第38回:進士五十八さん

 「この人に聞きたい」第38回目は、現代日本の造園界のリーダーとして、造園という学問を社会性のある学問へと導いた進士五十八氏にお話を伺いました。今や「造園学」は環境、自然再生、都市計画など、人と自然の基本的関係のあり方を考える上で不可欠な、幅広い学問になりました。今後、地球環境問題や価値観の多様化が進む中、「人間と自然の関係性」は新たな局面を迎えます。人間中心の価値観を転換し、自然と共生する価値観によるハードとソフトの展開や、コモンズの共有、生活と景観の多様性などが求められます。 そうした造園学における重要な考え方、そして、その重要な要素である「時間のデザイン」や、自然風土がもたらす「エイジングの美」についてお話を伺いました。(文/2013年5月現在)

時間のデザインと「エイジングの美」という価値。

庭園は、人が生きられる理想世界

写真:進士五十八さん

―まずは「造園学」という学問について、あらためてお聞きしたいのですが。

「造園学」は新しい言葉ですが、「造園」という行為は古くて、人類の歴史と共にあります。キリスト教の世界には「エデンの園」、イスラム教の世界には「パラダイス」、古代ギリシャには「アルカディア」、中国には「桃源郷」、平安時代に藤原頼道が造った宇治の平等院庭園は「極楽浄土」、仏教では「浄土」です。英語の「ガーデン」は「gan:守る、囲われる」という意味と「eden:悦び・愉しみ」という意味からなり、今風には「安全で快適」となります。中世ヨーロッパには「愛の園」という概念もあり、「アメニティ」にも通じます。「アメニティ」の語源は「アモーレ」、つまり「愛」に遡ります。「ガーデン」は、水があり、魚や鳥がいて、果物など食料が貯えられ、人間の生存に必要な、かつ安全・安心で、さらに精神性としての愛がある空間です。造園学とはそういう空間や環境を考える科学技術であり芸術なんです。

ヴェルサイユ宮苑の噴水庭園。セーヌ川の川岸に巨大な揚水装置をつくり、堤の上に水を揚げ、水道橋をつくってヴェルサイユまで水を運び、巨大な水槽に水を貯めることで実現した噴水庭園。宮殿で有名なヴェルサイユだが、宮殿建設に掛かった労力25,000人に対し、庭園建設には36,000人が投入されている。まさに王の力を示すための庭園。

ヴェルサイユ宮苑の噴水庭園。セーヌ川の川岸に巨大な揚水装置をつくり、堤の上に水を揚げ、水道橋をつくってヴェルサイユまで水を運び、巨大な水槽に水を貯めることで実現した噴水庭園。宮殿で有名なヴェルサイユだが、宮殿建設に掛かった労力25,000人に対し、庭園建設には36,000人が投入されている。まさに王の力を示すための庭園。

セントラルパーク。ニューヨークのマンハッタンにある巨大な都市公園だが、中に入ると150年という年月を経て、まるで自然の中にいるような錯覚を与える。まさに都会のオアシス。

セントラルパーク。ニューヨークのマンハッタンにある巨大な都市公園だが、中に入ると150年という年月を経て、まるで自然の中にいるような錯覚を与える。まさに都会のオアシス。

―単に住宅に付属する空間ということではなく、人間にとって根源的な空間なんですね。

そう、形はいろいろですが、「ガーデン」は全ての民族に必要な場所であり、「人間が生きる」ことそのものといえます。庭園様式は、土地の自然風土から生まれるものです。例えば中近東の砂漠地帯では唯一、「オアシス」だけが生存を許された場所で、それが「エデン」の原形になっているわけです。オアシスの水は地下から泉が湧き出てくるのに対し、雨がたくさん降る日本では、水は滝のように流れていきます。噴水と滝の違いは風土の違いによるわけです。民族と自然風土がデザインの違いを生みます。スペイン、イスラムでは「パティオ(中庭)」という形となり、イタリアでは「テラスガーデン(階段状の庭)」になります。地形が平坦なフランスのヴェルサイユ宮苑ではそれを巨大化しました。絶対王政の巨大人工式に反発したイギリスではナチュラルな風景式庭園様式が生まれます。それが近代以後、ニューヨークのセントラルパークに影響を与え、今や世界の都市公園の主流になりました。

一方、自然豊かな日本では八百万の神といって、日本的アニミズムで、全てのものに霊魂が宿ると考え、山水や大自然に畏敬の念を抱いて生きてきました。今になってバイオダイバシティが叫ばれ、世界中が「自然と共生する社会」を目指しているわけですが、日本人は古代から自然と共生して生きてきたわけです。加えて、仏教の考え方が入り、「草木国土悉有仏性(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」となります。すべての生命を尊重する思想ですね。そこに更に、道教の神仙思想が重なって、蓬莱島、方丈島、瀛州(えいしゅう)島と呼ばれる不老不死の「仙人」のいる島を庭園につくります。

鶴島、亀島はその省略形です。秦の始皇帝が日本に派遣した徐福が発見した不老不死の薬は「天台烏薬(てんだいうやく)」と呼ばれるクスノキに似た樹木です。庭園や生活環境を構成する重要な要素が自然材であり、特に、植物は防風、防寒、日射コントロールなど、機能的にも美観上も、そして、羽衣伝説や能舞台に描かれた「松」を「影向※1の松」(ようごうのまつ)と呼ぶように、神と人間を繋ぐ精神性さえ込められているわけです。こうした「こころ」が日本庭園の大きな特徴です。

※1:「影向(ようごう)」:神仏がこの世に仮の姿になって現れることの意。

-自然は時に猛威を振るいますが、人間を守ってくれるのもまた自然だったわけですね。

古代の人間は自然よりもはるかに弱い存在ですから、大木を見て神の拠り所と考えましたし、自らのテリトリーを感じ台風や天災から家を守るため屋敷林を必要としました。水も不可欠で水源には水神を祀り、水田のための溜池など水共同体をつくったわけです。世界のどの国の庭園でも都市でも「水」は構成要素の基本中の基本です。人間が感動し憧れる風景は水で表現されます。あらゆる「水のある風景」の景観価値は高いのです。水が豊富な場合は大面積の池をつくり、少ない場合は運動量の大きい噴水で水の迫力を表現するのが造園の技ですね。

造園は、自然と時間のデザイン

屋敷林を持つ民家。敷地内に林群を形成し、防風や防雪に役立てた。

屋敷林を持つ民家。敷地内に林群を形成し、防風や防雪に役立てた。

庭園はエコロジカルでもあります。日本庭園は「縮景」といって、山水地形の変化をすべて縮尺しています。ですから、山に棲む鳥、沢に棲む鳥、池に棲む鳥もいる。魚や昆虫も同じです。龍安寺境内で鳥や昆虫の生息調査を私たちが行ったところ、59科90種が確認されました。まさに日本庭園は「美しいビオトープ」です。また、同じ日本庭園でも町人の庭と武家の庭、茶の庭は全然違います。用途、格式、土地、場所、空間スケール、サイズ、自然素材、材料、工法の使い方など、実に多様な点が日本庭園の素晴らしさです。イタリア式庭園では豊富に採れる大理石に彫刻を施すなど建築的に石を使います。一方日本式では神を感じる自然石をそのまま生かした石組みにします。〝素材を生かす〞価値観は日本庭園だけでなく、日本料理など日本の文化全般に通じています。採れる石、生える樹木が違うので、地方地方で庭も違う。水が無ければ「枯山水」を造るわけです。

―そして、素材と共に「時間」も重要な概念だということですね。

栗林公園(香川県)。紫雲山を借景とし、6つの池と13の築山を配した大名庭園。回遊式庭園の南庭と近代的に整備された準洋式の北庭からなる。

栗林公園(香川県)。紫雲山を借景とし、6つの池と13の築山を配した大名庭園。回遊式庭園の南庭と近代的に整備された準洋式の北庭からなる。

庭園は「凍れる音楽」と呼ばれることがあります。目に見える〝形〞になった音楽ということです。音楽は、時間軸で曲ができています。庭も音楽もイントロから期待させながら進み、いろんな物語があってクライマックスに至り、静かに終わり余韻を楽しみます。これはまさしく「時間の芸術」「時間のデザイン」だと思います。空間と景観を移動しながら時間変化を体験し、エンジョイする。庭園の味わいとはそういうものなんです。

時間の感覚も様々です。飛び石を歩むのは分秒。陽だまりや風の動きは日時。大きな時間は、二十四節気、四季です。花鳥風月や四季の変化を楽しむ風景観は、西洋には見られないものです。日本人には、五感を研ぎ澄まして微妙な変化を味わう感受性があります。雨の種類に「時雨」「五月雨」など何種類もあるのはその証左です。この感性が日本庭園をつくったのです。

トータルに風景を味わう感覚は、「空間」の味わいだけではダメで、「時間」の感覚が極めて大きいのです。特に「歴史」と呼べるような十年、百年、千年の時間の意味が大切です。周遊式、回遊式庭園など、庭を楽しむ形式は様々ですが、いずれも「シークエンス」、つまり、「移動景観」の変化、時間変化を味わうようにできています。飛び石は一歩一歩進み、九歩歩いて左右に折れたり、立ち止まったりとリズムを作っています。森に入ったかと思えば原っぱに出たり、アップダウン、明暗、細い道と広場、緑の濃淡など、実に見事にシークエンスを楽しめるよう演出しています。そして、朝昼晩、春夏秋冬、その繰り返しが何十年もの星霜を重ね庭園に深い味わいを与えます。この美意識を私は「さび」と呼んでいます。

―時間とともに馴染んでいく、自然環境へと近づいていくということですね。

枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺の庭。

枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺の庭。

僕が大学に助手で残ったときの教授は「自然公園」の先生だったんだけど、どうしても庭園研究をやりたかった。だから仕事としては「環境学」をやって、「庭園」は個人的興味で勉強することにしていました。でも今になって思うのは環境の研究も庭園の研究も同じだということです。スケールの違いだけで、小さな庭園から国立公園、国土計画、そして地球環境まで同じなんです。自然と人間との関わり、生産目的の農業か生活環境目的の造園かの違いで、人間と自然の関係の最適化という点では同じです。逆に庭園も「文化」として捉えるだけでなく、「環境」としても捉えたいと思ったわけです。

龍安寺は石庭が有名ですが、石庭だけじゃなく、境内の背後に衣笠山、前方は鏡容池で「背山臨水」の環境であって、樹種も多様、生物も多様です。全体で環境計画が成り立っていたのであり、石庭だけを真似したって環境計画としては意味がないのです。庭も単なる趣味の庭ではなく、環境計画でもなければならない。科学的な観点、社会的な観点、デザイン的な観点からの多面的造園研究じゃなければ普遍性を持たないと思うのです。

「然び」≒「エイジングの美」

―人はつい〝カタチ〞に囚われてします。

昔は、西洋の庭は建築式で、東洋の庭は自然風景式だと教えられました。でも実際に北京の頣和園(イワエン)を訪ねると、完璧に整形的で建築的です。考えてみれば大徳寺だって、妙心寺だってみんな整形式です。禅宗寺院は中国からの直諭ですから当然です。実際には、庭は立地や用途や材料によって違って当然なのに、美術史家の造園史は観念的で、技術軽視ですね。

神様や国王など、権威を示したいときは直線的でシンメトリーにするし、ゆっくり寛ぎたい場合はナチュラルにする。世界の庭園は、それぞれ違うところもあるし、同じ部分もあるんです。分類して違いをハッキリさせたり、対比させると分かりやすいですが、それが事実かどうか。本当は共通性と個別性を様々な観点から考察すべきです。日本庭園の本は、固定観念で解説されたものばかり。「極楽浄土」とか「須弥山蓬莱」とかいくら説明しても若者や外国人には分かりません。外国人にも分かる造園史でなきゃ普遍性を持ち得ません。例えば「わび・さび」です。日本人には何となく分かる。しかし、ちゃんと説明できない。そういう日本の美意識が「さび」です。そこで私は「エイジング」という言葉に注目しました。

歴史を感じさせる苔生した西芳寺の庭。元は白川砂が敷かれた庭だったが、住職が居なくなって荒れ、長年放置された結果庭中に苔が生えた。湿気が溜まりやすく、適度な日射が入る地形的要因が苔の繁茂に適していたという。現在は、落ち葉を掃いたりして苔の維持に尽力している。

歴史を感じさせる苔生した西芳寺の庭。元は白川砂が敷かれた庭だったが、住職が居なくなって荒れ、長年放置された結果庭中に苔が生えた。湿気が溜まりやすく、適度な日射が入る地形的要因が苔の繁茂に適していたという。現在は、落ち葉を掃いたりして苔の維持に尽力している。

―「エイジング」という言葉には、一見、ネガティブな印象がありますが。

そのとおり、「エイジング」を直訳すると「老化」とか「年をとる」という意味です。でも僕はこの言葉に積極的な意味を見つけたかったのです。実はこの言葉はディズニーランドからのヒントです。ディズニーランドを浦安につくるときの技術スタッフに教え子が何人かいました。彼らが遊びに来たとき、古びたお城や墓場をつくるために、釘から赤錆が垂れているようにわざわざペインティングする、そういうテクニックを「エイジング」と呼ぶと聞いたのです。エイジング・テクは美意識としてではなく、骨董世界で古びさせるのと同じテクニック語としてあったわけです。僕にはデザインの世界で「エイジング」を「美」として使うことが新鮮に思えたのです。

一方で、日本語の「さび」は、「然(しか)び」と書いて、「シックリ」とか「シカリ」という意味があります。いわば、「時間の経過に従って現れるそのものの本質」という意味です。石の中の鉄分が銹びて黒くなった鞍馬石は庭石としてとても高価です。鉄や銅が錆びるのに必要な時間の長さが評価されるのです。「さび」は「時間の美の象徴」です。中公新書でかいた『日本の庭園』では、日本庭園がどうやってできているか、外国人でも分かる言葉で書きました。空間を囲んで理想郷をつくる「縮景」や、外界との繋がりを持とうとする「借景」、その土地に根差した植物を使う「樹芸」、そして、時間や歴史の味わいである「さび」、つまり「エイジングの美」です。

-「エイジングの美」という言葉には「さび」よりも積極的な意味を感じます。

後で知ったのですが、イギリスには「ウェザードの美」という言葉があるそうです。イングリッシュ・ガーデンとかオープン・ガーデンが、特に女性を中心に流行っています。そこでの言葉です。「ウェザード」は天気です。木材は風化して灰色になっていきます。風化し馴染んでいく味わいのことです。「エイジングの美」は時間的にはもっと長いスパンで考えていますが、近い考え方です。昨今は、街の中でもちょっとお洒落なレストランや喫茶店では、エイジングやウェザードの美を意識していますよね。

「時間」に耐えられる美

現在の東京は「時間と歴史に耐える」景観といえるだろうか。現在の東京は「時間と歴史に耐える」景観といえるだろうか。

日本庭園における「さび」同様、世界的にも歴史や時間演出は造園に共通した美意識です。現代のデザイナーは「形のデザイン」ばかりをやってきました。美術界もマスコミに合わせて「瞬間芸」に傾斜して、「長い時間の味わい」を忘れた感があります。ただ、自然素材で構成される庭園デザインだけは違いました。苔生した苔寺が素晴らしいと感じるのは、そこに「時間の味わい」を感じるからです。世界中の庭園もエイジングの美は持っているのですが、日本の場合、特に四季やエイジングの美が出易い、梅雨期を経れば苔生しウェザード化し、エイジングが効いてくるのです。冷涼なヨーロッパと違い、モンスーン気候は高温多湿だから、すぐにカビたり腐ったり、苔生すのです。

―「エイジング」にネガティブなイメージがあるのはそのためかもしれません。

でも、日本人は「腐ること」、「朽ちること」と上手に付き合いながら日本的文化や美意識を永年の間に確立してきたのです。そもそも人間は空間的かつ時間的存在です。人間の生命は有限であるが故に、「永遠の時間」に憧れています。「日本庭園」はその永遠性を価値として投影しているんです。一方「瞬間」で勝負しているのが現代です。1分でハンバーガーが出てくる時代です。「時間はムダ」「スローはダメ」という価値観です。近代化で求めてきた効率主義、経済主義社会ですね。時間への憧れだとか、時間を味わいたいといった人間の根源的な欲求は抑圧されてきました。それが今やっと高度成長が終息し、低成長時代になってはじめて、本音が出てくるようになったのではないでしょうか。国の社会資本審議会でも「歴史まちづくり法」をつくったところです。因みに拙著『農の時代』のサブタイトルも「スローなまちづくり」です。

―最近の居酒屋は、どこへ行っても民家風です。

大都市の若者でさえそういうものを求めているように思います。もちろん、居酒屋の設えは本物ではないですが、エイジングの価値が経済的な価値になりつつあるということかもしれません。長い時間を過ごす「住まい」は、特に「エイジングの美が深まるもの」が価値になっていくんじゃないでしょうか。カナダで有機農業をやっている私の娘たち夫婦は、日本の「木組み」が素晴らしいといって、日本の棟梁とワークショップをやり、農場に大きな木の家を建てています。近代化によって世界中が「ファースト」に席巻されたのですが、自分たちの自然や歴史、風土や文化を大事にするようになってきました。

僕が子どもの頃、男は一生に一度家を建てるものでした。でも今は、家は買うものでしょ。家を建てていた時代はまさに時間と共に生きていたんです。時間に耐えるものを長い時間を掛けてつくっていたわけです。家をつくることは生きることそのものでした。もっというと、人間が生きるということは「衣食住を自らでやる」ということです。現代人は衣食住の全てを、企業に外部化してしまったんです。それは「生きていない」ということと同じです。本来、人間は「トータル・マン、つまり百姓」でなきゃいけないはずが、「サラリー分の二、三十姓」になってしまったのです。

住宅も「時間に耐えられるかどうか」が問われるわけです。そして、時間に耐えられるかどうかは、素材に由来してくるわけです。「マンメイド」であるかどうかと、木や石や土や水など「自然材」であるかどうか。エイジングの美が育つかはそのことにかかってくる。素材の美しさが時間の美の原点です。「景観」をつくり「風景」に育てる、その一番簡単な方法は「エイジングの効く素材を使って環境をつくる」ことです。エイジングは「自然素材」さらには「自然地形」や「自然植栽」を生かして環境をつくる。景観も家づくりも同じではないでしょうか。

-進士先生は「庭」とは環境だと仰いました。その一つ内側にある「家」は、最も人に近い環境だと思います。「エイジングの美」、「マンメイドの価値」が本物の価値観になることを願わずにはいられません。今日はありがとうございました。

進士五十八(しんじ・いそや)

東京農業大学名誉教授・前学長。農学博士・環境学・造園学。日本学術会議第22期連携会員。これまでに日本学術会議第20,21期会員、日本造園学会長、東南アジア国際農学会長、日本都市計画学会長、日本生活学会長、日本野外教育学会長、自治体学会代表運営委員など歴任。現在は、政府の自然再生専門家会議委員長、国土審議会特別委員、社会資本整備審議会臨時委員。また、長野県、横浜市、川崎市、三鷹市、新宿区、江戸川区の環境もしくは景観審議会会長。ほかに公益社団法人大日本農会副会長、NPO美し国づくり協会理事長、みどりのゆび理事長、日本園芸福祉普及協会会長、美しい東京をつくる都民の会会長。緑の環境デザイン賞、いきものにぎわい企業活動コンテスト、田園自然再生コンクール、国際バラとガーデンショーの審査委員長。NHKラジオ深夜便「名園散歩」出演。井下賞、田村賞、北村賞、日本造園学会賞、同特別賞、日本生活学会今和次郎賞、土木学会景観デザイン賞、Golden Fortune表彰、日本農学賞、読売農学賞など受賞。2007年紫綬褒章受章。主な著書に『緑のまちづくり学』『アメニティ・デザイン』『風景デザイン』『ルーラルランドスケープ・デザインの手法』『農の時代』(以上、学芸出版社)、『日本の庭園』(中公新書)、『グリーン・エコライフ』(小学館)、『日比谷公園―百年の矜持に学ぶ』(鹿島出版会)など。

進士五十八(しんじ・いそや)