vol.19 川口 通正 さん(川口通正建築研究所)

vol.19	川口 通正 さん(川口通正建築研究所)

宋廟(そうびょう)
広大な石畳と瓦屋根と列柱。この写真は2回目の宋廟を訪れた時に撮影したものだが、あっという間にソウルも近代化して、宋廟のむこうにビルが建っていた。(撮影:川口通正)

私は、1989年の夏、念願であった李朝建築文化の結晶である「宋廟」の前に立っていた。19間の間口を重厚な石積みの基壇と、壮大な瓦屋根、そして、朱塗りのエンタシスの列柱でつくりあげられた建築は、強靭(きょうじん)な存在感で、私に発信してきた。そして、予測の通り圧倒的な創造力で私の精神を揺さぶってきた。広大な石畳の上にひれ伏しそうな気持ちで「宋廟」の建築に魅了され、とても幸福な時間の中で、私に、決定的な感動と影響を与えた。私が、本格的に建築家として生き抜いていこうと思ったのは、ソウルにいた、この瞬間からだ。だから、私と建築の本格的な出会いは、やはり「宋廟」からといえる。私の長い間のあこがれの建築である。そのあこがれは、建築家故・白井晟一が朝日新聞、1977年1月19日夕刊に執筆した「日記から白井晟一・東洋のパルテノン」という一文を読んだことによる。その文章の書き出しは、こう書かれていた。「ソウルの昌徳宮にある宋廟(そうびょう)の建築は李朝歴代の王と王妃を祭るいわば、韓国のパルテノンである。その控えめだが、堂々たる偉容は、まさにパルテノンと呼ぶにふさわしい。」私はすぐに「宋廟」を見たいと思った。しかし、その記事が発表された頃の私は、建築家になるために悩み続けて、生活に追われる日々を送っていた。「宋廟」を見に行きたい気持ちを押し殺しながら、何年も悶々(もんもん)としていた。そんな私に追い討ちを掛けるように「宋廟」への気持ちを高める出来事が起こった。

1981年のある夜のことだ。代々木上原駅近くの居酒屋に入った時のことである。私の座ったテーブル席のすぐとなりで、建築家故・伊丹潤と建築評論家の綾井健の二人が、「李朝の建築」の出版記念をしていたのだ。私は、伊丹潤の顔を知っていたので、挨拶をした。そうしたら伊丹潤が、「今日はこれから出る『李朝の建築』の出版祝いをしている。君も仲間に入って、飲もう。」そう言って、突然、横に置いてあった、箱入りの厚くて、ずっしりと重い豪華本を取り出して、両手で、私にわたしてくれた。私は、少し戸惑いながら扉に韓紙の張りこまれた真新しい本の表紙を、恐る恐るめくった。はじめの見開きページは、写真家村井修撮影のコントラストが際立つ、美しい「宋廟」の写真であった。私は完全に、魅了された。その夜以来、「宋廟」への気持ちは頂点に達した。しかし、私が実際に「宋廟」を見たのは、それから8年後の夏であった。満を持すくらい募った気持ちを持って韓国ソウルを訪れた。白井晟一の「日記から」を読んでから12年が過ぎていた。私は37歳になっていた。