第41回:宮脇昭さん

「この人に聞きたい」第41回目は、「日本一たくさん木を植えた男」と称される植物生態学者の宮脇昭氏です。宮脇氏は、師であるドイツの植物生態学者、ラインホルト・チュクセン教授が提唱した「潜在自然植生」という概念を学び、国内外で通称「宮脇方式」と呼ばれるポット苗による「混植・密植型植樹」という独自の植樹方法に長年取り組まれてきました。「潜在自然植生」とは、「原始植生」、「現存植生」という既存の植生概念に「時間」というファクターを加えた第三の概念であり、人間による影響がなくなった場合のその土地本来の植生を意味しています。宮脇氏は「土地本来の森こそ、私たちの生命を守ってくれる」「人工の森であっても生態学的に見て、その土地本来の森をつくることができる」と、潜在自然植生による森づくりを提唱し、「〝小さいから無理〞とは言わせない」と、家庭の庭などの小さなスペースでも〝いのちの森づくり〞は可能だと訴えます。今回は、宮脇氏の「いのちの森づくり」そして「いのちの庭づくり」について伺ってきました。(文/2013年11月現在)

ホンモノの木による、ホンモノの森が、私たちの命を守る。

DNAを未来に繋ぐために生きている

写真:宮脇昭さん

―日本に限らず世界的にも、都市に住む人の割合が増え、森と人の関係はますます離れている気がします。

私たちの生命は40億年以上も前に地球上に生まれてから連綿と続いてきたDNAの糸によってもたらされたものです。40億年のうちの大部分は地上では生命の存在が許されない状況でしたが、海の中に植物(藻類)が生まれ、ガス(大気)の層ができたことによって生命が陸上へ上がることができました。今、温室効果ガスが問題になっていますが、そもそもこれらのガスがあったからこそ私たちの祖先は陸上に出られたのです。生命が生まれて以降も何十回以上の地球規模の環境変化が起こり、ある生き物は絶滅し、ある生き物は危機をチャンスに変えて生命の糸を繋いできました。私たち人類が生まれたのは約500万年前、地球の歴史を1年にしたとき、除夜の鐘が鳴り始める頃ですが、そのほとんどは森の中で猛獣に慄きながら木の実子を拾ったり、若草を摘んだり、小川で小魚を捕らえたりしながら生き延びてきました。現代を生きる私たちからすると、立派な家に住み、冷暖房をつけて何不自由ない暮らしが当たり前ですが、そのほとんどは石油化学製品など「死んだ材料」によって支えられているのが現実です。

―それまでの「森」の中で生きてきたこととは対照的です。

人の手によってつくられた明治神宮の森。土地本来の木々が育っている。

人の手によってつくられた明治神宮の森。土地本来の木々が育っている。

子どもたちは物心つく頃からあらゆる「情報」や「バーチャルな世界」に晒され、ボタン一つで欲しいものが手に入り、リセットすれば死んだものも生き返るという、科学・技術で何でもできるという感覚を植えつけられています。しかし、現実には人間も他の生き物と何ら変わらないわけです。食べること、眠ること、子どもを産むこと、「生きている」ことです。人間が他の生物と違うのは、二足歩行により両手が使えるようになったこと、大脳が発達したことで記憶し、過去に学び、未来を展望することができるということです。ただ、そのことが「邪魔なものを全て排除」し、「人間にとって都合の良いものだけを残す」といった、刹那的な欲求を満たすことに働いてしまっています。「まだ足りない、まだ足りない」と、エネルギーを求める矢先に起こったのが巨大地震でした。どんなに科学・技術を駆使して予測したところで、40億年以上の地球の歴史を全て予測できるはずがありません。私たちが予測できる範囲は「点」にしか過ぎないのです。ギネスブックに載った釜石市の防潮堤を津波はあっけなく乗り越えてしまいました。私たちは、「何でも自分たちの思い通りになる」、「何があっても自分たちだけは生き残る」という過信を捨てることです。そして、子どもたちに命の大切さや、生きることの意味をきちんと伝えていかなければなりません。「親が勝手に生んだのだから、いつ死んだっていい」のではなく、私たちが生まれたのは連綿と続くDNAの糸によってであり、人類の未来のためにDNAを残す一里塚として与えられた100年余を懸命に生きるということです。

日本の大部分は「シイ・タブ・カシ」の森

―私たちは〝生かされている〞ということですね。

日本は美しい自然に恵まれている反面、地震などの自然災害の多い国でもあります。世界の文明国の中では唯一日本人だけがふるさとの森と共存してきた民族で、全国各地に今でも残されている「鎮守の森」はその象徴です。もちろん、新しい集落をつくるときには、森を破壊し、田んぼや畑をつくるわけですが、必ず「ふるさとの木によるふるさとの森」、つまり「鎮守の森」を創り、残してきました。個々の民家でも、北風、西日を防ぐために北と西には土地本来の植生(潜在自然植生)による立体的(高木・亜高木・低木・草本)な植栽が施され、地震や暴風、火事から家屋や人々を守ってきました。ところが戦後、日本の多くの都市が廃墟になりましたから、たくさんの住宅をつくるための材料として、山にはスギやヒノキ、マツなどの針葉樹が大量に植えられるようになりました。かつて、日本列島の98%は森でした。そして、その大部分は冬も緑の常緑広葉樹林でした。私が60年かけて日本中の植生を調べた結果、日本列島の太平洋岸では岩手県の釜石の北まで、日本海岸では山形県の酒田や秋田県の南部までタブノキが自生していました。日本の人口、約1億2千万人のうちの実に92・8%の人が定住している地域の潜在自然植生は、「シイ・タブ・カシ類」などの常緑広葉樹です。現在では、残された鎮守の森、屋敷林、傾斜林などを含めても、常緑広葉樹林は本来の森の領域である潜在自然植生域の僅か0・06%しか残っていません。日本に限らず、世界中の土地本来の森が姿を消そうとしていることを知り、私は大きなショックを受けました。

―人間の影響がそれほどまでに及んでいるのは驚きです。私たちが自然だと思っている風景のほとんどは、実は自然ではないということですね。

私はもともと雑草の生態学を研究していましたが、その頃はどの緑もホンモノだと思っていました。ドイツのチュクセン教授から招かれてドイツで潜在自然植生について学ぶわけですが、「厚化粧の上から触らずに中身を見ろ」と言われているようなもので、最初は忍術か何かだと思いました。そしたらチュクセンは、「今の若者には2つのタイプがある。半分は、見えるものしか見ようとしない輩。こいつらはコンピュータで遊ばせておけばいい。もう半分は見えないものを見ようと努力するタイプの若者だ。お前は後者のはずだ。自分の身体をセンサーにして徹底的に現場で調べ、比較することで本物を見分ける目を養え」と言いました。そして、私が現場、現場、現場の毎日に我慢できなくなり「ベルリン工科大の教授の話を聴きたい。ボン大学で本や論文を読みたい」と話すと、やはりチュクセンは「お前はまだ人の話を聞くな。誰かが話したことのまた聞きかもしれないぞ。お前はまだ本を読むな。そこに書いてあることは、誰かが書いたものの引き写しかもしれないぞ。話はいつでも聞けるし、本はいつでも読める。大事なことは、部分的あるいは結論めいた話や本にあるのではない。(中略)見たまえ、この大地を。見たまえ、この自然を。ホンモノのいのちのドラマが目の前で展開しているではないか。お前はまず現場に出て、目で見、匂いを嗅ぎ、舐めて、触って、調べろ」と言ったのです。そして、自然が発する微かな情報をどう読み取って、問題に発展する前にどう対策していけるか、それが人間の英知だと教えられました。

「潜在自然植生」の主木を探す

―ホンモノを見分けられる感性が問われているように思います。森から離れ、自然から離れていくにつれ五感は衰え、ますます人と自然の距離は開いていくのではないでしょうか。

私が渡独する2年前にチュクセンは「潜在自然植生」という概念を発表していました。それまでは植物集団を区別する概念は、人間が影響を加える直前の「原始植生」、今ある植生を「現存植生」という2つの概念しかありませんでした。「潜在自然植生」とはその2つに時間のファクターを加えた概念です。時間とは数千年前でも3日前でも同じです。現存植生に一切の人間の影響をストップしてもすぐに原始植生に戻るとは限りません。人間の影響をストップし、現在のその土地の自然環境の総和が支え得る、理論的に考え得る植生を意味しています。例えば、現存植生としてはアカマツの二次林の土地でも、原始植生は岩場など極端な立地に部分的に自生しているアカマツ自然林を除き、シイ、アラカシ、ウラジロガシなどのカシ類、ヤマモモなどの広葉樹林であったとします。山火事の跡地などではパイオニアとしてマツが最初に芽生えますが、土留めするなど少し自然環境を整えるとシイ、カシ類が育成してきます。この場合の潜在自然植生はシイ、カシ類であると判断できるのです。チュクセン教授は、この潜在自然植生の概念を新しい土地利用、緑環境の保全や再生の基本にしていくことを提案したのです。

―ヨーロッパは日本以上に森を失っています。土地本来の植生を見つけるのは難しそうです。

そう、現場に行ってもその土地の潜在自然植生が何であるかを判断するのは難しいことです。シラカンバが一本でもあって、ミズナラがあれば、ヨーロッパシラカンバ―ヨーロッパミズナラ群集であると考えられるし、ビート(サトウダイコン)が繁茂している場所でも、生垣にシデなどが使われているとしたら、ヨーロッパミズナラ―ヨーロッパシデ群集が潜在自然植生であると考えられるのです。特にドイツでは氷河時代に1000メートル以上の氷河から砂を運んできて、アスパラガスやジャガイモを栽培してきたという歴史がありますが、そういう場所では潜在自然植生はヨーロッパシラカンバ―ヨーロッパミズナラ群集だったりします。チュクセンにそう教えられても私自身はなかなか見分けることができませんでした。悶々とした気持ちでいる中、日本に帰国する話が出たとき、ふと子どもの頃のふるさとのお祭りが夢の中に出てきました。御前(おんさき)さんという無人の神社での神楽の様子でしたが、終わったあとの明け方のことです。境内の中は太くて黒い枝が空を覆っていました。「ひょっとしたらあの大木が潜在自然植生の主木ではないか」と、思いついたときに身震いしたことを今でも覚えています。このひらめきがあってからは急に気持ちが明るくなりました。帰国して早速、御前さんへお参りに行きました。境内にはウラジロガシとアカガシがあり、それがまさに、海抜400〜500メートルの中国地方における潜在自然植生の主木だったのです。100年以上も生き延びてきた光沢のある太い幹に見事な常緑の葉をつけた大木たちを見て「潜在自然植生の本物の木は長持ちするものだ」というチュクセン教授の言葉を噛み締めました。

ホンモノの木による、ホンモノの庭づくり

宮脇氏の長年に渡る現地調査の賜物『日本植生誌』。写真は中部地方の植生図。写真左から「潜在自然植生図」、「現存植生図」と断面図からなる「配分模式図」。

宮脇氏の長年に渡る現地調査の賜物『日本植生誌』。写真は中部地方の植生図。写真左から「潜在自然植生図」、「現存植生図」と断面図からなる「配分模式図」。

地域の「潜在自然植生」は、図書館などで誰でも閲覧できる。写真は「静岡県西部」の植生図。

地域の「潜在自然植生」は、図書館などで誰でも閲覧できる。写真は「静岡県西部」の植生図。

『日本植生誌/中部』と『静岡県の潜在自然植生』の背表紙。

『日本植生誌/中部』と『静岡県の潜在自然植生』の背表紙。

―「鎮守の森」はこんもりと丸い形をしています。高木、中高木、低木が日光を分け合ってできる形です。

周りには様々な人間活動によって植生を変えられたアカマツ林や落葉広葉樹のコナラ、クヌギ、ヤマザクラなどの里山の雑木林が広がっていました。それまで自然だと思っていた緑の風景が全部違って見えるようになりました。林業家の方や林野庁の方にも、スギやヒノキ、マツばっかり植えるんじゃなく、潜在自然植生の木を植えるべきだと話しても通じませんでした。当時、彼らはお金にならない木を植えてもしょうがないという考えだったのです。化粧的な緑しか植えてこなかった造園業者も反応は同じで、彼らからは「宮脇は天敵だ」と言われました。「ドイツかぶれもいい加減にしろ」と、それ以降、10年くらいは誰にも相手にされませんでした。でも、危機はチャンスでした。その間、現地調査に没頭することができ、しばらくすると若者たちが20人くらい私のところへ来るようになったのです。桃太郎の如く、「これまで雑草ばっかり調べてきたが、これからは鎮守の森を調べたい。協力してくれ」と呼び掛け、徹底的に現地調査を進め、調査の結果を「現存植生図」と「潜在自然植生図」にまとめました。この2つの成果は後の『日本植生誌/全十巻』の完成へと繋がります。そして1960年代の終わり頃からは急に私の研究室に多くの人が訪れるようになりました。自然破壊や公害問題など、人の命や健康に関わる深刻な問題が顕在化したからです。以降、大企業の工場の緑化や商業施設の緑化などに協力するようになったのです。

―「日本一たくさんの木を植えた男」という異名はそこからですね。

でも大事なことは、大きな施設をつくる、エネルギーをたくさん使う、大量のゴミを出すなど、公害の代償としての緑化だけでなく、日本中に土地本来の森、つまり、潜在自然植生による「いのちの森」を蘇らせることです。自然災害に対して「コンクリート」では歯が立ちませんでしたが、「鎮守の森」は残っています。東北では震災によって大量に出た瓦礫と潜在自然植生によって「森の防波堤」「森の長城プロジェクト」に取り組んでいます。東北だけでなく、自然災害は今夜にも皆さんの地域を襲うかもしれません。根の浅い針葉樹の山は崩れやすいのです。山が崩れるのは台風の威力だけでなく、植生の問題でもあるのです。直根・深根性の常緑広葉樹は環境保全、防災機能が高く、「いのちの森」たる所以です。

-家庭の庭は今や都市にとって貴重な緑のスペースです。

住宅の庭でもカイヅカイブキ(コニファー類)などの針葉樹を点々と植え、周りは一面芝生を植えている庭を良く見かけます。植木は植木屋さんが1年保証で植え、芝生は一週間に一回は刈らなければいけません。芝生は森に比べ緑の表面積が30分の1しかありません。防音機能や集塵機能、空気や水の浄化機能、水涵養機能も30分の1しかなく、カーボンの吸収・固定機能にいたっては数百分の1しかありません。管理費だけが掛かります。皆さん、ホンモノかニセモノかの区別がついていないのです。芝生やガーデニングもいいですが、化粧的な庭、緑化だけではなくて、土地本来のホンモノの木によるホンモノの庭づくりが私たちの命を守るのです。

「植えるところがない」とは言わせない

ケニア出身の環境保護活動家ワンガリ・マータイさんと(2006年。横浜国立大でのシンポジウムにて)。

ケニア出身の環境保護活動家ワンガリ・マータイさんと(2006年。横浜国立大でのシンポジウムにて)。

ケニヤの植樹祭に参加する宮脇氏(2009年)。

ケニヤの植樹祭に参加する宮脇氏(2009年)。

―「庭」という作られたイメージが浸透しているように思います。ペットと同様、流行の樹木が生み出されては消えていくことが繰り返されています。

建築屋さんが庭までつくると死んだ材料でつくられたインテリアの延長として、規格品による化粧的な庭になりがちです。また、造園屋さんも植えた木は1年保証ですが、移植したら保証なしです。施主は自らの庭であるにも関わらず手が出せず、業者任せにならざるを得ない。商売としてはやむを得ないかもしれませんが、それが庭であり、緑化だと思っています。もちろん、どの緑も生きている限りそれなりの効果はありますからムダではありませんが、どうせ植えるなら土地本来の木であり、そのほうが長い目で見たときの維持や管理は楽なのです。それなら、文化的な価値が認められている昔の庭園はどうなんだという話が出てきそうですが、昔の庭園は庭の周りが天領の森だったわけです。それを借景にして庭づくりが行われていたのであり、町人はそれを真似て代官に睨まれないよう、如何に大きくせず長持ちさせるか、ということが庭園技術になっていったのです。昔は庭の周りに借景となる天領の森、環境保全、防災機能を備えた土地本来のホンモノの森が広がっていたのであり、周りが死んだ材料で埋めつくされた現在の状況とは大きく違うのです。これからはホンモノ志向がより強まってくると思います。色と香りと味がそっくりなら毒でも現代人は食べるといいますが、命は本物です。どんなに科学・技術が発達しても、どんなに富を築いても、あるいはどんなに腹が立っても、この地球上に生きている限り、私たちは土地本来のホンモノの森に寄生虫としてしか生きていけないのです。3・11の震災がありましたが、誰もまさか自分が被災するとは思っていません。津波や洪水、火事や台風に襲われて死ぬとは思っていないのです。これからの庭づくり、自分たちの身の回りの緑づくりにおいては、私たちの命を守る緑、DNAを未来に繋いでいく一里塚として私たちが生きている限り、未来に繋がる木を植えて欲しいと思います。

ショッピングセンターの周囲につくられた森。いのちの森づくりは環境保全と共に、企業姿勢のアピールにもなっている。

ショッピングセンターの周囲につくられた森。いのちの森づくりは環境保全と共に、企業姿勢のアピールにもなっている。

池袋駅からほど近いところにある「世界一小さな都市の森」。3本の樹から「いのちの森づくり」は行える。

池袋駅からほど近いところにある「世界一小さな都市の森」。3本の樹から「いのちの森づくり」は行える。

―庭のイメージ、海岸に植えられた松並木のイメージ、どの緑も人間が生み出したイメージ、分かりやすいイメージです。私たちはイメージに流されがちです。自然は多様だということを肝に銘じなくてはいけません。

本物の木はキラキラしていないですが、人間と同じで、付き合えば付き合うほど、離れられなくなります。味が出てくるというか、飽きないのです。また、常緑広葉樹は「季節感がない」ともよく聞きます。確かに落葉樹のように一斉に紅葉し、全部の葉を落としてしまうことはありませんが、常緑樹でも季節により微妙に変化します。特にタブノキのピンク色の新芽はとてもきれいです。この微妙な変化こそ楽しんで欲しいところです。死んだ材料でつくられたインテリアの延長としてのエクステリアではなくて、本物の木による本物の庭をつくって欲しいと思います。「植えるところがない」とは言わせません。木が大きくなったら横枝を掃って、上に上に伸ばせば幅1メートル、3本の樹から「いのちの森」づくりはできるのです。豊島区で「世界一小さな都市の森」づくりに協力しました。それをきっかけに今、豊島区では「いのちの森づくり・グリーンとしま再生プロジェクト」が進んでいます。日本一の高密都市である豊島区だからこそ、僅かな空地でも、その土地本来の木を植え、いのちの森を育てようというものです。豊島区の航空写真を見ると、確かにコンクリートだらけです。私の講演を聴いて感動された高野区長も最初は「植えるところがない」と仰っていました。でも実際に世界一小さな都市の森は立派な森になりました。まず学校から始まり、公共施設、住宅やマンション、マンションの間へとできるところから広まっています。豊島区でできれば、日本中、いや世界中のどの都市でもできます。戸建ての家であれば、まずはお隣と相談して敷地の境界に木を植えてください。そして、点から線へ、線から帯へと広げていってください。

―木のことを知らないと、自分たちの庭さえ他人に任せてしまったり、流行やイメージに流されてしまいます。植樹祭などに参加して木を植えることもできますが、庭は自分で木を植えるには一番の場所です。たくさんの人が身の回りのちょっとしたスペースに木を植えれば、都市の表情は大きく変わるような気がします。自分でドングリを拾い、ポットで育て、庭に植えてみる。多くの人に木を育てる楽しみを味わって欲しいと思います。今日は本当にありがとうございました。

宮脇昭( みやわき・あきら)

1928年、岡山県生まれ。植物生態学者。広島文理科大学生物学科卒業、ドイツ国立植生図研究所研究員となる。横浜国立大学教授、国際生態学会会長などを経て横浜国立大学名誉教授、公益財団法人地球環境戦略研究機関国際生態学センター長。1970年代はじめから現在に至るまで世界各国で植樹を推進する。1991年朝日賞、1992年紫綬褒章、2000年勲二等瑞宝章、2006年ブループラネット賞。主な著書に『日本植生誌』(全10巻、至文堂)、『植物と人間』(NHKブックス、毎日出版文化賞)、『緑回復の処方箋』(朝日選書)、『木を植えよ!』(新潮選書)、『鎮守の森』(新潮文庫)、『森の力』(講談社現代新書)など。

宮脇昭( みやわき・あきら)