vol.12 林 美樹 さん

vol.12 林 美樹 さん

2年暮らしたBassano del Grappa. グラッパとパラディオの木造の橋で有名な小さな街。
(写真提供:林 美樹)

「イタリアでの経験は、今の仕事とどんな風につながるのですか?」と聞かれたことがある。もちろんつながっている。でも、どんな文脈で?

私が就職したのはバブルの泡が立ち始めた頃で、みんな競走馬のように脇目も振らず走っていた。しかし次第に組織事務所でのインテリアの仕事に物足りなさを感じ始め、自主研修との名目で渡伊したのは、1992年のことだった。

ヴェネチア建築大学に籍を置き、面白そうな授業に顔を出した。かの有名な建築史家タフーリ氏の授業も、テープレコーダーを片手に、欠かさず出席した。イタリア人にも難解といわれる講義。タフーリ氏はルネッサンスの歴史を読み解きながら、歴史を学ぶことは未来を知ること、新しい創造のためだと言う。しかしここでは、歴史を尊重しすぎるが故に新しい一歩が踏み出せず、身動きが取れなくなっているのではないか、そんな風に日本からきたばかりの私は感じたものだ。

ある日、Vicenzaにアンドレア・パラディオ賞の展示を見に行った時のことだ。その中で二人組のイタリア人建築家の作品が目に留まった。今となっては、名前も思い出せないのだが、山を背景に撮った美しいモノクロ写真はしっかり脳裏に焼き付いている。賞をもらうにはあまりに地味で平凡なその建築は、風景の中にずっと昔からあるようだった。常に他と違う目先の新しさを求め続ける、そんなものつくりとはちがって、風景とともに長い時間軸で存在しつづけようとする、そんな意思を写真から感じたのである。

帰国して数年後、独立し事務所を開設した。幸運にも腕のいい職人さんたちと出会い、私の仕事は常に彼らとの恊働によって進められる。日本の気候風土によって育まれた知恵や技術をないがしろにしてはいけない、自然に敬意を払い、自然に寄り添うことを忘れてはいないか、と自問しながら。今思えば、歴史書を紐解いたことよりも、イタリアでのちょっと不便な生活や、重たい歴史に縛られながらのゆっくりしたテンポが私の糧になったのは間違いない。