第35回:森山知己さん

「この人に聞きたい」第35回目は、日本画家の森山知己さんです。森山さんは、東京での画家活動を経て、1996年、ふるさと岡山県へと拠点を移し吉備高原のOMソーラーの自邸兼アトリエで創作活動をされています。
画家であると同時に日本画家として伝承されるべき描法や画材の研究を進められてきた研究者でもある森山さんの知識と経験が発揮されたのが、日本美術を代表する国宝「紅白梅図屏風」の再現です。江戸時代、尾形光琳によって描かれた紅白梅の中央の流水模様の描法は、長い間謎とされていましたが、最近の科学調査によって、「川の部分に銀箔を貼り、一部を硫化させて流水模様を浮かび上がらせていた」という事実が解明されてきました。検証を元に技術の再現を試みた森山さんの「紅白梅図屏風」は、NHK「極上美の饗宴」「日曜美術館」などで放映され多くの反響を呼びました。今回は、アトリエにおじゃまして森山さんの創作活動の原点、日本画とは何か、そしてOMソーラーの印象などについてお話をうかがってきました。(文/2012年8月現在)

自然とケンカしない。それが日本のやり方なんです。

言葉で表現できないことを表現できる、絵のおもしろさ

写真:いわむらかずおさん

―まずは森山さんと絵の出会いや、画家を目指したきっかけについてお伺いします。小さい頃から画家を目指していたのでしょうか?

小さい頃から絵を描くこと自体は得意な方でした。手を動かしたりモノをつくったりすることも好きでしたね。ただ、岡山県倉敷市の田舎育ちだったので、絵で食べていくなんて考えていませんでした。大きかったのは、高校時代の美術の先生に言われた言葉でしょうか。「お前の絵はうまいけど冷たい」って。誰も気づかないだろうと思っていた僕の内面を絵だけで判断できるなんて。なんでそんなことが分かるんだろう、絵っておもしろいなぁ…と思ったのがきっかけです。

―冷たいという自覚が、あったんですね。

考えることが好きで、先に頭で考え過ぎてしまっていたんです。淡々として冷めていました。その一方で、言葉と自分の感情が一緒にならないジレンマも感じていました。感情を言葉にすると、自分が知っている言葉にしか置き換えられないでしょう。語彙力が豊富な人はいろいろな意味をつけられるでしょうけど、自分自身も自覚できない、ワケの分からない気持ちは表現できないんです。ところが絵なら、言葉から離れたもう一つの自分の表現ができるんです。音楽でもスポーツでも同じでしょうけど、僕にとってそういう気持ちを確認できる作業が絵だったわけで、美術をやってみたいと思う気持ちにつながりました。

ワケが分からない「日本画」

森山さんが再現した国宝「紅白梅図屏風」。当時使われていたであろう描画の技術を科学調査結果を元に再現された。中央の流水は、銀箔を硫黄で黒く硫化させている。さらに金箔を貼ってその上から「たらしこみ」という琳派独特の手法で梅が描かれた。

森山さんが再現した国宝「紅白梅図屏風」。当時使われていたであろう描画の技術を科学調査結果を元に再現された。中央の流水は、銀箔を硫黄で黒く硫化させている。さらに金箔を貼ってその上から「たらしこみ」という琳派独特の手法で梅が描かれた。

再現のポイントとなった流水部分。使われた江戸時代の極薄の銀箔は特別に製造してもらったもので扱いには高度な技術を要する。

再現のポイントとなった流水部分。使われた江戸時代の極薄の銀箔は特別に製造してもらったもので扱いには高度な技術を要する。

―その後、東京藝術大学で日本画を勉強されたそうですね。

そこで僕自身が最初に感じた日本画というのは「ワケ分かんない」でした。というのも日本画、日本画と言うけれど、日本画の概念は?というと、答えに困るんです。そもそも日本画、洋画という呼び名が出来たのが明治時代で、開国して西洋文化が入ってきたからそれまで日本にあったものは日本画、外国から来たものは洋画と呼ぼう、とした国の都合でつくられた言葉だったそうなんです。でもそれから100年以上経っていて、みんな普通に洋服を着て洋食を食べているでしょう?「日本画って何?」と問われても、絵を見ただけでは分からないんです。

―私たち素人は、日本画は水彩画で洋画は油絵なのかな?と思ってしまいがちですが…。

ところが油って材料の名前ですよね。洋というのは西洋の洋で水彩画は西洋にもありますよね。僕自身、東京に出るまでは床の間の掛け軸くらいしか日本画を知らなかったので何も思わなかったのですが、東京の大学に入ると洋画と変わらない絵を描いて、それをまた日本画と呼ぶんです。日本人が書けばみんな日本画という人もいるけれど、じゃあ洋画って何?と思いますよね。僕は何でも自分で考えて納得しないとダメなタイプだから(笑)、不思議に思ってしまったわけです。

―森山さんは、古典的な画材や描法・技術を試されるなど、画家であると同時に日本画の研究活動もされてきました。そうした疑問が出発点になっているのでしょうか?

大きなテーマになっています。良きにつけ悪しきにつけ、「日本画」という言葉が今も残っていること自体、貴重な意味を持っているようにも思えて。昨日まであったものがふと気づくと無くなってしまうような現代だからこそ、捨て去るのではなく、この言葉を手がかりに、この「日本の絵」が受け継ぐ伝統とは何かについて今日的に考え、取り組む意味を一人の絵描きとして感じたのです。

―もちろん絵が好き、というのは入口にはあったと思いますが、好き・嫌いというより、違う視点からのスタートだったのですね。

たとえば、「好き」「嫌い」に加えて「良い」「悪い」という評価があるとしますよね。この絵は好き・嫌いというのは自分の主観で判断できます。ところが良い・悪いというのは長い歴史や文化の中でつくられてきた日本の価値観が反映されるんですね。そこが知りたいと思いました。僕は水が好きで、水彩絵の具で受験できるという理由だけで日本画を選んだのですけど、そんな風に日本画について考えていくうちに「じゃあ日本って、日本人って何なの?」という本質的な疑問にぶつかってしまったわけです。

水のルールに従う

OMソーラーの導入により、大きな空間としたアトリエ。窓からは雑木林の風景が飛び込んでくる、気持ちの良い空間。 OMソーラーの導入により、大きな空間としたアトリエ。窓からは雑木林の風景が飛び込んでくる、気持ちの良い空間。

―日本画の本質を考えていくうちに日本人についても考える、というのは森山さん独特の視点ですね。

日本人と日本画、日本の文化の歴史を考えていくと、日本人の表現がいかに洗練・熟成されてきたかが見えてきます。というのも日本ってやっぱり平和だったんです。陸続きの西洋は、常に侵略の心配があるし戦争して征服されたら言葉を奪われるから、言語に対して余計に敏感になる。ところが島国のこの国は「私はこうなんですよ」と主張しなくても良かった。「ねぇ、分かるでしょ」で分かったことにするんです。そうなると、相手を征服して言葉を押し付ける形ではなくて、相手を認めつつ嫌なことは伝え方をうまく考えるようになっていく。わかりきった内容ではなく、それをどう伝えるかが大切だったわけです。
たとえば仮名書の文化もそうです。昔から教養人の間では有名な歌はみんな知っていて、そこに何が書いてあるかなんて大体了承されているんです。ポイントは、どんな字でどのように書くかなんです。このとき単に字を書くだけなら教養人なら当たり前。それをどう崩すかなんですよね。もっといえば崩すにしても好き勝手をやるのは単なるワガママで、それまでの文化風土の中で培われてきた「良し悪し」「品格」を備えた上でどう崩すかということが問われるわけです。この日本人の文化の熟成度は、すごいと思うんです。

森山さんこだわりの仕事道具。ときには、骨董屋や文具店の忘れ去られた棚で道具との出会いがあるという。

森山さんこだわりの仕事道具。ときには、骨董屋や文具店の忘れ去られた棚で道具との出会いがあるという。

庭から続く森山さんお気に入りの雑木林。自生のサクラやコナラ、マツが立ち並ぶ。取材中はずっとウグイスが鳴いていた。

庭から続く森山さんお気に入りの雑木林。自生のサクラやコナラ、マツが立ち並ぶ。取材中はずっとウグイスが鳴いていた。

―日本人の曖昧さや奥ゆかしさは、時としてネガティブに表現されることもありますが、そうした地理的・歴史的背景があった上で発達してきた国民性であり、それが絵や字にも高度な形で表現されていると考えると非常におもしろいですね。

そうした中で僕が強く感じるのが、この国の「恵まれた水の存在、関与」の大きさです。実は日本画の大切なことっていうのは水とケンカしないということなんです。和紙素材を漉くためにも恵まれた水が必要ですし、絵の具を溶くにも描く時にも水が欠かせませんよね。描くときに使う筆や刷毛などの道具にしても、水の性質をちゃんと活かせるように材料を自然の中から見つけてその表現に応じた形に変化させているんです。今、「環境問題を考える」とか「地球に優しく」なんてもっともらしく言う時代になりましたが、日本画を研究すると、日本人が水のことをちゃんと理解して、いかに自然と仲良く、大切にしきたかが分かるんです。「日本人って、すごいな」と思わずにはいられません。

―頭で考えて環境問題を語るよりも、身の回りにある豊かな水と付き合ってくる中で、感覚的に、本質的に自然環境を大切にしてきたのが日本人なんでしょうね。

そういうことを思いながら日本画を描いていくうちに、「ボクがおもしろいと思っている水のおもしろがり方を、昔の方々もおもしろがっていた」ということに気付いたんです。先ほどお話した仮名にしても、いかに崩して描くか、ということは、水の性質をどう扱うかですよね。水の性質は、昔から変わりませんから、僕が再現した光琳の「紅白梅図屏風」にしても、同じことをしようとすれば、流水の描 画、運筆によって光琳の身体がどう動いたかを意識させられるんです。光琳は僕より肘が上に上がる人なんだぁとか。梅の枝を描く時間も、水分をとどめるためにじっくりと筆運びをしなければならなくて、じっと我慢する。あぁ江戸時代の人は僕より我慢ができるんだな、とか。 水の性質を共通ルールにすると、タイムマシンに乗って、その時代の人と競争しているみたいな感覚になるんです。それは、現代みたいに「どっちの声が大きい」っていうんじゃない、まったく別の競争です。すごくワクワクするんです。

で、そういったことができるのって日本に「歴史」があるからなんです。世界の中でヨーロッパや日本は歴史があって文化が育まれてきました。一方、アメリカはヨーロッパの移民による新しい国ですから歴史があまりありません。だから自分たちの文化をつくることにすごくこだわりがあるんです。結果、アメリカでは、「コンテンポラリーアート」(30年ほど前から現代に至るまでの現代芸術、現代美術)というような、新しいムーブメントをつくりあげました。新しい競争のルールをつくったんです。彼らだって、ヨーロッパや日本の古い絵画をものすごい高値で買い漁ることもあるわけですから、決して古典絵画を無視していたわけではありません。でも、たとえば今までは速く走る競争だったものを、真逆の遅さの競いに変えたりとか、これまでモノを売っていたけどこれからは金融だよ、インターネットだよ、と新しい競争のルールをつくることがアメリカの文化となったんです。そのこと自体は、新しい国ならではのエネルギーで、すごいこだと思います。ただ、戦後は日本でも新しいルールを吸収することに必死になりすぎて、せっかくの長い歴史がつくってきた良いルールも忘れてしまったようなところもあると思うのです。

-戦後の日本の住宅の在り方にも、まったく同じことが言えます。

やっぱり、歴史がある国なのに無理やりそういうことをすると、ひずみが出るんですよね。政治にしても「改革派」なんて言うけれど、今までのスタイルを崩すことなのか、新しいルールにすり替えることなのか分からなくなってくる。「自然と暮らす」といっても「自然とどう折り合いをつけながら暮らしていくか」ではなくて、いつの間にか「自然を征服する」ことになっていたりするんです。日本画はそういうことを考えさせてくれます。東京で暮らしているときは、そういったワケの分からないことの氾濫の中にさらされているように感じていました。

自然とともに暮らす。その中で選択したのがOM

周囲の緑に埋もれるようにして建つ森山邸。2012年に再度塗装を行った。自然に対して主張しない家が森山さんの望みだった。 周囲の緑に埋もれるようにして建つ森山邸。2012年に再度塗装を行った。自然に対して主張しない家が森山さんの望みだった。

―そんな中、森山さんはこちら吉備中央町に移住して来られたわけですね。こちらの自宅兼アトリエを建てられた経緯もお聞きしたいのですが。

この家を建てたのは1996年で住んで16年になります。東京の近郊では、なにごとにもスピードを求められるような都会の時間の影響を否応なく受けてしまうように感じたのです。とにかく時間を変えたくて自然と一緒に暮らしたいという思いで移住してきました。

―ご自宅兼アトリエということで、どちらにもOMソーラーを導入いただいています。当初からOMソーラーの家で考えられたのでしょうか?

学生時代、友人がOMソーラーの考案者である奥村先生の授業をとっていて、OMソーラーのことも何かのきっかけで早い頃から知っていました。OMは、熱を熱のまま使うでしょ。わざわざ効率の悪い電気で暖房をするよりも、熱は熱のまま使った方がシンプルだな、と思って。考え方がシンプルなものは良いと思っていますから。OM前提で東京から岡山の工務店に問い合わせをして計画を進めました。

―熱を熱のまま使う、というのは正にOMソーラーの本質です。家づくりでは具体的にどのような要望を出したのでしょうか?

周辺環境と呼応するような家をつくりたかったので、雑木林の木は極力切らないでと伝えました。それから元々あった石や植物も動かさないでと。外観は黒色のサイディングなのですが、森の中に埋もれたときに黒って一番影になって目立たないんです。とにかく自然に対して主張しない家を とお願いしました。家全体のプロポーションだけは、自分の要望を通させてもらったのですが後はほとんどお任せでした。

―先入観で、芸術家というとデザイン面で細部にまでこだわりそうですが、ほとんどお任せだったんですね。

細かな要望は出しませんでした。工務店さんの良いところって、住むことのプロというところなんですよね。いろいろな家を建ててクレームを聞いて、住むことに対するちゃんとしたノウハウを持っている。だからメンテナンス性の良い外壁とか、敷地のつくり方に対して的確なアドバイスをいただいて感謝しています。建築家のつくる家は建築家の自己主張が強い気がして(笑)なんとなく違う感じがしたんです。

―山の中に埋もれて自然の一部になっているかのようなこの環境から、森山さんの家づくりに対する思いが伝わってきます。

僕にとっての家づくりは、「自然とともに暮らす」ということでした。だから出来るだけ環境に悪いことはしたくなかった。そりゃ生きて働いている以上、パソコンもデジカメも使います。山奥で暮らしていると車移動がメインなので、エネルギーの点から言ったら都会で暮らす方が効率的なのかもしれない。それでも生きていかなければいけないとしたら、自分が思うようなバランスで生きたいと思ったんです。そうしたときに、何を選択するのかといったことの一つがこの環境でありOMだったんです。
まぁ、だからと言って盲信しているわけではありませんけどね(笑)。故障も経験しましたし、技術的な課題もいくつか感じています。それでも熱は熱のまま使う方が効率がいいというのは絶対にそうだと思いますし、空気の流れをデザインするという元々の奥村先生の考えは、僕が言うのも変ですけどすごくまともだと思ったんです。何より太陽でこの暖かな大空間をつくれるのはすごいですよ。ここは吉備高原の中にあって、標高が400mあるので夏でも夜は肌寒く感じることがあるくらいです。昔は真冬に氷点下10℃以上になったこともありましたが、ダイレクトゲインが効くと、床全面からのOMの効果が加わって25℃以上になることがあるんです。犬の散歩で薄着のまま出かけて風邪引いて帰るっていうのを繰り返したくらい(笑)。

取材風景。写真右は森山邸を手がけた岡山県・潮建設工業の水野社長。ご自身も芸術や美しいものが大好き。森山さんとは16年以上のお付き合い。取材風景。写真右は森山邸を手がけた岡山県・潮建設工業の水野社長。ご自身も芸術や美しいものが大好き。森山さんとは16年以上のお付き合い。

―森山さんのような方がOMを選択されて、そのように思ってくだることを、とても嬉しく思います。

OMには、改善しなければならないことを一つずつ検証しながら、これからますます「自然と一緒に暮らす」という提案を発信していってほしいと思います。僕は、機械が壊れたりシステムが古くなったりするのは当然のことだと思うんです。むしろOMを単なる便利なシステムとしてプレゼンされたら、それはちょっと違うと思う。だからこそ思いっきりシンプルで、壊れたとしてもすぐに自分ででもメンテナンスが出来るしくみだといいなと思います。

そして工務店さんには長く経てば経つほどそれが価値になるような家づくりをしていただきたい。現代の社会は、家も家電も車も寿命が短くて、どんどん新しいモノにとって変わっていきます。人間だって輝くのは若いときだけというような言い方をされることがあります。近頃の芸術もそうなんです。でも、それってどうなの?と思います。

僕が行った光琳の「紅白梅図屏風」の描画の技術では、銀箔を貼る技術や線を引く技術、筆を使う技術は、若い人に教えたとしてもすぐには出来ない。修練をつまないと出来ないんです。長生きすることが素晴らしい。やればやっただけ、それが無にならない。そんな価値観が評価される社会のあり方って素晴らしいと思いませんか?

日本の伝統的な家屋は、融通無碍な空間を持ちフレキシブルに部材を交換できましたよね。そんな風に長い時間の中でいかようにも変化できる初期設定の上で、温熱環境や空気の流れといった科学的な裏付けがされていて、OMがシンプルに動く。それがノウハウとして蓄積されていく、そんな風に進んでいっていただけたら、本当にかっこいい。住まい手としてもますます応援していきたいと思います。

森山知己(もりやま・ともき)

1958年岡山県倉敷市生まれ。1981年東京藝術大学日本画専攻卒業。1982年東京セントラル美術館日本画大賞展に入選。1983年東京藝術大学大学院修了。1996年4月中野区から岡山県吉備高原都市に転居。1999年山陽新聞『吉備悠久』の連載に挿絵を担当。2007年景光山くらしき不洗観音寺にて客殿の板戸、襖絵を奉納。

森山知己(もりやま・ともき)