History

カツセマサヒコ30年史
村田カツセ
誕生1986

カツセマサヒコ 誕生

東京都杉並区に、カツセ家の次男として生まれる。名前の候補の中には「虎二郎」もあったらしく、数年後に「二択で悩んだ」と説明されたときは両親のネーミングセンスに引いた。

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村田さん 幼少期のカツセさんって、どんな子だったんですか?
カツセ よく寝て、よく笑い、あと、よくヨダレを垂らす子だったと言われました。
村田さん ……今とあんまり変わりないですね?
カツセ (えっ、まさか仕事中に寝るときヨダレ垂らしちゃうからってタオル敷いてること、バレてる!?)
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3rd1989

幼稚園に入る。ゴジラがめちゃくちゃ好きだったが、初めて映画館で『ゴジラVSビオランテ』を観て号泣する。

6th1992

小学校に入学。入学式のクラス集合写真で「かめはめ波」のポーズを決め、保護者の間で話題になる。学年で一番足が速かったので、人生でいちばんモテる。

7th1993

クラスで一番足が速い程度まで脚力が落ちる。モテなくなる。

8th1994

すっかり運動しなくなり、文科系の道に進む。周りが「遊戯王カード」や「ハイパーヨーヨー」に目覚めていくなか、ガンダムのプラモデルを作り続ける。特に「SDガンダム BB戦士」シリーズが気に入っており、「大将軍だけ高くて買ってもらえない」と嘆いていたが、実際は「超機動大将軍編」から「天星七人衆編」までは、ほぼ全商品を購入。親の脛をかじりまくっていた。ちなみにプラモデル全般は、中学入学と同タイミングで突然飽きてしまい、今では実家に最後に購入したものと思われる「テムジン(電脳戦機バーチャロン)」が未開封のまま放置されている状態である。

10th1996

好きな漫画の影響でバスケットボールを始める。

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村田さん 「スラムダンク」を見て、バスケットに目覚めた世代だったんですね。
カツセ いえ、僕は『DANDANだんく!』派でした。

©とだ勝之/コミックボンボンKC/講談社
※絶版の為、現在ご購入いただけません
村田さん なんですか、それ……?
カツセ 小学生は当時みんな『コロコロコミック』(小学館)という漫画雑誌を読んでいたんですけど、僕はクラスでひとりだけ『コミックボンボン』(講談社)派だったんですよ。そこで連載されていたバスケ漫画です。
村田さん カツセさんがあまり友だちのいないタイプってことはわかってきましたね。
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12th1998

父親が買ってきたCDを聴き、Mr.Childrenのファンになる。

13th1999

都内の中学・高校一貫校に入学。始業式に出席したら周りに男子しかいないことに衝撃を受ける。母親いわく「自ら志願していた」とのことだが、記憶にない。

14th2000

インターネットでポエム投稿サイトを見つけ、ここから約5年間、ほぼ毎日ポエムを投稿し続ける。ほかの投稿者にはコメントが1~2個付けば良しとされるほど過疎化したサイトにおいて、常に10件近いコメントが付き続けたことで自信が付き、どんどんインターネットにハマっていく闇時代の到来。このまま引きこもりになるか……というタイミングで、サイトが閉鎖し、危機を脱した。

15th2001

ラジオに夢中になり、部屋に閉じこもっている日が増える。好きな番組は「やまだひさしのラジアンリミテッド」(東京FM)。ポエム投稿サイトに夢中になったタイミングと同時期だったこともあり、番組公式のネット掲示板に貼りつく日々を過ごす。当時の掲示板運営者だったウェブマスター「ag(アグ)」さんには頭が上がらず、彼女が引退を表明したときはパソコン上で号泣。パーソナリティのやまだひさしさんを現在でも崇拝しており、「あの巻き舌の『ラジオは習慣です』が大好き過ぎた」と頻繁に語る。しかし番組の時間が水曜日の深夜帯に変更されると、「眠いから」という理由で聴かなくなる薄情さを見せつけた。

16th2002

高校に入学。初めて彼女ができるが、9カ月付き合った末に「友だちにしか思えない」と言われてフラれる。翌日、ひとりで鎌倉の海を見に行き、aikoを聴きながら泣いていたらカモメに糞を落とされる。

18th2004

予備校に通うようになり、「同じ教室に女子がいる」という空間に毎日焦る。好きな人とセンター試験の合計点がまったく一緒という偶然が起き、「奇跡!」と言い続けた結果、その人とは音信不通になる。

19th2005

大学に入学。モテたい一心で軽音楽サークルに入る。仲良くなったメンバーにベースがいなかったので、ベースを担当することになる。

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村田さん どんな音楽をやっていたんですか?
カツセ 最初にやったのがTHE YELLOW MONKEYの「プライマル。」でした。ベースが簡単なので。あとは、The Cardigansも、ミスチルも、凛として時雨も、Donny Hathawayも、DJ OZMAもやりました。全部カバーですけど、なんでもやってましたね。
村田さん ……どうでもいいですけど、写真を見るに、かなり遊んでたんでしょうね。
カツセ そこだけは、本当にイジられたくなかったです。
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21th2007

就職活動開始。自己分析や企業研究のために友人と徹夜することもしばしばあり、人生でいちばん意識(だけ)高い日々を過ごす。当時の口ぐせは「ソリューション」と「モチベーション」と「イノベーション」。

23th2009

大学を卒業し、会社員になる。貯金して念願のひとり暮らしを始めるが、呼ぶ友人がいないのにゲームのコントローラを4つ買うなど、間違った方向に浮かれる。

24th2010

友人たちがmixiを卒業してTwitterでコミュニケーションを取り始めたので、ガラケーながらも、Twitterを開始する。

26th2012

仕事に嫌気がさして、土日にイベントなどを立ち上げながら、Twitterで通勤電車の悪口を言い続ける。フォロワーは300人程度。

28th2014

Twitterしながら書いていたブログがきっかけで、ライターに転職。
4万人の大企業から当時5人のベンチャー(編集プロダクション)に飛び込んだため、親族から怒涛の罵声を浴びる。

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村田さん どうしてライターになろうとしたんですか?
カツセ 書くこと自体は好きでしたし、mixi日記のころからたまに文章を褒められていたので、根拠のない自信もあったんでしょうね。後先考えずに飛び込んだところがありました。
村田さん 入社して、どんな仕事をしてたんですか?
カツセ Twitterばっかりやってて覚えてないです。
村田さん それってライターって言えるんですかね……。
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29th2015

Twitterのフォロワーが1万人を超える。

30th2016

9月に30歳を迎える。
Twitterのフォロワーが5万人を超える。
西軽井沢の宿泊型モデルハウス(クラスベッソ西軽井沢)を舞台にした恋愛web小説が話題となる。

現在

カツセマサヒコはTwitterが7万4千フォロワーとなり、原稿を書くかツイートをするかの日々を送っています。「Twitterがなくなったらどうするの?」という質問を受けるたびに脇汗をかいていますが、歴史をご覧いただいてわかる通り、これまでの人生でも「ハマる→なんらかの理由で飽きる」を繰り返してきているため、Twitterがなくなったらまた何かハマるものを探していくのだと思います。OMソーラーの30年のように、「いままでも、これからも」と一つのことを続けるのは難しいと実感。それでも、とりあえず飽きるまでタイムラインと読者を賑わす文章を書いていきます。