vol.7 高橋 堅 さん

vol.7	高橋 堅 さん

写真:ロンシャン礼拝堂(撮影:高橋堅)

邂逅、そして
初めてロンシャンの礼拝堂を訪れたのは、大学に入って間もない19歳の夏でした。

もちろん建築のなんたるか、まだその一端も理解できていない頃の話です。ただそこに行けば必ず何かが見つかるはずで、今まさにそれを見なくてはいけないのだという思いこみだけが、当時の私を急かしていました。

どこに行くのにもTシャツにサンダルという、若さゆえに許される出で立ちで方々を歩き廻っていた頃でしたが、この日ばかりはどこで調達したのか、柄にもなくジャケットを着込んで向かいました。ル・コルビュジエに対して何らかの儀礼をつくしたいという無意識の現れだったようにも思うのですが、今思えば無防備な身体を、そのままかの空間へ投げ出すことへの恐れが少なからずあったのだと思います。照りつける太陽の下、慣れないジャケットを着て汗だくになりながら丘を登り、眼前に現れた建築の異形に圧倒されるころには、すでに心ここにあらずであったのかもしれません。なんとか入り口まで辿り着き、一瞬の躊躇の後、おもむろに足を踏み入れたところまではよく覚えています。

不思議なことに、ひんやりとした空気を感じたあとのことを、今ではあまりよく思い出せずにいます。もちろんその後幾度となく見返した写真から、空間をイメージとして思い浮かべることは容易です。作品集を見ながらプランを何度もトレースし、何があの場所を生み出しているのかをずっと考えてきました。それでも身体感覚を伴った記憶のほうは、そのとき一切合切かき消されてしまったかのようなのです。これは今に至るまで最初で最後の建築的体験でした。

空間をありありと思い出せないことはとても残念なことではあるのですが、それでも霧消してしまった記憶と引き替えに、何かが自分の体を貫いたような感覚だけは強く残りました。言葉にすることは難しいのですが、それはぼんやりとした私の頭を覚醒させ、今も私の中に頑としてとどまり続けているような気がしています。そして恐らく、それが何であるのかを言い当てたいがために、今も私は建築にのめり込んでいるのだと思います。そしてその理由が、まがりなりにも理解できたと思えたときに、あらためてあの場所に身を置いてみたいと思っています。それを確かめることは怖くもあるのですが、またとても懐かしい感じがするのではないかとも思っています。そしてその得体の知れない力は、今また私を急かしているような気がするのです。