vol.29 元倉 眞琴 さん(スタジオ建築計画)|ヒルサイドテラスと私

1969年のヒルサイドテラス(撮影:新建築社写真部/建築・空間 デジタルアーカイブスコンソーシアムの許諾を得て掲載)1969年のヒルサイドテラス(撮影:新建築社写真部/建築・空間
デジタルアーカイブスコンソーシアムの許諾を得て掲載)

2015年のヒルサイドテラス(撮影:元倉眞琴)

2015年のヒルサイドテラス(撮影:元倉眞琴)

2015年のヒルサイドテラス(撮影:元倉眞琴)

 

大学4年生のとき、仲の良い同級生2人と一緒に渋谷で遊んでいたとき、「見に行こう」ということになり、当時はまだ田舎めいたところの残る町をゆっくりと上っていくと、やがて思いがけずに明るく開けた場所に着き、そこに四角い小振りの箱のような白い建物が2つ並んでいるのを見つけた。立正大学をデザインしたばかりの新進の建築家の作品を期待していた私には、あまりにもささやかなのが意外だった。建物もあまりなく、のどかな風景の中で場違いに広い旧山手通りのせいだったのかもしれない。それでもよく見ると、腰高のガラスの上にコンクリートの箱が乗っている立正大学と共通の表現や、メゾネットの住宅のリズミカルなファサードに「モダニズムの建築というのはこういうものなのか」と納得した。

これが私の「ヒルサイドテラス」との出会いなのだが、その後深く関わっていくことになるとは当然予想もしなかった。

大学院を出て、槇文彦さんの事務所のスタッフとして5年、最後の仕事がヒルサイドテラスD棟だった。古墳を残しながら一連の建築群のエンドを構成するものであった。

独立して飯田義彦さんと一緒に設計事務所を開くのだが、偶然できたばかりのヒルサイドテラスE棟に入れることになり、山本理顕さん、藤江和子さんの事務所と場所をシェアしながらずっとここにいることになる。その間、ヒルサイドテラスアネックスA棟、B棟を設計できたことは最高に幸運であった。

そして今、私の事務所は、最も好きなヒルサイドテラスB棟のメゾネットにある。

私は建築家としてずっと都市と建築、都市の住宅を追いかけてきた。それは多くヒルサイドテラスと代官山によって培養されてきたということができる。初めて出会ってから45年、私の建築家としてのほとんど全てがここにあったことに驚き、感動している。