vol.20 手嶋 保 さん

vol.20	手嶋 保 さん

伊部のアトリエ
3階ヴォールト天井には木製のリフレクターにより反射光が反映される。中央のスリットは通気口。(撮影:西川公朗)

山間僻地で生まれ育ったため、いわゆる名建築などというものには学生になるまで縁のない生活だった。今にして思えば、木々の葉や樹形、昆虫、山々や空の雲などの色や形が、後の「建築」に繋がって行く全てであり、子ども時代の私はそれらの様態に魅せられていた。例えば荘厳さや優美さのような感覚は書物を通じてではなく、自然から直に感じ取ったものである。

五年前のこと、備前の陶芸家、伊勢崎晃一朗さんの工房と住居を依頼され、伊部に赴いたのは初夏であった。生活や作品、作陶の工程について伺い、山の斜面に築かれた穴窯に案内された。身を屈めて入った煉瓦の仄暗いヴォールト空間や煙突、ひな壇状の上り床、初めて陶芸に触れた気がした。種々の対話や体験から、ゆっくりと空間のイメージは膨らんでいった。それは単純な形体ながらも内部は新鮮な光に満たされ、無限の広がりを持つ空間のイメージであった。作陶は自分にとって呪術―祈りであると言う言葉が今も記憶に残っている。建築もまた単なるモノではなく、その情念が空間に何らかのアウラを宿らせるようである。それ故に建築家は心身を健全にして愛情を持ち献身的に働かねばならないと思う。

その後、閑谷学校を訪れた。ランドスケープや建築が持つ静かな存在感―厳粛さと自由さ、そこが学校であること、関わった人々の精神性に深い感銘を覚えた。今思うとその後の伊勢崎さんのアトリエにも影響を及ぼしたようにも思う。

建築は私にとり未だ不可思議で困難なものだ。それに取り組むには、誤解を恐れずにいえば勇気と畏れがなければならないのだと思う。敬虔さ誠実さを見失わず、安易な近道を選ばない。与えられた場所や人との邂逅に意味を見出すことで自ずと導かれるようである。また、自然は決して人間に都合良くはならない。どのように祈りや呪詛を唱えようともありのままだ。幼少期、その有り体の素っ気なさにこそ本質を感じていた。自然の中で育った意味を今頃になって理解している。