第47回:ナガオカケンメイさん

「この人に聞きたい」第47回目は、デザイナーであり、デザイン活動家として地域に根差したモノづくりを重視したデザインの道の駅「D&DEPARTMENT(以下、D&Dと略す)」を47都道府県に一つずつ作り、地域と対話し、「らしさ」の整理、提案、運用を行うプロジェクトを展開しているナガオカケンメイ氏にお話を伺いました。
ナガオカ氏は、日々大量に生産され、大量に消費・廃棄されていく、現代のモノづくりのあり方に疑問を感じ、また、そのモノづくりに加担しているデザインのあり方にも疑問を感じていました。そして、既存の消費を前提としたモノづくり・デザインのあり方に対して、「ロングライフデザイン」という視点から新たなモノづくり・デザインの考え方を発信し、実践し、模索されています。京都造形芸術大学の教授も務めるナガオカ氏は、昨年11月29日(土)に佛光寺の境内の中にお寺と大学とD&D の三者が連携した新しいお店D&DEPARTMENTKYOTO by 京都造形芸術大学をオープンさせました。
地域とともに新しい価値観の発信を続けているナガオカ氏に、京都店のオープニングセレモニーに伺い、あらためてロングライフデザインについて、またその価値感の浸透についてお話を聞くことができました。
(文/2015年1月現在)

その土地にしかできないことに価値がある。

ロングライフデザイン10か条

写真:ナガオカケンメイさん

―あらためて「ロングライフデザイン」について伺いたいのですが、ロングライフデザインに定義というか、これが備わっていないとロングライフデザインとは呼べないといった、項目のようなものはあるのでしょうか。

ロングライフデザインを「10か条」にまとめたことがあって、そこには「修理して使い続けられること」、使い続けるための体制があるということを含めてですね。それから「計画生産」、つまり、つくる量を決めて、それしかつくらないということです。ヒットすると普通はたくさんつくりますが、それをしてしまうと、ブームが去った時に生産体制と需要のバランスが崩れて、それが引き金になって会社が倒産してしまったり、雑誌だったら廃刊になってしまったりするんです。たとえ、よいモノ、よい雑誌であってもそうなってしまうんです。あと「最新機能を売りにしない」ということもあります。これはトレンドという意味ですが、例えばオーディオ機器が短命なのは、毎回毎回最新機能を売りにしているからで、新しく売り出す度に"○○機能搭載"ということを繰り返していますよね。それでみんな買うんだけど、半年毎に新しい機能をもった商品が出てくるわけで、それではとてもロングライフとはいえません。

―次々に"陳腐化"させることで売上を確保しようというメーカーの思惑が透けて見えます。

同じ電気製品でも機能が単純なもの、例えばアイロンだとかドライヤーだとか、コンセントにプラグを差してスイッチを入れるだけ、熱くなるだけ、回転するだけという機能のものはロングライフになり得る商品です。そういう商品はリサイクルショップなんかでも良く見かけます。ただ、ドライヤーであってもイオンドライヤーとか言い出すと、次にもっとすごいイオンドライヤーが出てきて終わりになってしまうわけです。それから当たり前ですが、「安全」とか「使いやすい」といったこと、「環境に配慮していること」、あと「価格が適正であること」、「販売の窓口が健全であること」も大事です。販売の窓口が健全というのは、価格にも関わることですが、家電量販店のようにオープンプライスに任せてしまうのではなくて、売り場にもつくり手の思いやこだわりがきちんと伝わっていること、売り場にそれを伝える強い意思があることが大事だと思っています。それから忘れてはいけないのが「デザインが美しいこと」ですね。そして「つくり手に愛があること」も大切です。

「新建材」はロングライフではない

京都・佛光寺境内の中に昨年オープンしたD&DEPERTMENT京都店。もとは和合所として使われていた内部を、極力手を加えず店舗へと改修した。

京都・佛光寺境内の中に昨年オープンしたD&DEPERTMENT京都店。
もとは和合所として使われていた内部を、極力手を加えず店舗へと改修した。

店内の様子。中央のアイランドになっている棚に京都らしいモノが陳列されている。

店内の様子。中央のアイランドになっている棚に京都らしいモノが陳列されている。

―ありがとうございます。よく分かりました。この10か条はある意味、真っ当なことというか、モノづくりの原点のはずですが、どうしてそれをあらためて確認しなくてはいけない状況になってしまったのか考えずにはいられません。先ほど「最新機能を売りにしない」という項目がありましたが、住宅も同じことがいえます。住宅もオーディオ機器やイオンドライヤーと同じで、とくにハウスメーカーはあるときは「ドーマーのある家」といったり、「南プロバンス風の家」といったり、「和モダンの家」と呼んだりするなど、デザインを次々に陳腐化してきました。機能についても同じで、「エコキュート」、「IHキッチン」、「オール電化」、今は「太陽光発電を載せてローンゼロ円」なんて売りにしています。これって、家と関係ない話です。本来、モノづくりの物語を持っている地域に根差した工務店ですら、それに付き合ってしまっていて、本来の価値を伝えられずにいます。ナガオカさんの家に対する思いというか、家をロングライフデザインとして見たとき、どんな思いをお持ちですか。

3年くらい前に、当時話題になった軽井沢にある有名リゾートホテルに泊まったことがあったんですが、非常にがっかりしたのは、ほとんど新建材でつくられていたことです。新建材は最新機能ですから、半年経ったらまた新しい新建材が出てくるんですよね。もっとすごい機能や別の機能を売りにしたものです。つまり、そこには朽ちていったときの経年変化だとか、手入れして継続して使っていくというストーリーが一切なくて、単に空間を構成するとか、住むための機能、例えばアレルギーに対応しているとか、吸放湿性能が高いだとか、むしろ手入れが要らないといった価値しかないわけです。住まいというのは、その土地で採れる上質な材料でつくるのが一番良くて、そういう材料は人間と同じで生きた材料なわけです。家についてロングライフデザインを考えたときには、まずはその土地で採れる材料でつくるというのが前提になると思います。

―新建材も陳腐化の一つという位置付けですね。ロングスパンの住宅では、取り替えたいときにその建材はもうないということになりかねない。そしたら家そのものを建て替えざるを得ないなんてバカみたいな話です。

最近のエアコンとかトイレとか、「手間要らず」「掃除しなくていい」ということを売りにしていますよね。それがトレンドだし、そのほうがいいとされているけれど、その一方で、ダイソンの掃除機なんかは箱を開けた瞬間に、"手入れの方法"が目に飛び込んできます。"手入れをする必要がある掃除機"ということを魅力としてアピールしている商品も出てきています。二極化していて、住宅も「手入れの必要な住宅」と「手入れの要らない住宅」に分かれていくんじゃないですか。このお寺なんて手入れの必要な建物の極致ですよね。最高の建材でつくられ、きちんと手入れされているから、何十年、何百年と雨風を凌いで今こうしてここに残っているわけです。そういう家がいい家だと思います。

その土地ならではの風景がある

―お寺からロングライフデザインを発信できるのはとても意義深いことですね。私たちは、「お手入れ要らず」とか「メンテナンスフリー」ということと、「ロングライフ(長寿命)」ということを、どうも履き違えてしまっているようなところがあります。メーカーの広告の巧みさ、それを鵜呑みにしているといえばそれまでですが、あたかもメンテナンスフリーのほうが長持ち、長寿命であるような感覚さえ抱いてしまいます。そして、住宅のつくり手自身が、手入れが必要な住宅より、手入れの要らない住宅のほうがいいと思ってつくっています。それでもOMソーラーに取り組む工務店は新建材を使う比率は少ないほうだと思いますし「地域の材料でつくる家」とか、「大工がつくる家」ということを訴えています。ロングライフデザインと似たような言葉ですが、OMではパッシブデザインという価値を訴えています。ただ、パッシブデザインすら陳腐化と同様の位置付けになってしまっている感じさえします。ナガオカさんは長くロングライフデザインを世間に発信してこられ、実際にD&Dの店舗を展開されていますが、ロングライフという価値観が浸透してきている手応えのようなものはありますか。

うーん、難しい質問ですが、一つ確実にいえることは、人が移動する距離というのが縮まってきていますよね。移動のためのストレスも昔に比べ格段に少なくなりました。旅行ということも含め、実際に移動する人も量も増えていると思います。日本に限らず世界中の距離が縮まり、移動という概念が大きく変化してきたときに、地方や田舎に住んでいる人たちは、東京のようなことを真似しなくても、東京に行けばよくなりますよね。例えば15年くらい前の日本は極端に北欧に憧れていましたけど、北欧に憧れている人は北欧に行けばいいし、日本が北欧になれないことも分かっています。そういう状況になったときには、自分たちの土地でしかできないことが、すごく価値になっていくんだと思います。昔は、東京のような状況をつくることが地方や田舎にとっての価値だったわけですよね。今は全く逆で、東京にはすっと行けます。だったら、その土地でしか採れない農作物や果物を食べられることが豊かさだったり、価値になっていくはずです。例えば、石垣が美しい風景ってありますよね。その土地に暮らしていると、どうやっても出てきてしまう石を積み上げて、風景が生まれているわけです。わざわざどこかから建材として石を運んできてつくられた風景ではないわけです。どこかから石を運んできてつくられた風景も日本にはいっぱいありますが、それはどう見てもその土地らしくはないし、それを見て美しいとは感じないわけです。僕は静岡に引っ越したんですが、実のなる木を植えたくて植えてみたんです。でも地元の人からはこの土地では実をつけるのは無理だよって言われました。それでもなにくそと思って、いろんな肥料与えたりしてがんばってやってみたんですが、やっぱり無理で、その土地で採れるものの美味しさがある一方で、本来その土地では採れないものの不健全さ、違和感というのも絶対にあるんだと思いました。僕が大好きな言葉に"風土"という言葉がありますが、その土地でしかできないことが最高の豊かさなんだろうと思います。だとしたら、家を建てる場合は、その土地でしか採れない材料で家をつくることが価値だし、その土地らしい暮らし方が豊かな暮らしということになりますよね。

「成長しない」ことにも価値がある

伝統的なモノづくりを大事にしてきた京都には、ロングライフデザインが溢れている。溢れているからこその難しさもあるよう。

伝統的なモノづくりを大事にしてきた京都には、ロングライフデザインが溢れている。溢れているからこその難しさもあるよう。

店舗にはギャラリーが併設されている。京都造形芸術大学の学生が企画したテーマをもとに展示が行われる場所。

店舗にはギャラリーが併設されている。京都造形芸術大学の学生が企画したテーマをもとに展示が行われる場所。

―無理があるとそれを人は敏感に感じるんでしょうね。馴染んでいるとか、景観と調和しているというか、理屈ではなく感覚がそういうことの根拠になっている気がします。

そうなんですよね。僕はマンション住まいが長かったんですが、マンションを探すときに一番重視したのがエントランスでしたね。エントランスって共有スペースですよね。個々の部屋はともかく、エントランスやそこにいたるピロティやアプローチといった場所に品があるかどうか、気持ちよいかどうかを重視しました。「帰ってきたー」という感覚を大事にしたかったんです。そのためには、まず街が気持ちよいかどうか、そして集合住宅だったらアプローチやエントランスが気持ちよいか、そして自分の家の玄関を開けたら気持ちよいか、その3段階なんだと思います。都会に出てきた人が田舎に帰ったときに、「帰ってきたー」と感じるのと同じです。北九州で育った人は、煙突がいくつもある工業地帯の風景が、帰ってきたーと感じる風景ですよね。帰ってきたことを実感できる風景があるかないかって、とても重要なことだと思うんです。

―ところが、地方都市の駅前で再開発されている風景はどこも似たり寄ったりのミニ東京といった風景で、これでは帰ってきた感は薄いですよね。

ここが名古屋なのか京都なのか大阪なのか、よく違いが分かりませんよね。水戸岡鋭治さんというJR九州の車両のデザインをされているデザイナーがいますが、彼は「路面電車はスピードが遅いほうがいい」と仰っています。それは街を丁寧に見ることができるからだといいます。移動することの価値は、極端に速くなるか遅くなるかのどちらかだと語っていました。経済的な価値観からすると、「速い」だけが価値でしたし、今でもそれを信じ込んでいる人もいますが、それは確実に崩れてきていると思います。「遅い」ことにも価値があるんだよ、言い換えると、成長しないことにも価値があるんだよ、ということです。そういう価値観の中に今の若い人たちは突入していくことになるわけです。お寺の中にお店ができたことはとても象徴的ですが、トレンドのど真ん中に商業施設があるということに何も魅力を感じなくなってしまいましたね。

―遅いことの価値、地域の価値、気持ちよいことの価値、調和していることの価値など、これらの価値はいずれも目に見えない価値、つまりお金に換えられない価値といえますが、こういう価値を見える化できないものかいつも思います。でもその一方で、見える化した途端に陳腐化されてしまうようにも思います。むしろ目に見えないから価値なのかもしれません。ナガオカさんはD&Dのお店は、なるべく立地の悪いところに出したい、可能ならお客さんもカードキーを差し込まないと店に入れないようにしたいと仰っているのを何かで読んだことがありますが、この話はやはり、価値観を共有できるお客さんだけに来て欲しいということかと思います。でもその一方で、ロングライフデザインやパッシブデザインといった価値がより多くの人の価値になっていかないと日本はまずいことになるなと感じるんですが。

デザイン運動は民芸運動という面も

うーん、価値感の問題ですもんね。悪い立地に出すというのは、仰るとおり価値観が共有できないと、どんなにその価値を説明しても時間がもったいないということの裏返しです。それと、価値観が共有できないと、その価値も前進していくことができないわけですよね。本当は会員制にしたいぐらいなんです。これからは、というかすでに水面下では会員制がビジネスの基本になりつつあると思いますね。共通の言語でその価値を高めていくということです。

―かくいうOMソーラーも会員制ですが。やはり、パッシブデザインの考え方に賛同・共感した工務店が仲間になっているし、何より大きかったのが"デザインの力"だったと思います。業界の中ではOMがやったことは「建築家と地域工務店が協働した建築デザイン運動」と呼ばれていたりします。会員になった工務店は、パッシブなんていう見えない価値にではなく、美しいデザインの家、地域に根差した建築の姿、環境と調和した住まいのあり方にこそ賛同し、共感されました。そしてそのデザインの根幹にあるのが民家や町家などの伝統的な日本の家の佇まいだったわけです。

民芸運動に通じる話ですよね。とてもよく分かります。ロングライフデザインやパッシブデザインの価値観に共感できる人は確実に増えていると思います。今は個人がメディアの時代じゃないですか。意識のある人は意識のある人の話しか読まないし、やはり淘汰されるものは淘汰されていくだろうと思います。良い物であれば残るだろうし、未来にとって必要なモノが残っていく。ある意味、黙っていてもそういう選択がされていくだろうと思います。だから、僕はあんまり不安に思っていません。10年くらい経ったら全然違う世の中になっていると思いますよ。

―わかりました。勇気をもらった気がします。ところで、今回京都に出店されたわけですが、京都というと日本一伝統的なモノが数多く残っている場所ですよね。そのことがD&Dにとってやりやすいのか、逆なのか、そのあたりはどうお考えですか。

「受け身」だから続いてこられた

記者発表にてオープンまでの経緯や取り組みの概要について説明するナガオカ氏。記者からは採算性や学生の関わり方などの質問が出た。

記者発表にてオープンまでの経緯や取り組みの概要について説明するナガオカ氏。記者からは採算性や学生の関わり方などの質問が出た。

お店の看板の前で手を組む三人。ナガオカ氏を挟んで写真左手が京都造形芸術大学の学長・尾池和夫氏、右手が真宗佛光寺派の宗務総長・佐々木亮一氏。

お店の看板の前で手を組む三人。ナガオカ氏を挟んで写真左手が京都造形芸術大学の学長・尾池和夫氏、右手が真宗佛光寺派の宗務総長・佐々木亮一氏。

佛光寺のシンポルである銀杏の大木を挟んだ店舗右向かいにはカフェがある。

佛光寺のシンポルである銀杏の大木を挟んだ店舗右向かいにはカフェがある。

椅子は和室に馴染む山形県「天童木工」の名作椅子。京都の食材を活かしたメニューも豊富。

椅子は和室に馴染む山形県「天童木工」の名作椅子。京都の食材を活かしたメニューも豊富。

確かに京都はロングライフデザインの塊のような場所です。ただ、僕らは積極的に出店を進めているわけではなくて、あくまで受け身でやってきています。ここも同じで、ここで手を上げる人がいたので、だったら一緒にやろうということで始まったに過ぎません。たまたまここでは学校から手が上がったわけですが、そのことをとても注意深く考えるようにしています。デザイナーのたまごを生むべく教育機関が手を上げたわけで、学校からみて京都がどうなっていくのかを知ることはとても意義深いことだと思いますし、京都すら新しいことを生み出していかなくてはいけない、デザインに新しい価値を与えていかなくてはいけないと考えられたわけで、その問題意識にどう関われるのか興味深いところです。前提として京都は"守る"べき場所で、どう守り続けられるかが問われるわけですね。ときには守るために変えたり、守るために新しいモノを生み出すことも必要で、新しいモノをどう生み出したらよいか、迷っているところがあるんだと思いますね。

―"守るべきものがある"ことの難しさですね。

教育機関からみたその土地のロングライフ性ってあるんだろうと思いますね。それをプログラムに落としていったときに、東京とか大阪とか、別の場所で教育するわけにはいかないですよね。京都という環境や生態系の中でしか解決できないということがデザイン教育の本質なんだと思います。どうなっていくのか面白いと思います。僕らはいつも受け身なので、コンサルみたいなもんです。ヒアリングして答えを聞き出すということが基本です。そして当然、土地毎に答えが違うわけですね。

―受け身とはいえ、ずっと続いているというのは凄いことだと思います。むしろ、受け身だからこそずっと続いているようにさえ思います。

途切れないですよね。最初は自分たちでつくったスキームのようなものがあって、直営で店をやり始めたわけですが、それを見て手を上げる人が出てきたわけで、それはそういう欲求があるってことですよね。ただ、飲食もやることをルールとして課していて、飲食に関しては素人だったりするので、静岡店はたまたま飲食店がD&Dをやっているので比較的上手くいっていますが、そのあたりのサポートは本部としてのD&Dの役割だったりします。そこはやはり商売ですから、接客したり、配送したり、伝票書いたり、電話で受け答えしたりという基本的なことがまずできないといけません。

―価値観とビジネスのせめぎ合いはやはりあるんだと思いますが、お寺でやれるというのはある意味救いというか、価値観を発信する意味でとても意義深いことだと思います。以前、東京R不動産の馬場さんが、公共や共有のスペースをどう活かすかで街の姿が変わっていくということを仰っていましたが、お寺はまさにそのような空間だと思います。京都にとってお寺はそういう意味で象徴的な場所です。

お寺でやることの意味や、求められていることを大事にしながらやっていきたいですね。

―これからもD&D京都店の取り組みに注目していきたいと思います。今日は貴重な時間を割いていただき、本当にありがとうございました。

ナガオカケンメイ(ながおか・けんめい)

1965年北海道生まれ。デザイン活動家。京都造形芸術大学教授。武蔵野美術大学客員教授。1990年日本デザインセンター入所。原デザイン研究所設立に参加。2000年、東京・世田谷でロングライフデザインをテーマとしたストア「D&DEPARTMENT」を開始。2002年より「60VISION(ロクマルビジョン)」を発案し、60年代の廃番商品をリ・ブランディングするプロジェクトを開始。2009年より旅行文化誌『d design travel』を刊行。2012年より東京・渋谷ヒカリエ8/にて47都道府県の「らしさ」を常設展示する、日本初の地域デザインミュージアム「d47 MUSEUM」を発案、運営。2013年毎日デザイン賞受賞。http://www.nagaokakenmei.com/

ナガオカケンメイ(ながおか・けんめい)