第50回:影山知明さん

『ゆっくり、いそげ』(大和書房)

『ゆっくり、いそげ』(大和書房)

「この人に聞きたい」第50回目は、は、東京・西国分寺にあるカフェ『クルミドコーヒー』の店主・影山知明さんです。影山さんは大学卒業後、外資系大手経営コンサルティング会社を経て、ベンチャーキャピタルを共同創業。その後、西国分寺の生家を多世代型シェアハウス「マージュ西国分寺」として建て替えし、1階部分にカフェをオープン。現在はNHK「NEWSWEB」のネットナビゲーターも務められています。
 影山さんの著書『ゆっくり、いそげ』には、「カフェからはじまる人を手段化しない経済」というサブタイトルが付けられています。影山さん自身がカフェやシェアハウスを運営する中で、これまで当たり前に行われてきた経済やビジネスの考え方とは異なる「人を主役にした経済のあり方」を模索されています。「ここに来たら元気になったと言ってもらえるカフェをつくりたい」という影山さんに、これからの人や社会との関係について伺ってきました。
(文/2015年10月現在)

大きなシステムと小さなファンタジー

自由を尊重しつつ、関わる

写真:影山知明さん

―会社を辞めて生家を建て替え、そしてカフェの開店といった一連の動きは、影山さんの人生にとって大きな転機だったのだと思いますが、まずはそのきっかけをお聞かせください。

もともとここに、家族が生まれ育った一軒家がありました。最後はそこに弟が一人で住んでいたんですが、若いながら急な病気で亡くなり、しばらく発見されないということが起こりました。テレビや新聞でそういったことがあることは知っていましたが、まさか身内で起こるとは想像もしていませんでした。空き家になってしまったこの家をどうしていくかを考えたとき、真っ先に思い浮かべたのが弟のことで、こういったことが起こらないような場所にしたいというのが最初の思いです。

―本誌でも「分け合う、助け合う、住まいのカタチ」と題して、コレクティブハウスを紹介したことがありましたが、こういった建物では特にコミュニティのあり方への配慮が重要なポイントだと思いますが、どのようなことを心掛けていらっしゃいますか。

シェアハウスとかコレクティブ的な住まいは、システムやルールづくりが大変と誤解されることがありますが、関係性が育てばルールは最小限にできます。お互いが一緒になってそこでの暮らしをつくっていく姿勢を持ち、お互いの違いをリスペクトし、時にはそれを楽しめるようにさえなれれば、何かすれ違いが起こってもお互いの話し合いで大抵の問題は解決できる。それができないとルールを厳格化していかざるを得なくなって、張り紙だらけになってしまうわけです。だからマージュ西国分寺では、いかにルールを少なくできるかを最初から考えていました。

―そういうことって、コレクティブハウスに限らず、社会のいろいろな場面でも当てはまることですね。

人と人との関係性を取り戻したい思いを持つ人は多い一方で、人と関わることがいかに面倒で煩わしいかもみんな分かってます。関係するから問題が生じるし、時には傷付けることもあるわけで、まさにジレンマです。「人間関係において自由でいたい。でも孤独は嫌だ」という両方を上手く繋げられないかを考えているときにコレクティブハウスに出会いました。こんな関係のつくり方があるということを知り、自分なりに整理することができた気がします。『ゆっくり、いそげ』の中でも「他人と共に自由に生きる」と書いていますが、マージュ西国分寺での日々を通じて、その可能性と難しさの両方とをやはり感じています。コレクティブ的な考え方に出会っていなければ、マージュ西国分寺もクルミドコーヒーも『ゆっくり、いそげ』も出来ていませんでした。

出入りする「特定多数」

「マージュ西国分寺」全景。

「マージュ西国分寺」全景。

中に入ると大きな吹き抜け空間になっている。

中に入ると大きな吹き抜け空間になっている。

―カフェはコレクティブハウスよりも、もう少し外との関わりを目指した部分なんですね。ただ、この周辺にもコーヒーを出すお店はたくさんあります。それらのお店とクルミドコーヒーの違いはなんでしょうか?

夏の間だけやっているお店のモーニングセットは950円です。同じモーニングでも、近くの別のお店に行けば1/3くらいの値段で食べることができます。でもありがたいことに、訪ねてくださるお客さんの数は年々増えています。お金は普通「何かを手に入れるための道具」と捉えられることが多いでしょう。その文脈であれば、同じメニューを食べるのであればできるだけ安い方がいいという発想に向かっていきがちです。でも自分は、お金は「人の仕事を受け取るための道具」と捉えられないかと考えています。人の時間や手間ひまをかけた仕事を想像し、そのことへの感謝の気持ちとしてお代を支払う。お店のお客さんが増えているのは、そうした人の仕事への想像力や感受性にすぐれた人たちと出会えてきたからだと感謝しているのです。つまり、「モーニングを提供し、お金を受け取る」という一見、同じように見える交換でも、クルミドコーヒーでのそれと、他のお店でのそれとでは実は意味が違うんじゃないかと思うのです。そういう意味で、ぼくらは新しい経済の形、もしくはそれこそが本来の経済の形なんじゃないかとも思いますし、日々つくっていっている感覚でもあります。そして、他のお店やものづくりをしている方々、さらにはそれらにつくお客さんたちも含めて同じ感性を共有できる方が増えていき、そうした生態系が育つ中ではじめて、クルミドコーヒーが50年、100年と続くお店になれるのだろうなと思います。加えて大事なのは、モノの値段とは人の給料だということです。値段を下げようと思えば思うほど、大量生産・機械化が必要になり、人の仕事にお金を払えなくなります。そういう意味で、こっちはあっちの3倍の値段だ、ではなく、そもそも同じ土俵に乗らない、比べられないお店になれるかどうかが「戦い方」のポイントなのだろうとも思います。

―そうやってもらった給料だから、自分が使う立場になった時も「人の仕事を受け取るため」にお金を使う、という意識も生まれやすいですね。

それはあると思います。ただどんな人も、両方のお金の使い方をしていると思います。本でも「特定少数でもなく、不特定多数でもない、特定多数」という表現をしていますが、これも決してそれぞれに明確な境界線があるとは思っていません。"特定"とはいえ常に動的なもので、そこには自然な出入りがあると思います。一人の人間の中にも時期によって"本物に触れたい"とか"人との交流を図りたい"という時もあれば、チェーン店のカフェに行って匿名性の中に身を置きたいという時もありますよね。そういう出入りがあって、長い目で見たときには一定の割合で動いているのが現実で、その中でこういったカフェが選択されるかどうかということです。

―「正解を押し付ける」ことと、「自分が良いと思うことを示す」というのは一見、同じように見えても、根本的なスタンスが大きく違いますね。

「クルミドコーヒー」の入り口。

「クルミドコーヒー」の入り口。

コール&レスポンス

たとえ別の意見を持っていたとしても互いに学び合える姿が理想です。僕はあらゆる仕事は「コール&レスポンス」だと思っていて、答はあなたの中にありますから、あなたなりに考えてくださいと突き放してしまうのは少し違うなと思います。縁あって今、NHKに出演させていただいていますが、メディアであっても中立性や客観性だけを伝えていればいいとは思っていません。「自分はこういうことが大事だ」「こういうものが美しいと思う」というコールが大事なんだと思います。クルミドコーヒーをやっていく中でもそれは大事にしていきたいと思っていて、それが伝わるからこそお客さんもレスポンスできるんだと思います。

―本を出版されたり、テレビに出演されたりするのも、お店としての発信の延長なんですね。

つくり手の中には"いいものをつくる"というこだわりはあっても、それを"届ける"ということになると、誰かがやってくれると思ってしまう面があるように思います。例えば手塚治虫の作品は、ウォルト・ディズニーの作品に決してひけを取らないと思いますが、作品を届け、事業化するという方面でのディズニーの力は圧倒的ですね。どんなおいしいコーヒーを淹れられる人がいたとしても、それを飲んでくれる人がいなければその価値は限定的です。僕もお店をやってはじめて、そのことを強く認識することができました。今でも、日々、そのための訓練を受けているように感じています。

もちろん、テレビで自分の意見を言うのはすごく怖いです。どんなリアクションがあるか分からないですから。そして、それはお店も同じです。はじめの頃は「なんだあの高飛車な店は」などとネットに書かれたこともあり、少し臆病になってしまった時期もありましたが、そういう立場になってみて、世の中には矢面に立たない人がすごく多いということにも気づきました。「何かをサポートしている」といったニュアンスの仕事が多くて、当事者にならないというか、なりたがらない面が強い。サポーターであり続けている限り、批判は受けないし、その分良い反応も届きにくい。僕自身もそういう職種をずっと経験してきましたから、お店を始めて矢が刺さることの痛みを初めて肌で感じたわけです。同時に「こんなお店をつくってくれてありがとう」といった良い反応もあって少しずつ自信が持てるようになってきました。今でも本を出したり、テレビに出たりしていて、それをよく思わない人もいると思いますが、それでも自分たちのやっていることを信じてコールし続けることが大事だと思っています。

―そこまでして矢面に立つモチベーションはどこにあるんでしょうか。

開放的な中2階席。

開放的な中2階席。

ファンタジーに火を灯す

吹き抜けに面したスキップフロアになっている店内。

吹き抜けに面したスキップフロアになっている店内。

お陰様でお店もようやく軌道に乗ってはきたので、あえてそれを超えてもっと外へコールしていきたいという欲求がどこから生まれてくるのか、僕自身もよく分からないところがあります。おせっかいといえばおせっかいだし、おこがましいといえばおこがましいですよね。ただやっぱり弟のことはあるのかなと思います。生前、弟にもそういうところがあったように思うのですが、今の時代、世の中に生きづらさを感じ、自分を認めてあげられず、がんばりたくてもがんばれないという感覚を持つ人は少なくないように思います。実際に年間3万人の人が自殺をしていて、特に若い世代の自殺が増えているという話を聞くと悲しくなります。そういう若い人たちに"大丈夫だよ"と間接的にでも言ってあげたい。"あなたが苦しんでいる世界がすべてではないですよ"、"そうじゃない社会のつくり方もあるんだよ"と言ってあげたいんです。実は『ゆっくり、いそげ』も一義的な読者として想像していたのはお店で働いてくれている仲間たちでした。彼らの中にも行き詰まりを感じたり、行き場が無くてここに辿り着いた人もいます。このチームに加わったことで、少なくとも彼らが自分を取り戻し、次の一歩を踏み出すための伴走役というか、付き添いができればいいと思っています。

―そういったメッセージをお店の運営の範囲を超えて伝えるために、積極的にメディアとも関わろうとされているわけですね。

吹き抜けに面したスキップフロアになっている店内。

隠れ家的な地階にて水出しコーヒーの抽出が行われている。

吹き抜けに面したスキップフロアになっている店内。

小屋の中は読書によさそう。

本を出して数ヶ月が経ちますが、想定した読者像だけではなくて、大企業やビジネスの最前線でバリバリ仕事をこなしている、代の方からも手紙をいただいたりします。この本のモチーフを一言でいうと「大きなシステムと小さなファンタジー」という言葉になるんですが、大きなシステムの中で活躍できている人も、逆に居場所を見つけられない人も、それぞれが自分なりの苦しみを抱えているんだと思います。そしてそれに対抗できるのはそれぞれが持っているファンタジー(創造的な想像力)、つまり「何を好きと思うのか」「何を美しいと思うのか」という自分の意思なんだと思っています。
もちろん、僕らのような小さな店は、大きな組織の効果的な仕事のしかたや効率的なものづくりのための知恵や工夫を学ばなくてはいけないと思いますし、一方で、大きなシステムの中にいる人には、僕らのような仕事のあり方を知ってもらうことで、時間と手間ひまを掛けた仕事のしかたを思い出してもらうきっかけになれたらいいなと思います。そうやって、お互いに学びあいながら、小さなファンタジーがあっちこっちで生まれ、繋がっていくとひょっとしたら世の中の景色はずいぶんと変わる気がするんです。クルミドコーヒーの存在や、この本を通じてそのファンタジーに少しでも火を灯せたらいいと思いますし、居場所がない人には新たな一歩を踏み出すきっかけになれればと思います。

―私たちも家づくりに携わる立場から大切に感じていることを伝えていきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。

影山知明(かげやま・ともあき)

1973年、東京都国分寺市生まれ、愛知県岡崎市育ち。東京大学法学部卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、ベンチャーキャピタルの創業に参画。その後、株式会社フェスティナレンテとして独立(2008年)。 2002年、ミュージックセキュリティーズに取締役として参画(現職)。2005年にはNPOコレクティブハウジング社理事に就任。2008年、西国分寺の生家の地に多世代型シェアハウスのマージュ西国分寺を建設、その一階に「クルミドコーヒー」をオープンさせた。同店は、 2013年に「食べログ」(カフェ部門)で全国1位となる。ソーシャルベンチャーパートナーズ東京設立メンバー。著書に『ゆっくり、いそげ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~』(大和書房)がある。

影山知明(かげやま・ともあき)