建築と私

  • vol.38 富永 讓 富永讓+フォルムシステム設計研究所
    <チッタ・ウニカ>海と土の匂い─ ヴェネツィアとフェズ
    vol.37 宮 晶子 「窓の魔法」

    ヴェネツィアの人たちは、自分の街を、世界でただ一つの都市〈チッタ・ウニカ〉といって自慢するのだという。1974年8月、パッラディオの建物を見るための、初めての海外旅行で立寄ったヴェネツィアは、類例のない美しさに満たされていた。
    (文/2017年7月現在)

  • vol.37 宮 晶子 「窓の魔法」
    vol.37 宮 晶子 「窓の魔法」

    独立間もない頃、イタリアのシチリアを旅したとき、建築家のカルロ・スカルパが改修したパレルモにある小さな美術館を訪ねました。
    (文/2017年4月現在)

  • vol.36 篠原 聡子 空間研究所
    vol.36 篠原 聡子 空間研究所

    科研の共同研究に誘ってもらったのをきっかけに、古い団地を見て歩くことになった。そのフィールドワークの道道、居住者の住みこなし、カスマイズに、ハッとしたり、納得したりする楽しみをもつようになった。
    (文/2017年1月現在)

  • vol.35 安東 陽子 さん 安東陽子デザイン
    vol.35 安東 陽子 さん 安東陽子デザイン

    人の生活を成り立たせる衣食住の場面でテキスタイルは広く活用されています。
    しかも、その存在をとりわけ強く主張することはなく、生活の中に自然に溶け込んでいるといえます。
    (文/2016年10月現在)

  • vol.34 妹島 和世 さん スカイハウス 妹島和世建築設計事務所
    vol.34 妹島 和世 さん スカイハウス 妹島和世建築設計事務所

    日本女子大学住居学科に入ってまだすぐの頃、上級生に薦められて図書館に建築雑誌というものを見に行った。そして驚いた。古い雑誌を見ていて、多分これは私が小さい時に写真で見て衝撃を覚えた建物だ、という建物に出会ったのだ。
    (文/2016年3月現在)

  • vol.33 小嶋 一浩 さん 大阪万博とセキスイハイム
    vol.33 小嶋 一浩 さん 大阪万博とセキスイハイム

    大阪と京都・奈良の府県境の中山間地の自然の中で、私は育った。
    小学校に入学した年には、川をダムのように堰き止めたところをプールにして泳いでいた。
    山の中でカブトムシやクワガタを捕っては買い付けにやってくるおじさんに売って小遣いを稼いでいた。
    (文/2015年12月現在)

  • vol.32 古谷 誠章 さん NASCA一級建築士事務所 早稲田大学教授
    vol.32 古谷 誠章 さん NASCA一級建築士事務所 早稲田大学教授

    人を弾ませる歓喜の建築
    建築に進んだきっかけと聞かれたら、何と言っても代々木の屋内競技場ですね。東京オリンピックの開催された年、僕は小学4年生でしたが、かなりワクワクしました。
    (文/2015年10月現在)

  • vol.31 西沢 立衛 さん(様々な建築や街)西沢立衛建築設計事務所 横浜国立大学大学院Y-GSA教授
    vol.31 西沢 立衛 さん(様々な建築や街)西沢立衛建築設計事務所 横浜国立大学大学院Y-GSA教授

    大学に入って、最初に覚えた建築はミースだった。
    当時は建築と言われてもよくわからなかったが、ミースが他と違うということはよくわかった。柱一本、ガラス一枚、すべてが誰とも似ておらず、独創性の塊のような建築だと感じた。
    (文/2015年7月現在)

  • vol.30 北山 恒 さん(from DANCE)architecture WORKSHOP、横浜国立大学大学院教授
    vol.30 北山 恒 さん(from DANCE)architecture WORKSHOP、横浜国立大学大学院教授

    1989年にベルリンの壁が崩壊し、世界は資本主義の独裁が始まる。その年、伊東豊雄が「資本の海に浸らずして新しい建築はない」と、この世界状況に覚悟を示す文章を書いている。本当にその後20年間、資本の暴走が世界の様相を変え、建築もそれに従った。1992年、日本の経済バブルが崩壊した直後、渋谷の東急本店のはす向かいラブホテル街の雑駁な通りに入る角にその建築はあった。
    (文/2015年5月現在)

  • vol.29 元倉 眞琴 さん(スタジオ建築計画)|ヒルサイドテラスと私
    vol.29 元倉 眞琴 さん(スタジオ建築計画)|ヒルサイドテラスと私

    大学4年生のとき、仲の良い同級生2人と一緒に渋谷で遊んでいたとき、「見に行こう」ということになり、当時はまだ田舎めいたところの残る町をゆっくりと上っていくと、やがて思いがけずに明るく開けた場所に着き、そこに四角い小振りの箱のような白い建物が2つ並んでいるのを見つけた。
    (文/2015年3月現在)

  • vol.28 田中 敏溥 さん(田中敏溥建築設計事務所)|その場所に似合っている家
    vol.28 田中 敏溥 さん(田中敏溥建築設計事務所)|その場所に似合っている家

    2枚の写真は、50年前、私が建築を学び始めた年の夏、岐阜と富山の県境にあった越中桂集落と山形の六十里越街道沿いにある田麦俣集落を一つの旅で訪ねたときのものである。
    (文/2015年1月現在)

  • vol.27 ロジャー・パルバース さん(羅須地人協会)作家・劇作家・演出家
    vol.27 ロジャー・パルバース さん(羅須地人協会)作家・劇作家・演出家

    話は私が初めて花巻を訪れた1969年に遡る。私の訪問の終点は宮沢賢治の生家だった。
    私は花巻駅に到着し(当時は東北新幹線がまだまだ走っていなかったのだけれど)、その家がどこにあるかを尋ねた。
    (文/2014年11月現在)

  • vol.26 隈 研吾 さん(隈研吾建築都市設計事務所)
    vol.26 隈 研吾 さん(隈研吾建築都市設計事務所)

    今、振り返ってみると、そもそも自分の生まれ育った家が「小さな家」であった。
    全体が小さくて質素であったという以上に、単位が小さくて、それがパラパラとばらまかれたような、パラパラハウスなのである。(文/2014年9月現在)

  • vol.25 真壁 智治 さん(エム・ティー・ビジョンズ代表)
    vol.25 真壁 智治 さん(エム・ティー・ビジョンズ代表)

    「建築と私」というお題を頂いた。
    これまでの寄稿者の過半は、自身の建築観や暮らしから、思い入れのある建築の魅力を語るもので、対象も「完成された作品」が多いと感じた。しかし、私はいまだ考究と見届けが要る厄介な建築を採り上げてみたい。(文/2014年7月現在)

  • vol.24 黒石 いずみ さん
    vol.24	黒石 いずみ さん

    1988年から1歳半の娘と夫婦で米国に計8年留学した。設計事務所を離れて大学院に進み、本格的に建築論やデザイン論の勉強をしたいと意気込んで渡米したのだった。しかし言葉の問題だけでなく、自己主張の強い研究者たちとの競争で楽しいことばかりではなかった。ローマ時代やルネサンス、19世紀の建築論を学べば学ぶほど、それがどう現代に、そして日本という異なる文化圏で意味を持ちうるのか考えた。自分なりに道を見出さなくてはいけないと感じていたけれど、無我夢中だった。(文/2014年5月現在)

  • vol.23 澤岡 清秀 さん
    vol.23	澤岡 清秀 さん

    ケルンの南約50km。ヴァヘンドルフの農地に立つ小さな塔状の礼拝堂。地主のシャイトヴァイラーは神と大地に感謝して、15世紀のスイスの隠者、フリューエの聖ニコラウス(ブルーダー・クラウス)にこれを捧げ、設計をペーター・ツムトーに依頼した。112本のトウヒ材をテント状に建てかけて内部の曲面型枠とし、外形の五角柱を形成する型枠の間に1層50cmずつ分厚くコンクリートを流し込み、1年かけて24層12m高の中空の塔を打設した。その後、木製テント内部で3週間木炭を燃やし、トウヒ材を乾燥収縮させてコンクリートから脱型したという。(文/2014年3月現在)

  • vol.22 トム・ヘネガン さん
    vol.22	トム・ヘネガン さん

    古い友達のように何度でも訪ねて行きたい建物があります。才知あふれるそれらの建物は私を明るくし、いつも新しい何かを教えてくれます。例えば、ル・コルビジェ設計のパリ救世軍本部や、ポンピドゥ・センター。安藤忠雄の光の教会。ザウアーブルッフ・ハットンのGWSビル。グレン・マーカットのほとんどすべての建物。そして、ローマにあるミケランジェロのカンピドリオ広場です。(文/2014年1月現在)

  • vol.21 安藤 和浩 さん
    vol.21	安藤 和浩 さん

    95年に友人とインドを訪れた。溢れる人と動物、熱、光、におい、それらが生みだす喧騒に圧倒されながらデリーを離れ、チャンディーガルとアーメダバードを見て歩いた。そこで出会った住宅がその後18年の間、ことあるごとにリアルな映像として甦る。コルビジェが設計した2つの住宅が今なお主人を持ち、住まいとして活き活きとあり続けている様子が何より私の心に響いた。(文/2013年11月現在)

  • vol.20 手嶋 保 さん
    vol.20	手嶋 保 さん

    山間僻地で生まれ育ったため、いわゆる名建築などというものには学生になるまで縁のない生活だった。今にして思えば、木々の葉や樹形、昆虫、山々や空の雲などの色や形が、後の「建築」に繋がって行く全てであり、子ども時代の私はそれらの様態に魅せられていた。例えば荘厳さや優美さのような感覚は書物を通じてではなく、自然から直に感じ取ったものである。(文/2013年9月現在)

  • vol.19 川口 通正 さん
    vol.19	川口 通正 さん

    私は、1989年の夏、念願であった李朝建築文化の結晶である「宋廟」の前に立っていた。19間の間口を重厚な石積みの基壇と、壮大な瓦屋根、そして、朱塗りのエンタシスの列柱でつくりあげられた建築は、強靭(きょうじん)な存在感で、私に発信してきた。(文/2013年7月現在)

  • vol.18 泉 幸甫 さん
    vol.18	泉 幸甫 さん

    一応、建築学科は出ていたのだけど、実際に建築の仕事に関わるようになったのは28歳の時、相当に遅い建築家人生の出発だった。 大学を卒業しても何をしたらいいのかわからず、すぐに就職する気になれなかった。普通ならどこかに就職をし、社会の歯車の一つとなり一人前の男として生計を立てられるようにするものだが、人生で何をすべきか、まるで見当がつかなかった。でも本人はいたってまじめにこれからの人生をどう生きていくべきか相当悩んでいた記憶があるが、いずれにしろ、型にはまった就職、生活をする気になれなかった。その後に言うモラトリアムのはしりか。(文/2013年5月現在)

  • vol.17 三澤 文子 さん
    vol.17	三澤 文子 さん

    ある人からオーストラリア行きを誘われた2005年。実はそんなに乗り気でなかった。失礼ながらオーストラリアを歴史の浅い国と認識していて、ヨーロッパなら行きたい。などと内心思っていた。私が岐阜県立森林文化アカデミーで教鞭をとっていたころ、シドニーにあるニューサウスウェールズ大学(UNSW)での共同スタジオの開催を持ちかけられたのだったが、結果はその2005年を皮切りに毎年オーストラリアに通うことになったのだった。(文/2013年1月現在)

  • vol.16 伊藤 寛 さん
    vol.16	伊藤 寛 さん

    いわき市郊外の農家が点在する里の中に森美術館はあります。同名の美術館がありますが、それとは異なり、こちらは1993年竣工の木造平屋の建築です。この設計を頼まれた当時私は30代半ばで、イタリア留学を終え日本での設計活動をスタートさせてまだ間もない時期でした。この建築との関わりは私にとってとても重要なものになりました。(文/2012年11月現在)

  • vol.15 横内 敏人 さん
    vol.15	横内 敏人 さん

    それは不思議な感動だった。ガツンと頭をなぐられるような感動でもなく、背筋に電気が走るような感動でもなく、とても静かで、しかも確実に心が満たされていくのがわかるような気持ちだった。言葉で表すのは難しいが、この時に得たものは「近代建築でもこんな感動を生み出せるんだ…」という驚きでもあり、それ以上に「今日まで建築の勉強をして来て本当に良かったなぁ」という不思議な自信と誇りのようなものだった気がする。(文/2012年9月現在)

  • vol.14 遠野 未来 さん
    vol.14	藤森 照信 さん

    自分にとって建築は遠い存在だった。ものをつくるのが好きで建築に憧れて大学に入ったものの、設計の課題で図面を描きながらそれがどう社会を結びつくのか全く実感がわかず、何のために図面を描くのかもわからず、嫌で仕方がなかった。それより二次元の図面に描けないものを自分の手でつくりたいと思っていた。(文/2012年7月現在)

  • vol.13 堀部 安嗣 さん
    vol.13	堀部 安嗣 さん

    今までの価値観をガラッと覆すような、そんな衝撃的な出会いが創作活動に大きな影響を与えたという話をよく耳にするけれども、どうも私にはそのような経験が乏しいのかもしれない。しかし今振り返ってみると“ああ、あの時の出会い、経験が今の自分を根底から支えてくれているのだな。”と思えるような出会いはいくつか思い浮かべることができる。そんな出会いの一つが、スウェーデンの建築家、アスプルンドが設計した“森の墓地”である。(文/2012年5月現在)

  • vol.12 林 美樹 さん
    vol.12	林 美樹 さん

    「イタリアでの経験は、今の仕事とどんな風につながるのですか?」と聞かれたことがある。もちろんつながっている。でも、どんな文脈で?
    私が就職したのはバブルの泡が立ち始めた頃で、みんな競走馬のように脇目も振らず走っていた。しかし次第に組織事務所でのインテリアの仕事に物足りなさを感じ始め、自主研修との名目で渡伊したのは、1992年のことだった。(文/2012年3月現在)

  • vol.11 彦根 アンドレア さん
    vol.11	彦根 アンドレア さん

    私の生まれ育ったところは豊かな自然に恵まれていた。故郷はドイツとスイスとの国境にまたがるボーデン湖に面したコンスタンツという町。町全体が森で囲まれていて、休みの日にはよく家の裏手を家族で散歩した。70年代のオイルショックの時には、“週末車禁止令”が出たこともあったが、子供だったせいかまったく不便を感じなかった。それどころか道路でパーティをしたり、ローラースケートをして遊んだり、車がないことがとても楽しかった記憶がある。(文/2012年1月現在)

  • vol.10 彦根 明 さん
    vol.10	彦根 明 さん

    幼稚園に入る頃、練馬区の大泉学園というところに引越した。近くにはまだ空き地も多く、わが家の前にも小さな野原が広がっていた。背丈の倍ほどもある草をかき分けて中に入って行くと、奥のほうにぽっかりと空の見える空間があった。自分の宝物やおやつを持ち込んで、仲良しだけにその場所を教える。秘密基地体験である。(文/2011年11月現在)

  • vol.9 伊礼 智 さん
    vol.9	伊礼 智 さん

    久しぶりに伊是名島の銘苅家を訪ねた。
    銘苅家は沖縄本島・本部半島の北方、フェリーで1時間ほどのところにある小さな島。二十数年前に訪れたとき、印象深かった集落を包んでいたフクギ並木はなくなり、外部空間が様変わりしていたけれど、銘苅家は昔のままに、ひっそりと簡素に佇んでいた。琉球王朝ゆかりの銘苅家、この簡素ながらも品のある佇まいはどこからくるのだろう?前回は伊是名島の集落を覆い尽くすフクギの並木とその内部の、スージに縫われた家々の外部空間に惹かれた。(文/2011年9月現在)

  • vol.8 平田 晃久 さん
    vol.8	平田 晃久 さん

    建築空間に心の底から深く感動するのは、意外に難しい。建築に関してそのとき考えていること、精神的なコンディション、その日の天候、等々が不思議に重なり合ったときにだけ、それは起こる。貴重な出会いのようでもある。(文/2011年7月現在)

  • vol.7 高橋 堅 さん
    vol.7	高橋 堅 さん

    邂逅、そして初めてロンシャンの礼拝堂を訪れたのは、大学に入って間もない19歳の夏でした。
    もちろん建築のなんたるか、まだその一端も理解できていない頃の話です。ただそこに行けば必ず何かが見つかるはずで、今まさにそれを見なくてはいけないのだという思いこみだけが、当時の私を急かしていました。(文/2011年5月現在)

  • vol.6 乾 久美子 さん
    vol.6	乾 久美子 さん

    阪神間で育ちました。ご存知のように阪神間には村野藤吾の作品が数多くあります。実家のある宝塚では、小学校への通学路の脇に「カトリック宝塚教会」があり、市庁舎も村野作。中学にあがると電車通学がはじまり、道中には車窓から「甲南女子大学」のキャンパスが見えていました。(文/2011年3月現在)

  • vol.5 安田 幸一 さん
    vol.5	安田 幸一 さん

    1987年は、アメリカ・コネテイカット州ニューヘブン市という小さな街に住んでいた。9月にイエール大学へ入学し、ニューヘブン・グリーンの横にあるタフト・アパートメントの9階に部屋を借りた。(文/2011年1月現在)

  • vol.4 難波 和彦 さん
    vol.4	難波 和彦 さん

    僕の師である池辺陽が亡くなった1979年4月に、僕は意を決して、夫婦で世界一周旅行に出かけた。アメリカ西海岸から南下し、バスでメキシコを縦断し、中南米を回って、再びフロリダに戻り、ニューオリンズを経て、フォートワースに着いたのは8月だった。(文/2010年11月現在)

  • vol.3 貴志 雅樹 さん
    vol.3	貴志 雅樹 さん

    私は、ちょうど35年前、初めてヨーロッパへ貧乏旅行に出かけた。安藤忠雄さんから、建築の設計を一つでも経験してから、建築巡業をしたほうがいいというアドバイスをいただいていたので、双生観という住宅を担当させていただいてから三か月の旅に出た。(文/2010年9月現在)

  • vol.2 竹原 義二 さん
    vol.2	竹原 義二 さん

    私にとっての建築は閑谷学校との出会いから始まる。
    1668年(寛文8年)、備前藩主池田光政が津田永忠に命じて作らせた儒学に基づく士庶共学の学校である。永忠は閑谷の大自然の中にオリジナリティを持った建築を作り上げようとした。
    (文/2010年7月現在)

  • vol.1 藤森 照信 さん
    vol.1	藤森 照信 さん

    私が建築に目覚めたのは小学校の二年生の時だった。江戸時代につくられた茅葺きの家を、父親が建て替えたのである。新しい家の設計は、当時、早稲田大学で建築を学んでいた従兄が手がけた。
    というと、従兄のデザインに強い印象を受けたとか、図面というものの面白さに目覚めたとか思われるかもしれないが、違う。大工をはじめとする職人さんたちの仕事ぶりに関心を持ったのだった。(文/2010年5月現在)