住まい手の暮らし紹介

「30年後のふたりの息子たちへ」
長野県北佐久郡 H.Mさん

2万家族の「太陽と一緒の暮らし」コンテスト(2008年11月〜2009年3月) 応募作品より

30年後のふたりの息子たちへ

30年後、きみたちはどんな暮らし方をしているだろうか。

ちょうど、30年後のきみたちと同じ30代半ばの頃、お父さんはそれまでの東京での長時間会社滞在、マンション暮らしから、自分の信じる生き方に変えていこうと思い始めた。お父さんがどのような思いでこの家の設計を依頼し、みんなで暮らし始めてどう思ったのかを伝えておきます。

30年と1年半前、お父さんが16年勤めた会社を辞めて、北に浅間山が見える信州の小さな高原のまち、御代田町にみんなで移ってきたのは、単に「田舎暮らし」をしようと思ったからではない。

ちょっと難しい話をします。都市に住む私たちを農林水産業で下支えしてきた日本の地域のために何か役に立つような仕事がしたいと思ったからだ。それも都市と地域との両方の視点を持ちながら。ひとつの地域で暮らすことで全国の地域を理解できる眼、心を持ちたかった。しかし、都市の視点を維持するためには、同時に都市での暮らしも続けていかなければならない。それは都市での仕事を持続させることによってできないかと考えた。そのためには、単なる「田舎暮らし」をしてはならない。そうでないと、日本の地域と都市との理想的な関係を見出すことはできないし、両者を深くつなぐ自分の役割が見えてこない。

そんな生き方にふさわしい暮らしとして、たとえば森の中に木材やレンガをたくさん使った家に住むことによって自然と同化をはかる方法ではなく、地域の住宅地でソーラーシステムや燃焼効率の高い薪ストーブ、雨水タンク、家族が食べる分だけの菜園などを取り入れた家に住み、地域環境との共生を実践していく道を選んだ。

お父さんは社会人となってから、さまざまな人たちと出会う度に、“しごと”と人の生き方は一体だなぁと思うようになっていった。自分も地域の環境や暮らしの持続可能性をしごとの目的にするならと自然と職住一体の暮らしに行き着いた。

30年後のふたりの息子たちへ

しごととは、生計を立てるための業ばかりでなく、生きていく中での行為すべてだと思う。もちろん食事の用意だって、子育ても、そしてきみたちがいろいろ経験する遊びも大事なしごとだ。

家族全員のしごとを共に見守り、感じ合える家をつくりたかった。いまは、薪割り、菜園での野菜づくり、庭に花や樹を植えていくことなど、新たなしごとがどんどん増えていって遊んでいる暇も無い。いや、すべてが遊びなのかもしれない。何でも楽しくいきいきとやりたい。

家族がみな健康でいられるためにはまずは「食」が大事だ。そんな思いで、お母さんが毎日気持ちよく料理ができるように、家の中の一番いい場所に暖かいキッチンをつくったんだ。ちょっと大きめのアイランド型キッチンは、リビングのように家族やお客さんなどみんなが自然と集まる場所にするためにね。

30年後のふたりの息子たちへ

よくキッチンから食卓に料理を運んでくれたりお手伝いをしてくれるけれど、お父さんはそういうことが大事だと思っていた。だからとても嬉しいんだよ。

食卓では、春から夏にかけては縁側の先にある25坪程の菜園を見ながら、採りたての新鮮な菜っぱや、トマト、きゅうり、とうもろこしなどを食べては、畑の話、旬の美味しいものの話、今日の出来事、明日の天気の話をしたりするのが楽しいね。しかもこれで農地や、作物と天候の関係なども考えられる気持ちが持てるんだ。

秋や冬も、薪ストーブの火を見ながら、その上で重い鍋でゆっくりゆっくり煮込んだ料理を食べたりして、ストーブの火の加減の話や、やっぱり美味しいものの話をする。無意識に、林業や木質バイオマスエネルギーなどについての感覚と想像力も持てるように。でもなんといってもみんなで美味しく楽しく食べることが一番。それが人の絆を深めていくと信じている。

天気の話は、この家では大きな関心事。菜園もそうだけれど、家も気候や空、土を感じさせてくれるようにいろいろ考えてつくった。それが予想以上だった。

30年後のふたりの息子たちへ

晴れの日。ここは標高が800メートル以上。朝はしばしば霧が出ることも多いけれど、じきに晴れて日が当たりはじめると夜冷えた屋根が急に伸びを始める。こんな時は「ポン」「カン」と音を立てて、家も喜んでいるようで嬉しい。全面を真南に向けた屋根によって太陽の熱を余すところなく捉える。勾配は約25度。理想の30度に比べて効率は99%近く確保されているらしい。この勾配のおかげで、雪が積もっても少し晴れ間が出たとたんにざざーっと一気に落ちて、すぐに家を暖め始める。父は、うちの屋根は機能に裏打ちされた美しさがあると思い込んでいるんだ。

晴れればOMソーラーの出番。真冬でも日が暮れるまで暖房はいらないほど床下を暖かい空気で満たしてくれて、なおさらに、ほぼ3シーズン、300リットルの水を1日でお湯にしてくれる。実を言えば、環境問題よりも、独立後の経済的不安感を和らげてもらっていることが一番有り難い。自分たちの生きていく基盤を固めることで、チャレンジしていくための勇気がもらえる。

OMソーラーは、太陽光発電とは対照的にあまりにも単純な仕組み。けれども、技術の日進月歩に一喜一憂しない円熟の域とも言える装置機械と、社会環境に左右されない“家産家消”さがとても気に入っている。きっと、30年経ったいまでも、ちょっとしたメンテナンスだけで、効率を落とさずに変わらず稼働してくれているんじゃないだろうか。

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この太陽の力を身近に感じることができる家で、きみたちは太陽がいったいどのぐらいの力を持っているか、太陽のこと、不思議さをもっと知りたくなったりしなかったかい?

お父さんは、太陽のことをちょっと調べてみたことがあるよ。燃えさかる寿命は現在の予想では100億年以上とか。太陽は、太陽系の惑星すべてを足し合わせた重さの1000倍もあるとか。太陽は核融合が進み、どんどん明るくなっているとか。人は太陽からの恵みをもっと上手に活かしていくことができれば、エネルギー問題も解決できるんじゃないか。30年後には当たり前のこと?

曇りや雪の日には、本当に屋根の温度はまったく上がらない。こんな時もまた太陽の大きさを知る。寒ければ、仕方がないな、と言いつつ、薪ストーブに火を付ける。実はお父さんはこれも楽しいんだけれど。薪も、木が光合成によって2~30年かけて大気から炭素を取り出し、たっぷり蓄えてくれた太陽の恵み。薪ストーブをゆっくりと炊きつづけることで、周りにあるものすべてをやんわりと暖めてヒーター化させてしまう輻射熱に、父はいつも不思議さを感じている。“薪ストーブのような人”になりたいものだね。空気の対流を考えた家の構造と、高い天井に延びる長い煙突のおかげで、やがて、温められた空気は2階の子ども部屋と寝室にも昇り、家全体を暖気に換えてくれる。

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もうひとつ、感心した薪ストーブの知られざるパワー。下部にある空気の取り込み口近くには、家中の綿ぼこりが吸い寄せられている。薪ストーブはOMソーラーと同じく換気機能があるとは聞いていたけれど、そのすごさに驚いた。

30年後のふたりの息子たちへ雨の日だって、嬉しい仕掛けをつくってあるでしょ。ガレージの屋根に降った雨が200リットルの雨水タンクをちょろちょろと満たしていく。晴れた日、暑い日に、花木に水をたっぷりあげられると、お母さんも満たされる。

真夏は、実は高原でも日中は日差しが強くて結構暑いよね。でも窓からの風を家全体に通すと、クーラーは一台も無くたって平気でしょ。

引越して2週間もしないうちに、台風直撃があったのを覚えているかい?ちょうどこの家の完成試験にはなったけれど、あの時の暴風雨はすごかった。

30年後のふたりの息子たちへ

どれくらいこの地域ではまれにみる激しさだったかはその後3日間つづいた停電でわかった。あちこちの林で木が倒れ、風倒木が電線を立ち切った。しかし、不謹慎だがおかげで非電化生活を体験する機会と、3年分の薪が確保できた。

毎晩が正真正銘のキャンドルナイト。小さな灯りを囲んでの静かな夕食にじわっときていた。意を決して退職し、新天地にやって来ることに自分でも無意識ながら緊張が続いていたのだと思う。お母さんがかつてモンゴルを旅した時に見たという「満天の」に近い星空は、大げさに言えば、地球にいることを意識させられた。モノの多さや便利さではない暮らしの豊かさ、安心さなど、いろいろ考えさせられた。

30年後のふたりの息子たちへ

それから、気候風土を感じさせてくれるということに加えてもうひとつ。キッチン・食卓スペースと対称的な位置にある、ワークスタジオと名づけたスペースに、職住一体の暮らしへの思いを込めた。ワークスタジオは、世の中では書斎やSOHO(スモールオフィス・ホームオフィス)スペースという捉え方になるのかもしれない。でも父は、書斎でもオフィスでもない、家族みんなが“ワーク”できる場をつくろうとしたんだ。お父さんが独立して始めた小さな会社の仕事場でありながら、きみたちやお母さんもここで本を読んだり、絵を描いたり、工作をしてもいい場所にしたかった。ある時には、ちょっとした写真撮影スタジオになったり、またある時には、モニタ用スピーカからの“音”をじっと聴く音響スタジオになったり、仕事上の打ち合わせや共同作業のためのスペースであったり、さまざまなワークスペースになる。

30年後のふたりの息子たちへ

ワークスタジオは、棚で周りをぐるりと囲んだ中央の階段室によって生活スペースと緩やかに分離されながらも、ここでのしごとの様子を家全体で何となく感じられるようにしてみたんだ。和やかに、笑いながら仲間と打ち合わせをする時も、一心にパソコンモニタに向かい合い寝食も忘れてやらなければならない時もあるんだということがやがてわかったでしょ?

私たち家族の暮らし方を自然に表現したこの家。幼いきみたちの心に焼き付けられてゆく、さまざまな光景。

30年後、きみたちはどんな暮らし方をしているだろうか。きみたちも太陽の恵みと家族のありがたさを感じながらきっと幸せに暮らしていることだろうと父は願っている。

H.M. 2009年春