vol.18 泉 幸甫 さん(泉幸甫建築研究所)

vol.18 泉 幸甫 さん(泉幸甫建築研究所)

三方が回廊になっている池のある中庭に、恩師の彫刻が置いてある。(撮影:泉幸甫)

一応、建築学科は出ていたのだけど、実際に建築の仕事に関わるようになったのは28歳の時、相当に遅い建築家人生の出発だった。

大学を卒業しても何をしたらいいのかわからず、すぐに就職する気になれなかった。普通ならどこかに就職をし、社会の歯車の一つとなり一人前の男として生計を立てられるようにするものだが、人生で何をすべきか、まるで見当がつかなかった。でも本人はいたってまじめにこれからの人生をどう生きていくべきか相当悩んでいた記憶があるが、いずれにしろ、型にはまった就職、生活をする気になれなかった。その後に言うモラトリアムのはしりか。

その様な時に出会ったのが、28歳までお世話になった造形作家の小野襄先生だった。僕が初めて出会った本物の芸術家、文化人であった。造形作家であり、絵描き、彫刻家でもあり、数学者、思想家とでも呼べる幅の広い人だった。先生のアトリエには芸術作品がバランスよく整然と並べられ、本棚にも膨大な本が、それも整然と並べられキリっとして美しいアトリエだった。それは、それまで見たことのない芸術性と知性にあふれた世界だった。

そこで美しいものをたくさん見ながら、作家としての生活、物を作る時の真剣さ、鋭く社会を見、社会に流されずに距離を取る芸術家のプライドと怜悧さ、また、そこから生まれる思想と造形活動が一体のものとしてあることなど、多くのものを学んだ。

しかし、先生建築家ではなかったから、建築の専門的なことは何も学んだわけではない。それどころか、社会に出て直ぐに役に立つ何かを学んだかと言われればそれさえない。先生に学んだことが建築と結び付くようになるのはそのずっと後のこと、建築だけでなく社会に何かモノを存在させるときの哲学と言えばいいのか、そのような基本の基本に通じるものを教えていただいた、と今になって思う。

建築家になるために先生のもとを出て、建築家として一人でどうにかやっていけるようになるまでには、まだまだ相当の時間がかかり、また結構つらい日々を送った。しかし、若い時に先生のもとで学んだ事がその後に建築家人生の宝になったことは間違いないと思う。

ここに掲げた写真の彫刻は小野先生の作品で、最近僕が作った集合住宅の中庭に設置したものである。

圧倒的な存在感がある。完全に建物が負けている。取り付けた時、先生に負けた、と思った。いつの日か五分五分でもいいから太刀打ちできる建物を建ててみたいと思っている。