vol.25 真壁 智治 さん(エム・ティー・ビジョンズ代表)

vol.25 真壁 智治 さん(エム・ティー・ビジョンズ代表)

みんなの家(設計:伊東豊雄、桂英昭、末廣香織、曽我部昌史)。

「建築と私」というお題を頂いた。

これまでの寄稿者の過半は、自身の建築観や暮らしから、思い入れのある建築の魅力を語るもので、対象も「完成された作品」が多いと感じた。しかし、私はいまだ考究と見届けが要る厄介な建築を採り上げてみたい。

伊東豊雄の呼びかけで実現した「みんなの家」(くまもとアートポリス東北支援「みんなの家」2011年10月竣工)がそれである。

「みんなの家」は被災した人たちが集い、癒し合う小さな場所となるもので、みんなで復興を考える拠点となること、みんなで作る建物となること、として震災直後に伊東より提案されたものだった。同時に、それは建築家としての伊東が普通に暮らしてきた人たちの思いに立ち返り、建築とはナニか、を強く自問する契機となったものでもあった。

ここでハタと私は気付く。トコロデ「みんなの家」ッテ「建築」ダッタッケ。この気付きはとても真っ当なものだ。

確かに「みんなの家」は多くの建築家に混乱と不信を与えることとなった。

「これは建築家の仕事なのか」、「一方でアルゴリックな作品を作りながら、一方で普通の住宅然とした『みんなの家』を作る。これは明らかな伊東の矛盾ではないのか」、「なにをいまさら『脱近代建築5原則』だ」等々。

更には、かつて磯崎新(「八田利也」というペンネームにて)が挑発的に発言(「小住宅にバンザイ」)した「住宅は建築ではない」に、まさに符合するような建物の眺めに「みんなの家」は在ったことも事態をややこしくさせていた。

いずれにしても「みんなの家」は「完成された作品」とは云い難い建物に映ったには違いない。

しかし、磯崎が揶揄気味に採り上げた「住宅」とは、「みんなの家」の持つ異様な程の大らかさ、空っぽさからすると、そこでの住宅という枠組みからは疾うにはみ出す存在の建物のように思われる。つまりは磯崎の云う「住宅」とは範疇が異なるものである。

「みんなの家」は「住宅」の姿を借りた「建築」、という観測が穏当なところだろうか。

しかし、この様な厄介さを含むのも「みんなの家」にも問題があった。

復興への道筋として提案された「みんなの家」ではあったが、そうした建物が担うべき建築的命題が希薄だったように思うのは私だけだろうか。

それは被災者が各々の「私」に繋がる多くのものを失った状況で集ってゆく建物が持つべき「建築の臨床性」というべき建築的命題ではなかったか。

「みんなの家」は、普通の人の暮らしに立ち返った建物の側面がエキセントリックに喧騒されたが、本来は臨床性を発揮する建物としての働きを科学として計画し、その成果を検証してゆく絶好の機会(建築的命題)としての方がはるかに建築的意義は大きい。厄介な建築とは、その様な余地を含んでいる、という意味に於いてだ。

「みんなの家」は、臨床建築としての新しいジャンルの端緒を開いたプロブレマティックな建築、として私は受けとめている。