第46回:中島デコさん

「この人に聞きたい」第47回目は、、玄米菜食・自然食材にこだわった料理法であるマクロビオティック料理研究家の中島デコ氏です(親しみを込めて以下、「デコさん」と呼ぶ)。1999年、写真家のエバレット・ブラウン氏との結婚を機に、東京から千葉へ居を移したデコさんは、料理教室だけでなく、自家栽培した旬の食材で作った料理を提供するカフェや古民家を改修した宿泊施設、農体験イベントやセミナーの開催など、自然と共に生きる暮らし体験ができる場として「ブラウンズフィールド」を運営。オーガニックな野菜やお米だけでなく、季節に応じて醤油や味噌、梅干などの調味料や発酵食品も作るなど、持続可能な暮らしを自ら実践しつつ、世界各地から学びたいという若者を受け入れています。
五人の子どもを育て、地に足の着いた生き方を貫いているデコさんは、「多くの人に早く気付いてほしい」「気付くのに遅いということはないのだから」とキラキラした目で語り掛けます。今回は、料理のレシピではなく、背景にあるデコさんの生き方、考え方について伺うことにしました。
(文/2014年11月現在)

人間の身体は、自分が食べたものでできている。

「気持ち」や「心」も作っている

写真:北川大祐さん

―ありきたりの質問ですが、まずはマクロビオティック(以下「マクロビ」と呼ぶ)の道に入られたきっかけというか経緯を教えていただきたいのですが。

食事に気を使うようになったのは、特に大きな病気をしたとかではないんです。マクロビと出会ったのは高校生の頃でしたが、バイト先の先輩から教えてもらいました。ただ、その頃は知識としてそういう考え方があることを知っていたに過ぎなくて、深く理解していたりとか、実践していたわけではなかったんです。でも、その時に”人間の身体は自分が食べたものでできている”という最も基本的な認識を得ることができたのはその後のことを思うと大きかったのだと思っています。健康に対する意識が社会全体として高まってきた今でも、そういう認識を持っている人は実は少ないように感じます。

―食事そのものが”事務的”に捉えられている面が少なからずあると思います。”何かお腹に入れておけばいい”であったり、その埋め合わせとして健康食品に依存したりなど。

忙しくて食事が後回しにされているんです。良くないと分かっていても添加物が入ったものをついつい口にしてしまいます。身体は食べ物でできていると話しましたが、作っているのは身体だけではなくて、同時に”気持ち”や”心”も作っているんです。心と身体は一体であって、そして、それらは私たちが自ら身を置いている”環境が姿を変えたもの”に過ぎないのです。でも、高校生だった私は、母親に玄米でご飯を炊いてもらったりするくらいで、十代後半から二十代前半、とくに一人暮らしをしていた頃の食生活は酷いものでした。ファーストフードのお店やファミレスに行き、たくさんお酒も飲んだし、タバコも覚えました。ただ、年頃になり、結婚することになったとき、自分の子どものことを考えるようになり、マクロビで教わったことが自分の中で蘇ってきたのです。

―結果、五人のお子さんを育てられました。

はい、私自身、たくさんの兄弟の中で育ちましたし、自分の子どももたくさん欲しいと子どもの頃から思っていました。ですから余計に『このままじゃまずい』と思ったんでしょうね。食べ物で自分の身体はできている、そして、その身体から新しい命が生まれてくるわけですから、それまでの不摂生を悔い改めるしかなかったわけです。ずっと気になりながらも実践できていなかったマクロビでまずは自分の身体をつくり、子育てをしていこう、そして楽しい家庭を築いていきたいと心に決めたわけです。

―自分も含め多くの人は、いつ訪れるか分からない病気や不調よりも、”事務的な食事”を優先してしまいがちです。あるいは『健康』と謳われている食品などの場合は”確信的”に摂られているわけです。また、『食べ物』だけでなく、『食事』という行為そのものも、様々な流通、サービスが発達した今では、自分で作ることすら特別なことになりつつあります。食べ物や食事の優先順位が上がっていくには、別の何か(時間や手間)を犠牲にするとか、我慢(味や好み)するといった感覚なのかもしれません。

申し訳ないけど、相当美味しい

「ライステラスカフェ」遠景。

「ライステラスカフェ」遠景。

ブラウンズフィールドの田んぼ。

ブラウンズフィールドの田んぼ。

自らの身体や子どもたちの身体をつくっていること以上に優先すべきことがあるのか私には分かりませんが、少なくともマクロビの食事は相当美味しいですよ。これは本当のことです。マクロビが精進料理的に捉えられている面もあるのかもしれませんが、逆に、とても贅沢な食事だし、味だってメチャメチャ美味しいんです。我慢しているなんてとんでもありません。私たちは本当に美味しいものを食べさせてもらっていて、世の中の人には申し訳ないと思うくらいです。この味を知らないなんて、みんな可哀想だなと、『ゴメンネ!』って感じです(笑)。

ただ、今思えば確かに最初は我慢だったかもしれません。最初の2、3年はそれまで食べてきたものを我慢して、料理を覚えて、料理の腕を上げていって、自分で食べたいものが作れるようになる、また、いい食材を見極められるとか、吟味できるようになると、自ずと身体も変化してくるんです。そうなればもう我慢ではなくなりますよね。そして、仲間を見つけ、意識を共有できる友だちが増えていけば、楽しくてしょうがなくなるんです。やっぱり申し訳ないんだけど、すごく楽しいんです(笑)。これは強がりでも、気取っているわけでもありません。「知らない人は早く知ってよ!」って、つい小さな声で囁いてしまうんです。

―”小さな声”というのがポイントですね。

そうなんです。美味しいし楽しいんだけど、だからといって他人に押し付けられることではありませんから。押し付けられると逆に嫌がられるだけですもんね。だから聞いてきた人にはちょっとだけ教えちゃいます、という感じです。「食」は人間の本質的な欲求の一つですよね。他人から押し付けられるものではないし、長い時間を掛けて身に付いてしまった習慣はなかなか変えられるものでもありません。だから、実際に病気になってみないと変えられないわけです。でも病気になってから変えるのでは身体にとっても大変です。だから、早く気が付いてほしいし、早く知ってほしいと思うんです。

―OMソーラーの快適さも、似たようなところがあります。気付いてもらうしかない。

そうですよね。私も気付くのが遅かった―。近隣の友人の家がOMソーラーの家を建てたんですが、そこまで快適だとは思わなかった。OMのことは前から知っていただけに、今はもったいなかったと思っています。彼女の家が羨ましい。

実は「料理」しなくていい

―マクロビだって、病気にならないまでも、早く気付かないのは”もったいない”ことですよね。

ホントに。人生がもったいないよ〜。人生やったもん勝ちだし、決してハードルは高くないわけですから。

―確かに、「ハードルが高い」とか、「そこまで徹底できない」という固定観念のようなものが邪魔している可能性はあると思います。

全然ハードル高くないですよ。ご飯と季節の野菜が入った具沢山の味噌汁、それに塩もみした野菜をちょっと添えたくらい、というのが普段の食事です。で、たまに本にあるようなご馳走をつくることもある、といった程度です。自分で本を書いておいて申し訳ないけれど、あんな料理滅多に作らないですよ。日常は”ご飯と味噌汁”です。

―本を片手に頑張って料理するのは特別なときだけで、どちらかというと日常の食事が疎かにされている感じもします。もちろん、ハレの日に腕を振るうことを否定しませんが、特に『食』に関しては”日常こそ大事”なのだと思います。

変な言い方ですが、料理って、素材さえ良ければ料理しなくてもいいんです。実は。つまり、旬の採れたての野菜、昔ながらの種から育てられた土地の食材、自分で手塩に掛けて育てたお米や味噌、醤油があれば、それだけで十分に美味しいんです。味噌汁なんて料理って感じじゃないでしょ。水に野菜入れて味噌を溶くだけなんだから。ご飯だって炊けばいいだけです。本当に料理なんてしなくていい。元気のない野菜は、煮たり焼いたり絡めたりして、いろんなことして食べないといけないけれど、採れたてのキュウリやトマトなんて、塩をちょっと振って食べれば本当に美味しい。そのことは、本当はみんな知っているはずなんです。でも、ああしなきゃいけない、こうしなきゃいけないと自分で勝手に捏ね繰り回したりして、肩肘張る必要なんてないんです。ちょっと昔の日本で当たり前のようにやられていたことであって、いろんなものを手づくりして、質素に食べていた食事をもう一度見直しましょう、本当の和食をもう一度取り戻しましょうということです。ただ、単に昔に戻ればいいということではありません。良い伝統を受け継ぎつつ、現代人でも食べやすいようにアレンジすることが大事です。それだけのことです。昔はどの家でも味噌や醤油は手づくりしていましたよね。

「選択する」と「投票する」は同じこと

デコさんご家族が暮らす母屋。

デコさんご家族が暮らす母屋。

ツリーハウス。ブラウンズフィールドに集まったスタッフたちが暮らしている。

ツリーハウス。ブラウンズフィールドに集まったスタッフたちが暮らしている。

やぎと子どもたち。取材に伺った日は、子どもキャンプが行われていた。

やぎと子どもたち。取材に伺った日は、子どもキャンプが行われていた。

―身体が変わっていくというお話がありましたが、お袋の味、家庭の味はもはや死語になりつつあり、子どもたちの舌(味覚)はファーストフードの味付けに馴らされています。

とてもまずい状況ですね。お母さんたちに考え直して欲しいです。

―化学調味料による味付けが子どもたちの舌や身体に刷り込まれ、化学調味料の味でないと物足りなく感じてしまう。それはデコさん自身も体験したことですよね。

意図的かどうかは別として、子どもたちは企業にとって大事な大事な将来のお客さま候補です。自分でお金が使えるようになったら来てもらわなくてはいけません。”味を覚えさせる”というのは、良くも悪くも記憶として身体に刻まれてしまうことになります。ファーストフードに限らず、スナック菓子やジュースも同じです。お母さんたちに頑張ってもらって、お菓子の袋ではなく、本当の”お袋の味”を子どもたちの身体に記憶させてほしいと思います。何も最初から味噌や醤油を手づくりしろと言っているわけではありません。自分で作らないまでも、確かな人が作ったものであったり、ちゃんと吟味して食材を選ぶことからはじめてみてください。

―まずは『選択する』ところからですね。

そう。”選択する”ということは”選挙で投票する”ことと同じです。食事をしたり、商品を購入するということは、そのレストランやメーカーを支持していることに他なりません。支持すべきかどうか、支持することでどんな世の中になりそうか、日本という国がどんな国になるのか、きちんと自分で考えてから選択してほしいですね。

―もしかしたら好きで選択しているわけではないという場合もあるかもしれません。選択せざるを得ない状況、たとえば「忙しい」「時間がない」などの理由で。コンビニやファーストフード店は、どんな状況でも選択肢になり得るための、ありとあらゆる戦略を巡らせています。あたかも、知らず知らずのうちに選択してしまっているかのようにです。

そういう場合でも、一度立ち止まって考えることです。気付くのに「遅い」ということはありませんから。それと、選択してしまったことや、自分ができていないことに対して、後ろめたさを感じてほしくないですね。食は、どんなときでも楽しくなければ意味がありませんし、どんな食事でも楽しんでいいんです。”楽しむ”ということが食を前進させる推進力になりますし、何より健康でいられる秘訣です。それはマクロビの教えでもあるんです。

「動き」や「話し」が全然違う

ここでも子どもたちを対象にしたキャンプをよくやりますが、小さい頃からファーストフードの食事で育ったお子さんと玄米菜食で育ったお子さんではハッキリと違いが分かります。身体の動きや話の内容が全然違うんです。あまりにも違うので、あっけに取られるほどです。例えば、同じ立っているにしろ、ファーストフードで育った子はふわふわした感じなのに対して、玄米菜食で育った子どもはしっかりと地に足が着いている感じがします。動きもクリアで、何をするにも集中している感じがするんです。話をしても内容は子どもらしいことなんだけど、話の順序は理路整然としていて辻褄があっている、頭がよく回転していることを感じます。目が輝いているし、肌もキラキラしていて、何より”感覚”が素晴らしいのです。それに対して、ファーストフードの子どもは何をするにもふわふわしていて頼りない感じで、動きが危なっかしいのです。話もあっちにいったりこっちにいったりで、言いたいことがよくまとまらない感じです。

もちろん、これらの違いが全て食べ物だけにあると言っているわけではありません。食べ物の背景、つまり、ファーストフードを簡単に与えてしまう親の問題、その親とのコミュニケーションの問題、外食に依存せざるを得ない家庭環境の問題など、普段口にしているものは、これら総合的な子育ての環境を象徴しているといえるのです。危なっかしい子たちが一クラス40人いたら担任の先生はさぞかし大変だろうなーと、つい思ってしまいます。昔はそうじゃなかったんじゃないでしょうか。

―小学校でも食に気を使う母親は少数派で、むしろそんなことを気にしているなんて”変わり者”という感覚です。

でも、その”変わり者”が増えているから大丈夫です。まあ、今のところ少数派ということは仕方ないけれど、いろんな分野でたくさんの人たちが気付きはじめています。このあいだも小学校の先生がここに来て、「私、給食食べるのが辛くて、どうしたらいいでしょう?」と言ってましたし、お医者さんが来て「私、気付いてしまって、外科医をやっているのが辛いんです」って言ってました。この前なんて、大手化学メーカーから「来てください」と呼ばれて、思わず「御社で何を話すんですか?」と聞いてしまいました。

―よく声が掛かりましたね。きっと大手のメーカーの中でもジレンマを抱えつつ仕事をしている人は少なくないのでしょうね。

それだけメーカーも必死なんだと思います。モノが売れなくなってきているんです。大量生産・大量消費が頭打ちになってきているということです。そして、”おかしい”と思いはじめている人も増えてきて、少数派では片付けられなくなってきたわけです。だから、変わり者の代表みたいな私に聞いてきたんです。「デコさんにとってキレイ(清潔)なカタチとはどんなカタチですか?」と聞かれたので、「とりあえず、”除菌、殺菌、滅菌”というのはやめてください。私たちは菌とともに生きているので」と言ったのを覚えています(笑)。もちろんまじめに答えたわけですが、最後に「循環するカタチ(サスティナブル)こそ、キレイなカタチなんじゃないでしょうか」と話したら、そこにいた大勢の人が「うん、うん」と頷いてくれていました。

「循環の環」の中にあるかどうか

慈慈の邸(じじのいえ)。伝統的な古民家を感性豊かな建築家、左官、大工、庭師等が集まって改修。宿泊施設として開放している。

慈慈の邸(じじのいえ)。伝統的な古民家を感性豊かな建築家、左官、大工、庭師等が集まって改修。宿泊施設として開放している。

慈慈の邸の食堂。写真左の竃のような部分にはロケットストーブが納まっている。

慈慈の邸の食堂。写真左の竃のような部分にはロケットストーブが納まっている。

―企業の側も、「除菌、殺菌、滅菌」とパッケージに書いたほうが売れるから書くわけですよね。

そうなんですよ。だから買わなきゃいいんです。選択する前にちゃんと考えてみる。菌を排除することがどういうことなのか。悪い菌だけでなく、人間にとって必要な常在菌まで排除してしまえば、元々私たちに備わっている免疫力まで排除してしまうことに繋がるわけです。生命としての循環の環を絶ってしまう行為ですよ。人間にとって一見、都合の良いことでも、実は自らの首を絞めている可能性だってあるわけです。大事なことは循環の環を絶つことではなく、循環の環の中にあるかどうかです。環の中にあるものしか買いません、そうすれば、企業は環の中にあるものを作らざるを得なくなります。

―買う側も、実は「除菌、殺菌、滅菌」をどれほど重視しているかといえば、それほどでもないのが実体ではないでしょうか。「何もないよりは、除菌されていたほうがいい」とか、「同じ値段なら、少しでも機能が多いほうがいい」といった具合で、そんなに困っていない、大して重視していないのに選択している。その程度のことが、本来必要とされているものまで排除している、あるいは排除してしまうリスクになっているとしたら、とてもバカバカしい話です。売る側は、基本的に都合の良い情報しか出しません。社会的なリスクをどの程度長期的な視点で評価しているかといえば疑わしいし、求められないことかもしれません。だからこそ、買う側の”選択”はとても重要なのだと思います。本来は、売る側も買う側も、あるいは生産者も消費者もないはずです。どちらでもあり、立場に関係なく大事なことを共有できる社会になればいいですね。

本当にそう思います。食べ物だけではないですよね。エネルギーのこと、経済のこと、政治のこと、いろんなことに通じているお話だと思います。立場に関係なく、大事なことが何かを発信している企業がこれから支持されていくことになると思います。

―正直いって、長期的な評価は誰にも分からない。だけど、何が大事なことかくらいは分かりたい。その時に数少ない信用できるものが”感覚”なんだと思います。先ほどの子どもたちの話ではないですが、感覚が素晴らしい子どもたちが増えていくことは、明るい未来をつくることと同じではないかと思います。

世の中全体が良くなっていく

慈慈の邸の台所。ここで料理教室も行われる。

慈慈の邸の台所。ここで料理教室も行われる。

慈慈の邸の路地。風呂は外にあり、路地を抜けていく。

慈慈の邸の路地。風呂は外にあり、路地を抜けていく。

子どもはなるべく自然の中で育てたいですよね。自分が出した”うんち”を、子どもたちは汚いものだと思っているけれど、本当はうんちだって循環の環の中にあるものです。トイレで流してしまえば、あっという間に見えなくなってしまって、あたかもこの世に存在してはいけないもののように消えてなくなりますが、ちゃんと環の中にあるべき存在です。そのことを、子どもたちに体験的に教えていくことが重要だと思います。

私はマクロビと出会ったことで、”食”を通して森羅万象、様々なものの原理原則を学んだ気がしています。マクロビにずっと取り組んでこられたのは、考え方が理に適っているというか、辻褄があっている、と思えたからでした。そして、この通り健康でいられるわけです。それから、マクロビの背景にある考え方は、どんな分野にも通じているのではないかと思いました。食だけでなく、エネルギーや経済、政治のこともマクロビで何とかなるんじゃないか、と思えるんです。ここでたくさんの人を受け入れているのは、マクロビのことを広く知ってもらい、一人でも一家族でも多く健康的な暮らしをする人が増えていってほしい、という思いとともに、マクロビの考え方が浸透することで、世の中全体が良くなっていく、良い方向に向かうのではないかと思っているからです。

マクロビをはじめて病院に行くことがなくなったとか、薬を飲むことがなくなったという話をたくさんの人から聞きます。健康になるということは、医療費や介護費が削減できたり、病院の数が少なくできたりするわけです。そこに掛かっていたお金や人材は、循環の環の中のことに使えるようになり、善循環の形成に役立つことになるかもしれません。これはあくまでマクロビを発端とした端的な話に過ぎませんが、入り口は何だっていいんです。OMソーラーだって同じですよね。食や建築以外の分野にもきっと同じ考え方があるはずです。それらが選択されはじめたら、世の中は堰を切ったように一気に良い方向に向かうのではないかと予感しています。

一度ここに来てくれた人が、今は子どもたちを連れて来てくれます。去年、吸入器を持ってここに来た子が、今年は吸入器を持たずに来てくれました。その子の顔を見た瞬間、本当にマクロビをやってきて良かったと思いました。その一つ一つが、お母さんたちの考え方が変わり、お母さんたちが手づくりのご飯を作ってくれるようになった結果なんです。予感の根拠は、そういうことが積み重なってきているからです。

―食はもっとも基本的な行動です。食が変われば、暮らしが変わる、生き方が変わっていく。その波及効果はとても大きいのだと思います。きっかけさえあれば、きちんと選択されていき、その輪は広がっていくのだと、今のお話を伺って思いました。

とりあえず「包丁」と「まな板」

そうなんですよ。しかもそのハードルは決して高くないんです。大変だと思っている人が多いと思いますが、実際にやってみると次々に楽しくなるし、身体が変わっていく、気持ちが変わっていくことが実感できると思います。いつもイライラしていた人が、イライラしなくなったとか、すごく嫌な人に対してもニコニコ対応できるようになったとか、嫌なことがあっても前向きに考えられるようになったとか、そういう話もたくさん聞きます。そういう話をすると、「宗教っぽい」と思われますが本当のことです。私がマクロビをはじめた頃も、「友だち無くすよ」と言われたりすることもありましたが、そういう人たちが今は旦那さんが糖尿病だとか、緑内障でもうじき目が見えなくなるとか言って、私のところに相談に来るんです。つい「遅いよ!」って言っちゃうんですが、もちろん、遅くなくて、気付いたときからはじめればいいし、最初から完璧にやろうなんて思わなくていいんです。とりあえず、包丁とまな板を買いましょう。電子レンジは要りません(笑)。

―そうですね。食が変わると、自分や家族にとって何が必要で不要なのか、見えてくるのかもしれません。そして、きっと住まいに対する思いも変わるのだろうと思います。今日はとても貴重で、とても面白いお話、本当にありがとうございました。

中島デコ(なかじま・でこ)

マクロビオティック料理研究家。東京生まれ。1986年から自宅にて料理教室を開き、2男3女、5人の子どもを育てあげた経験に基づく料理指導が、多くの母親たちの支持と共感を得る。1999年フォトジャーナリストの夫とともに千葉県いすみ市に田畑付き古民家スペース「ブラウンズフィールド」を設け、世界各国から集まる若者達とともに、持続可能な自給的生活をめざす。2006年にマクロビオティックカフェ「ライステラス」を2012年に宿「慈慈の邸」をオープンさせる。現在、ビオクラスタイルクッキングスクールをはじめ、国内外で講演会や料理講師として活躍中。著書に『中島デコのマクロビオティック パンとおやつ』『中島デコのマクロビオティック 玄米・根菜・豆料理』(すべてパルコ出版)『生きてるだけで、いいんじゃない』(近代映画社)など著書多数。「ブラウンズフィールド」http://www.brownsfield-jp.com

中島デコ(なかじま・でこ)