vol.30 北山 恒 さん(from DANCE)architecture WORKSHOP、横浜国立大学大学院教授

1992年10月24日から1993年3月6日までの135日間、渋谷の街のなかに蜃気楼のように存在した。(撮影/鈴木教雄 (C)商店建築社)1992年10月24日から1993年3月6日までの135日間、渋谷の街のなかに蜃気楼のように存在した。
(撮影/鈴木教雄 (C)商店建築社)

DANCEという名前からビナ・バウッシュ、ウィリアム・フォーサイス、田中泯、勅使河原三郎などを連想した。(撮影/鈴木教雄 (C)商店建築社)

DANCEという名前からビナ・バウッシュ、ウィリアム・フォーサイス、田中泯、勅使河原
三郎などを連想した。(撮影/鈴木教雄 (C)商店建築社)

農業用ガラス温室。床はコンクリートブロックを平置きにしてサンポットで温風を吹き込む床暖房とした。(撮影/鈴木教雄 (C)商店建築社)

農業用ガラス温室。床はコンクリートブロックを平置きにしてサンポットで温風を吹き込む床暖房とした。(撮影/鈴木教雄 (C)商店建築社)

1989年にベルリンの壁が崩壊し、世界は資本主義の独裁が始まる。その年、伊東豊雄が「資本の海に浸らずして新しい建築はない」と、この世界状況に覚悟を示す文章を書いている。本当にその後20年間、資本の暴走が世界の様相を変え、建築もそれに従った。1992年、日本の経済バブルが崩壊した直後、渋谷の東急本店のはす向かいラブホテル街の雑駁な通りに入る角にその建築はあった。

「建築は農業用のガラス温室を利用した仮設的なレストランである。そこでは時代精神を語るシンポジウムが定期的に開催され、実験的な音楽、演劇、アートパフォーマンスが展開された。レストランの利益がシンポジウムの運営やアーティストに還元され、場所代のいらない小さなホールとして利用された。中で行われる行為は道行く人がのぞき見、また逆に中にいる人は街を見ている。形をつくるという建築家としての自己表現を放棄しながら、ある状況を生成することを行った。from DANCEという運動感覚を含むこのプロジェクトは、建築という領域を〈状況〉のレベルにシフトさせるものである。空間を経験する人は建築家が意図するようには読み取らない。読み手は空間にある事物を総体として受け取る。建築は空間の提示だけでは完成しない。・・・from DANCEで使用したガラス温室は白州の舞踏家、田中泯のダンス・ワークショップに移設した。」(『領域を超えて』北山恒1993)ガラス張りの温室なので文字通り公開されているのだが、聴衆はまばらだ。ラブホ帰りのカップルが注意も払わずに通り過ぎるなかで、生真面目な議論が展開されていた。伊東豊雄(建築家)、陣内秀信(建築史)、塚原史(現代美学)、一柳慧(現代音楽)、勅使河原三郎(舞踏)、など。時代のエッジを切り取ろうとする人々が参加していた。

資本に抗うように、新しい建築概念=運動体をつくろうとしたのは「ワークショップ※」という3人の建築家のチームである。このプロジェクトの企画、資金調達、業態開発、運営すべてを行った。利益はすべて参加者に還元され、主催した彼らは若干の赤字だった。そして、このプロジェクトを最後に解散した。

※横浜国立大学の同級生の木下道郎、谷内田章夫と3人でつくった設計事務所