いがする「麓郷」
こうして、地域は北海道・富良野と決まりました。今度は土地探しです。「実は、これが一番苦労しました」と、なかなか気に入った土地に出会えなかった土地探しの日々を、大島さんご夫妻は振り返ります。
土間のある玄関は、泥が付いたまま帰ってきても大丈夫。
「地元の不動産屋さんに行きましたが、情報が十分ではありません。そして、自分の足で歩いて『買える土地がない』ということが、あらためてわかったんです。特に富良野は農村地域で、一般の人が購入できる宅地が少ない。また、あったとしても売れていない土地なので、環境が悪かったりする。こちらも自分たちが欲しい情景が固まっていたから、譲れないし…。しかし、大変だったけれど、とにかく情報が入ればその土地へ行って、自分たちの目でひとつひとつ吟味していきました」
土地を探して約4ヵ月。その間、月に2回は北海道を訪れ、役場や地域の不動産屋さんを訪ねたそうです。自由に動けるようにとトラックも購入して、「雪山が見えるところ」という、自分たちのイメージに合うところをひたすら求めました。
お風呂場からの眺め。
そして最終的に、候補地は、色鮮やかな絨毯のような畑が続く町「美瑛」と、富良野岳麓の雑木林が続く「麓郷」に絞られました。「美瑛も魅力的でしたが、きれいな景色はたまに見に来ればいいかなと思い、麓郷に決めました。美瑛は少しきれいに整備され過ぎているところがあるんです。逆に、麓郷は地域の人のつながりが強くて、『人の匂い』がする。何回か足を運ぶうちに、土地は決まっていなくても、『この辺がいいな』と、直感が確信へと変わっていきました。」
勉強や体感を通して、次第に惹かれていったOMソーラー。
リビング。リビング上は大きな吹き抜けとなっている。
階段。
さて、OMソーラーとの出会いは、土地探しをしている時に見た新聞広告でした。
「林の中に建つ建物の写真を見て、三角屋根のその雰囲気が、自分たちのイメージとちょうど合ったのです。実は、OMソーラーシステムというよりは、絶対にこういう建物にしたい、と思ったのが、その出会いの最初だったんです。」
その後、OMソーラーの、太陽熱で暖房するという低エネルギーなシステムにも興味を持ち、ホームページや資料で勉強。東京にある会員工務店の見学会へ何度か足を運び、OMを体感することで、そのしくみにもどんどん惹かれていったといいます。
そして、北海道の会員工務店に設計・施工を依頼。東京と北海道と離れている分、FAXや電話でこまめに連絡をとり、詳細を詰めていきました。
マイナス30℃にもなる冬。
1階中央のストーブで、冬場はかなり暖まる。
こうして、1999年の11月、大島さんご夫妻の北海道の家は完成しました。暮らし始めて4年目を迎えます。「暮らしてみていかがですか?」という問いに、引っ越しをする際、友人からもらった「北海道には3年住まないとわかんないよ」という言葉の意味が、今、あらためてわかったと、旦那さんは話します。
「引っ越しをした年の年末、かみさんが熱を出して寝込み、自分も体調を崩してダウン。新年から二人揃って寝込んでしまったんです。引っ越しやら、バタバタしていたことが重なったこともありますが、その時初めて『もしかして、この土地が合わないのでは?』と思いました。幸い近くに住む友人が病院に連れていってくれて、助かったんですけどね。」
しかし、考えてみれば、冬場の気温がマイナス30℃にもなる地域。東京での生活に慣れたものにとっては、想像もつかない世界です。外に行く時、手袋を忘れて、手がしびれてしまったことも何度か。旦那さんは、春まで手足がしびれていたそうです。
東京と北海道、という大きな環境の違いに慣れるために時間が必要でしたが、今では、だいぶ土地の気候にも慣れました。「ぜんそくも、ほとんどおこらなくなりました。東京に戻ればぜんそくがまた出るので、空気の違いは明らかだと思います」と奥さま。
家の横に広がる畑。
現在の大島さんご夫妻の生活は、仕事がある時は東京へ、それ以外は家の仕事が中心です。家の横に広がる500m²の畑では、アスパラガスやトマトなどの野菜を育てています。畑仕事、小屋の整備と、仕事はいくらでもでてくるとか。「見られる状態に仕上げるには、まだまだ時間が必要なんですけれどもね」と、笑顔で説明してくださいました。
大切なのは、人とのコミュニケーション。
2階の仕事机。窓の外に広がる畑が見える。
「車があるのでどこにでも行けて、生活の不便さを感じたことはありません。インターネットで本も買えますしね。また、去年は町内会の事務局の仕事を任されて、大変な1年でした。でも、おかげでより多くの人に出会えました」
北海道は、ご存知の通り開拓地。ほとんどが本州から来た人ばかりで、みんなが「よその人を受け入れる思いをもっている」とか。特にこの麓郷地域はその思いを持つ人が多く、たいへん親切に接してくれるそうです。大島さんも、工事中、まだ建物が完成していないのに、会長さんが町の新年会に呼んでくれたこともありました。また、上棟式には地域のほとんどの人が集まってくれたそうです。
「やはり重要なのが、地元の人とのコミュニケーションです。私たちもそこは一番懸念していたことで、とにかく『まずはあるがままでいこう』と、妻と相談して決めていました。食や住まいなど、できることは自分たちでやり、付き合いもできる範囲で。無理に入っていくのではなく、あくまで自然体。都会っぽさが抜けなければ、そのままでもいいと思います。そのうちに変わるでしょうから。そんなスタンスで自分達が等身大だから、今、地元のみなさんともいい関係が築けているのではないでしょうか。」
大島さんご夫婦
移り住んでくる方の中には、地域とのコミュニケーションを避ける人もいるそうです。しかし、そこで暮らしていくのですから、人とのつながりは切っても切れないもののはず。細かいところは気にしない、ざっくばらんなおおらかさが北海道の人のよさです。小屋のシャッターが開いていたら、閉めてくれたり、旬の野菜を玄関に届けてくれたり。最近では、名前がなくても誰がトマトを届けてくれたのかが、わかるようになったそうです。
東京では味わうことができなかった、自然の素晴らしさ、人とのつながりの中で、豊かに時を過ごす大島さんご夫婦です。
「こちらにきて、農家の厳しさを初めて知りました。のんきに景色がいいからという理由でこの地に移りましたが、時間を惜しんで働いておられるのに、なかなか生活は楽にならない姿を見ていると、とっても悪い気がします。現実的に離農される方が今年も何軒かありますし。この地で生活していくことのたいへんさを感じました。ただ、そうした現実を、文字でも映像でもなく、自分の目で知ることができたので、お役に立てることがあれば少しでも力になりたいと考えています。」