第49回:藻谷浩介さん

増刷を繰り返すベストセラーとなっている『里山資本主義』(発行:角川書店)。この本が売れること自体、おカネ以外の価値を人々が求めている証拠。

増刷を繰り返すベストセラーとなっている『里山資本主義』(発行:角川書店)。この本が売れること自体、おカネ以外の価値を人々が求めている証拠。

「この人に聞きたい」第49回目は、ベストセラー『里山資本主義―日本経済は「安心の原理」で動く』の著者であり、地域エコノミストである日本総研・主席研究員の藻谷浩介さんです。長年、全国の自治体を回ってこられ、地域で何が起こっているのかについて著述、講演、テレビなどを通して精力的に発信されています。
マネー資本主義が牛耳っているグローバル経済の中にあって、おカネ以外の価値が地方を再生、活性化しつつあります。その一方で、里山から離れた大都会では相変わらずマネーが経済の主役となっており、目に見えないローカルな価値を実感する機会は少ないのが現実です。里山資本主義というサブシステムが本当に広がってゆくのか、今回は移動中の藻谷さんを掴まえ、お話を伺ってみました。
(文/2015年7月現在)

里山を活かすサブシステムが、人をハッピーにする。

コーヒーにクリームを入れる

写真:藻谷浩介さん

―里山資本主義という考え方がもっと支援されてしかるべきだと思いますが、藻谷さんは率直に現状をどのように感じていますか。

「里山資本主義で経済成長できるのか?」とか、「国際競争に勝てるのか?」といった意見があるようです。本の中でも書いていますが、私は石油を燃やしていることが一番競争力を阻害しているのであって、太陽熱を利用したり、バイオマスを燃やしているほうがよほど競争しているのだと思います。未だに日本は「思い込み」に支配されている国なんだと感じますね。そもそも里山資本主義とマネー資本主義は補完関係にあるのであって、コーヒーにクリームを入れるようなものです。よく本を読みもしないですぐに対立構造と捉えること自体が前時代的なモデルなんだと思いますね。

―自然エネルギーはともすると“使えないエネルギー”と捉えられます。発電量として数値化できる太陽電池ならまだしも、熱エネルギーともなるとなおさらです。でも、“使える”ということに気付いている人はいるし、それ以上の価値を感じてくれる人もいます。

私も長年「気付き」ということを仕事にしてきたわけですが、強く言っておきたいことは、決して「意見」を言ってきたわけではないということです。これはとても重要で、「事実」と「意見」の混同が往々にして問題を引き起こすことになるんです。仮に意見と違う事実があったとしても、事実を捻じ曲げて意見を通すということがよく行われています。経済についても株価は上がっているけれど、消費は一向に増えていません。実際には効果がないのに、効果があったような言い方がまかり通っているわけです。本質的に「気付く」というのは“事実”を知らされたり、自ら知ることによって起こることです。『里山資本主義』はこういう事実がありましたということを書いた本で、事実だからこそ気付きが広がっていくわけです。それに対してマスコミを総動員して事実じゃないことを訴えられても気付くわけがありません。「景気が良くなっている」と言われても、「どこかはいいんでしょうね。私は違いますが」という人ばっかりで、全国回っても、「景気がいい」と言っている人に出会わないわけです。これが事実ですよね。人は基本的に事実からしか気付かないわけです。ですから事実であることは極めて重要なんです。

―全てを自分の目で見ることはできないし、何が事実か分からない人も多いですよね。

「言霊」では事実は変わらない

木屑から生まれる「木質ペレット」。石油に代わる里山のエネルギーの代表。

木屑から生まれる「木質ペレット」。石油に代わる里山のエネルギーの代表。

灯油とペレットの価格推移。バイオマス先進国オーストリアでは石油からバイオマスへシフトすることで、灯油よりも安いペレットを実現し、エネルギーの自給は地域に雇用と税収の増加をもたらした。(『里山資本主義』P73より引用)

灯油とペレットの価格推移。バイオマス先進国オーストリアでは石油からバイオマスへシフトすることで、灯油よりも安いペレットを実現し、エネルギーの自給は地域に雇用と税収の増加をもたらした。(『里山資本主義』P73より引用)

「意見の世界」に生きている人は、たとえ事実を目の当たりにしても意見に流されてしまうんです。「原発は壊れない」という意見はあったわけだけれども、結果的にそれは事実ではなかったわけです。にも関わらず、またしても「壊れない」という意見になびいてしまうのです。起きたことは起きたこととしてきちんと受け止めなくてはいけないのに、そのうち起きたことまで起きていないと言い出しかねません。世間に逆らったことを言うなという人は「意見の世界」に生きているので、全員が言えば、白でも黒になると思っているわけです。そうなってくるともう意見ですらありませんよね。つまり、事実と意見の抜き差しならない関係を経験していないというか、もはや事実が分からないわけですね。ただ、言霊じゃないですが、言ったことが現実になるという考え方はあります。日本中で景気が良くなると言えば、本当に景気がよくなるのではないか、今はそういう期待感が支配しているような感じです。彼女や奥さんに「キレイだよ」と声を掛けると本当にキレイになっていくとか、人間の心理的な面として否定はしませんが、いかんせんそれだけで物事は決まらないということです。カネがないのにカネがあると思い込んでもカネは沸いて出てこないわけです。景気がいいと思いたいけれど、売上は伸びないし、賃金は増えないわけで、本当は肌感覚として気付いているんです。

―でも、実際にはなかなか社会は変化しません。

多くの人々は異議を申し立てないことで結果がよくなると思っています。神様をお鎮めして世の中が良くなるという何となく原初的な信仰があるんです。でも、実際には良くはならないわけです。今の政権で良くなるかもしれないし、トンデモナイ方向に行くかもしれない、どちらにしても反対はしないのです。

本誌「やってみた」でも取り上げた「ロケットストーブ」。『里山資本主義』の中でも21世紀の新経済アイテム「エコストーブ」として紹介されている。

本誌「やってみた」でも取り上げた「ロケットストーブ」。『里山資本主義』の中でも21世紀の新経済アイテム「エコストーブ」として紹介されている。

―日本人そのものがそう教育されてしまったのでしょうか。

まあ、基本的には豊なので、細かいことに目くじらたてないのです。何かを働き掛けて現実のフィードバックを勉強しないので、天然自然の如く通り過ぎていくのを待つだけです。それに対して私は、事実や客観的な比較に興味があって、どうすべきかといった意見には興味がありません。里山資本主義の主な問い掛けは、日本全体のエネルギーコストが上がっていることに対する問題です。ざっくり言ってバブルの頃に比べて5~6倍(5兆円から30兆円)くらいになっていて、25兆円も支出が増えているわけですね。500兆円のGDPのうちの25兆円も外国に払っているのは結構な痛手なわけです。僅かな間に相当家計を圧迫するようになり、そうなってくると山にある木を燃やすとか、太陽エネルギーを使うということが、相対的に価値が急浮上してくるわけで、こういう動きが起きているよということなんです。エネルギーコストがこれだけ増えているにも関わらず、そのことについて何の報道もされないし、誰も取り上げない、エコノミストすらこの数字を知らないし、政治家も見ていないんです。

―ガソリン代の動きには敏感ですが。

すぐに賛成か反対かを求める

ガソリン代が5倍になっているわけではないですからね。でも実際にはガソリン代になるまでにいろんなプロセスでこのコストが吸収されていて、社会全体で負担に耐えているわけです。皆が一生懸命おカネを捻出してアラブに払っているわけですね。そうなると原発を再稼動しようという動きが出てくるわけですが、問題なのはその話が出てきたときに、原発を再稼動することで実際にどれくらいの影響があるのかについての定量的な評価、客観的な評価はされず、いきなり賛成か反対かの意見を聞き出すという作業をやるわけです。これはハッキリ言ってガキのやることですよね。皆が何て言っているかだけで判断して動いているんです。だからダメなんです。

―そうやって事実を見ないで進んでいって、結局破綻したり現実として降りかかってこないと気付かない?

破綻したって気付かないですよ。現に福島に行けば分かりますが、すでに破綻しているわけですね。汚染水は海に垂れ流されていて、幸い海流の影響で日本沿岸に留まらず薄まっているんですが、これが瀬戸内海とか日本海とか、都会に近い場所だったらどうでしょうか。それによって失われる損失はどれくらいあるのか、そこに住んでいる人たちの思いはどうなるのかです。大変な状況が起こっているにも関わらず、見に行かないし、まるでそういうことは無かったかのようです。そういった意見を捨て切れない限り、成長の判断はできないわけです。安倍政権になって以降、実際には対中赤字が拡大しているし、今の政策を続けてきてグローバル経済で負けているのが現実です。『里山資本主義』はグローバル経済に背を向けるメッセージであるという方がいますが、そもそも勝っていないわけですね。この本の最終総括に私は数字を上げて延々と「日本経済ダメダメ論」の誤りを指摘しています。そもそも日本経済は衰退していないし、国際競争力は低下していません。本編では仮に衰退しても大丈夫ということを書いているのに、その事実を受け入れ難い意見があるということです。

―自然エネルギーは割高であるとか、コストをペイできないといった意見が根強いし、再生可能エネルギーは当てにならないという意見が、循環型社会、持続可能な社会へ向かう障壁になっています。例えばOMソーラーを導入することで全体の建築費が1割程度増えることになりますが、その金額がペイできないとやはり障壁になるわけです。

先を見越しておカネを使う

CLTパネル。CLTとは「クロス・ラミネーテッド・ティンバー」の略で、板を直角に張り合わせることで強度を増した集成材のこと。コンクリート並みの強度を誇り、木造による高層建築の実現が期待されている。

CLTパネル。CLTとは「クロス・ラミネーテッド・ティンバー」の略で、板を直角に張り合わせることで強度を増した集成材のこと。コンクリート並みの強度を誇り、木造による高層建築の実現が期待されている。

ホンモロコの経済効果。鳥取県八頭町では、耕作放棄地を活用しホンモロコの養殖が行われている。これまでの常識を外すことで新たな循環が生まれる。(『里山資本主義』P199より引用)

ホンモロコの経済効果。鳥取県八頭町では、耕作放棄地を活用しホンモロコの養殖が行われている。これまでの常識を外すことで新たな循環が生まれる。(『里山資本主義』P199より引用)

そのコストをどう捉えるかは人によって異なるわけですね。今の話を里山資本主義的に捉えるとどうなるかというと、家を建てる人にとっての「機会費用」という話になるわけです。例えば2,3百万貯金がある人がいたとします。そういう人が実は多いんですが、その2,3百万を何に使うかです。多くの人はこの先何があるか分からないから使わないと言います。つまり保険という考え方ですね。じゃあ、その2,3百万を死ぬまでにどのくらい使う可能性があるかというと、「なるべく使わないようにしたいです」という答えが必ず返ってきます。では、その2,3百万円を最後まで使わない可能性と、自然災害に遭わない可能性のどちらが上でしょうかということです。自然災害に限らずエネルギーコストの上昇や健康被害に遭う可能性なんかも含めてです。何かのために使わないで取っておくよりもよほど損失が少ない使い方だと思いませんか。何故なら「使わないおカネ」なんですから。それどころか、エネルギーコストを考えたら20年くらいで回収できるかもしれないんです。だったらたとえ持ち出しでも導入したほうがいい、こういうロジックですよね。

―先を見越して使わないのではなくて、先を見越して使うということですね。そういう人がOMソーラーの住まい手には多いですね。

そうでしょ。なのに先を見越して取っておく人が大勢いるんです。だったら貯金がない人はどうかというと、家におカネ掛けてもペイできないなら、せめてソーラーにおカネを掛けるほうがいいという議論はあると思います。家じゃなくて、車を買うのをやめるでもいいかもしれません。これは先を見越した計算というよりは現実の計算になりますが。いずれにせよ、おカネを持っていることが一番の安心という人が大勢います。そういう考え方が広く普及してしまったのが日本という国なんだと思います。『里山資本主義』でも中間総括の最後に書いて、結局削られてしまった話ですが、「あなたはおカネでは買えない」という話を書きました。どんな話かというと、ボストンバッグをいつも抱えていたホームレスのお婆さんの話です。ボストンバッグを開けようとするとすごく怒るんです。だから誰も中身を見たことがないわけですが、いつも大事そうに抱えていたわけです。そしたらある日、ついにそのお婆さんが亡くなってしまい、ボストンバッグを開けてみたんです。そしたらピンピンの札が1000万円入っていたという話です。そのお婆さんはおカネを払って家に住むよりも、公園のベンチで現金を抱えて生きているほうが良かったわけです。「おカネがあることが嬉しい」という象徴的な話です。これは一つのたとえ話のようですが、大なり小なり全ての日本人の中にこびり付いている現実です。ソーラーを買ってリスクヘッジするよりも現金を持っていたほうがいい、という意見の根底にある話だと思います。

―まさに「おカネの価値」が問われていると思います。

おカネがあってもハッピーじゃない

このお婆さんはおカネが全ての世界をずっと生きてきたんだと思います。だから一円も使えないという呪縛に陥ってしまったわけです。おカネは使ってナンボです。1000万円持っていようといまいと、このお婆ちゃんの価値は何ら変わらないわけで、自分が見下されないために1000万円持っていたわけだけど、逆に1000万円持っていたからといって他のホームレスを見下してはならないわけですね。こういった基本的な道徳をもっとハッキリ言っていかなくてはいけない状況にあるように思います。

―とても良い「気付き」です。

本では日本はもうカネがないからおしまいではなく、カネ以外の価値がこんなにあるということを書いているのであって、このお婆ちゃんの話と同じです。しかも日本には今でも十分におカネがあるんです。世界でもトップクラスのおカネ持ちなのに全然ハッピーじゃないのは、おカネが人をハッピーにしてくれるわけではないことの何よりの証拠です。じゃあ何がハッピーにしてくれるかといえば、やっぱり自然との関係や人との繋がりなんです。畑をやればちゃんと作物は育ってくれるし、お天道様は万人に降り注いでくれているわけです。採れた作物をプレゼントすれば喜ばれるし、お返しを貰えることだってあるわけです。全然おカネが介在しなくてもハッピーになれるわけで、こういう世界があるんだよということです。生産や物々交換から自分の存在価値を感じたり、生きている実感を味わうことができるんです。おカネが介在しないからこそ、その価値を実感できるんですね。これは極めて重要なことです。おカネを介さない「ありがとう」、あなたがしてくれたことに対する「ありがとう」が人間には必要なんです。逆におカネさえ払えばお前の代わりはいくらでもいる、ということが一番人間を阻害しているんです。

―グローバルになればなるほど、そういったサブシステムが軽視されていくのでしょうか。

うーん。意外とグローバル競争をちゃんとしている人はそのことを分かっていると思います。グローバル競争を煽っているだけで、実際には外国にも住んだことがない、現地にも行かない、現実を見ない人が世の中をおかしくしているんです。実際にグローバルに行動すればするほど、自然の恵を大事にするだろうし、サブシステムの価値が分かると思います。グローバル競争が世の中をダメにしているというよりも、口だけグローバルな人たちがダメにしているんですね。対立軸はローカル対グローバルではなくて、現場に行っているか、行っていないかです。現場に行っている人は皆“グローカル”ですよ。

―なるほど。

人は自らを「盲目」にする

「日本経済ダメダメ論」の誤り。里山資本主義に否定的な意見のベースとなっているのが日本経済ダメダメ論。これをもとに「成長」や「競争力」の必要性を煽るわけだが、そもそも日本経済はダメではないということを、絶対数を示して藻谷氏は指摘している。GDPや成長率には表れない、絶対的な収支では相変わらず日本は世界の優等生なのだ。(『里山資本主義』P262,263より引用)

「日本経済ダメダメ論」の誤り。里山資本主義に否定的な意見のベースとなっているのが日本経済ダメダメ論。これをもとに「成長」や「競争力」の必要性を煽るわけだが、そもそも日本経済はダメではないということを、絶対数を示して藻谷氏は指摘している。GDPや成長率には表れない、絶対的な収支では相変わらず日本は世界の優等生なのだ。(『里山資本主義』P262,263より引用)

昔パスカルという人がいて、彼はキリスト教がガチガチに支配している時代に人々に現実を見せることによって近代社会を築いていく礎をつくっていったわけです。神様はこういっているけれど実際には違うぜ、ということを人々に見せて気付かせていったわけです。そんな彼がこんな言葉を残しています。「人間というのは向こうに崖があると、それを見たくないから必死になって崖の存在を隠そうとする。そして、崖に向かって突っ走っていく」と。つまり、自分で自分を盲目にして危険なほうへ向かうというのです。これはパスカルの時代も、現代も変わらないんです。今の状況はいわば袋小路に向かって全力疾走している感じです。そういうことをしているのではないかという自覚を常に持つ必要があるわけです。

―むしろ「気付きたくない」わけですね。

そうなんです。しかも、気付いてしまったときには、誰か一人が気付いたことが癪だから、全員で気付いたことにしたいんです。総懺悔に持ち込みたいんですね。おカネとは本来、交換価値しかなくて所有価値がないものですが、実際には多くの人が、おカネをより多く持つことが価値になってしまって、所有価値を持つに至ったわけです。ところが、経済学では未だにおカネには所有価値はなく、交換価値しかないことを前提にモデルを組んでしまっているために、おカネの所有価値を認めません。認めないが故にそのズレがどんどん大きくなってしまった結果なんだと思います。おカネが所有価値になってしまった事実をまずは認めて、その上でお婆ちゃんの話をしなくてはいけません。おカネを持っていても何かと交換しない限り、何の価値もないということです。ただ、ルールとして「等価交換」という考え方が必要な場合は出てきます。同じ文字量の原稿を方や3千円で、方や30万円であってはならないという意識です。

―そもそも自然は「等価交換」できない価値です。

自然は「贈与」してくれている

その通りです。自然は人間に対して等価交換を要求していないですからね。自然は贈与してくれるんです。その代わり人間も自然を使い尽くさずに贈与しなければ滅びることになるわけです。これはインディアンの知恵と同じです。等価交換は人間社会における、ある特定の範囲のみで必要なだけで、人間社会にだって子どもを育てたり、親の面倒を見ることは等価交換じゃありません。年金だってそうです。私はどちらかというと等価交換は好きじゃなくて、一方的にあげちゃうほうですが、人から貰った以上に人にしてあげて死んだほうがカッコいいじゃないですか。ところが、勉強しすぎて全部等価じゃなきゃいけないという意見が多いんです。それよりも、してもらった以上にお返しする人がいたほうがいいし、そういう人がたくさんいたほうがいいわけです。もらった以上に払うべき、そういう意識が大事です。ところが、お金に拘る人は、そういうことを甘っちょろいといいます。そういうことをいう人で、僕より年収が高い人はほとんどいませんけどね(笑)。それも意見を言っているだけでやっぱり事実じゃないんです。

―立場が上の人ほどお金に拘る傾向があるように思います。

やりたくもないお受験を無理にやらされてきて、得たいの知れない成功体験を持っちゃっているからです。役に立たない成功体験に支配されていて、意味のない努力をいくらしても意味がないことを体験していないんです。つまり意味がないことを認められないわけですね。苦労して東大に入って社長になったけど、課長で辞めたやつのほうがはるかに意味がある老後を送っていたりすることはいくらでもあります。根本的に事実に対する謙虚さを欠いているんです。人間って、悪いけど何にもいいことしていませんよ。奇跡のように大宇宙の中に生きていて、何かのために生きてきたわけでも何でもない存在です。たまたま生きているだけなのに等価交換を持ち出す人は、人間に特別な地位とか価値があるという幻想を抱いていて、踊らされているわけです。とはいえ、おかしなことに気付く人は増えていくだろうし、そもそも現実は変わらないわけなので、必ず事実がイデオロギーに勝っていくのだと思います。こうして、どんどんまともな方向に向かうのだと私自身は思っていますよ。

―分かりました。とても面白いお話を伺いました。今日は時間がない中、本当にありがとうございました。

藻谷浩介(もたに・こうすけ)

1964年、山口県生れ。地域エコノミスト。1988年に東京大学法学部を卒業。日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)入行。米国コロンビア大学ビジネススクール留学などを経て日本総合研究所主席研究員。平成の大合併前の約3200市町村のほぼ全てを訪れ、地域復興や地域経済の分野で研究、著作、講演等を行っている。著書に『デフレの正体』。NHK広島放送局制作の「里山資本主義シリーズ」にナビゲーターとして出演し、身近な資源を活用する地域発の新たなライフスタイルを提言。2013年夏には、NHK広島取材班と共著で『里山資本主義―日本経済は「安心の原理」で動く』を出版。ベストセラーとなった。

藻谷浩介(もたに・こうすけ)