第33回:いわむらかずおさん

「この人に聞きたい」第33回目は、日本における絵本作家の第一人者であるいわむらかずおさんです。いわむらさんは1975年に栃木県芳賀郡益子町に移り住み、自然の中に身を置きながら創作活動を続けてこられ、1998年には同県那須郡馬頭町(現那珂川町)にOMソーラーを導入した「いわむらかずお絵本の丘美術館」を開設されました。美術館は絵本に親しむだけでなく、周囲にえほんの丘農場、くさっぱら広場など、里山のフィールドを併設し、実際に子どもたちが自然に触れ合うことができる環境も用意されています。
代表作である「14ひきシリーズ」は、精細な自然描写が特徴となっており、絵の中に引き込まれていく感覚を覚えます。そして、ねずみの家族の暮らしからは、人間が忘れかけている自然と共に生きることの素晴らしさが伝わってきます。絵本作家としてのいわむらさんの思い、絵本を通して子どもたちに伝えたいことなどを伺ってきました。(文/2012年4月現在)

子どもの時代にもっと深く自然と接していくことが大事。

絵で展開していく絵本をつくりたかった

写真:いわむらかずおさん

―まずは美術館にOMソーラーが導入された経緯について伺えればと思います。

美術館の設計は野沢正光さんにお願いしましたが、彼とはこの近くで陶芸をやっていた共通の友人である成良仁さん(故人)を通して知り合いました。私が益子に来た頃の話ですからもう随分前の話です。成良さんの家も野沢さんの設計で建てていて、私は自分の家は自分で建てましたが参考にさせてもらったことを覚えています。野沢さんは以前から自然と共生する建築を手掛けていましたし、考え方は私が美術館に求めていることと重なりました。

―OMソーラーはその中心となる技術でしたから、自ずとOMソーラーが導入されたという形ですね。

そうですね。また、野沢さんには「絵本の世界観に通じるような建物にしてほしい」と伝えましたが、でもそれは単に「絵本の中に出てくるような家」ということではなくて、あくまで「建築として優れている」ということが大切だと考えていました。とはいえ、予算も限られていましたから、当初はここまで立派な建物にしようとは考えていませんでしたが、建設していただいた深谷建設さんも協力してくださり、実現することができました。

美術館外観。美術館は周囲の景観に馴染むよう低層の建物とした。 美術館外観。美術館は周囲の景観に馴染むよう低層の建物とした。 美術館内観。木造の架構がよく分かる美術館内部。有機的な架構の連続性は絵本の世界感とも通じている。 美術館内観。木造の架構がよく分かる美術館内部。有機的な架構の連続性は絵本の世界感とも通じている。

―完成した美術館は建築関連の賞を受賞するなど、外部からも高い評価を受けていますし、野沢さんにとっても代表作の一つになったのではないかと思います。では、いつ頃から絵本をつくろうと思われたのでしょうか。

子どものための絵を描きたいという気持ちは早い時期からありました。そして、いろんな仕事をやっていくうちに絵本が一番面白いと思うようになりましたね。それも、頼まれて絵本の絵を描くだけではなくて、文章を含めて絵本丸ごと自分でつくりたいと思ったんです。1960~70年代は、欧米の絵本作家の作品が日本でたくさん翻訳出版されるようになった時代で、ちょうどその頃の話です。

―当時の日本には絵本作家と呼ばれる人はそれほどいなかったのでしょうか。

当時は編集者が絵描きと児童文学の作家などを組み合わせて絵本をつくるのがほとんどでしたから、絵と文章の両方を書く作家はほとんどいなかったと思います。基本的には絵は挿絵といったイメージで、あくまでも文章を読ませるというのが主体でしたから、主導権は文章作家にあったんです。

―「14ひきシリーズ」など、いわむらさんの絵本はページ全体に絵が描かれていて、文章はむしろその上に載っているイメージがあります。

60~70年代に入ってきた欧米の絵本は、それまでの日本にはなかった絵が主体になって展開していく絵本でした。そういった絵本と出会い、絵本って面白いなーと思ったんです。「作○○、絵○○」という絵本がありますが、本来はおかしいんです。"絵"を描くことで"作"しているのであって、あくまで絵で展開していくのが絵本なんですから。アニメや漫画なども「絵コンテ」が先にあってストーリーや台詞が立ち上がっていきますよね。むしろ、文章は絵によって必要なくなるわけです。例えば「○○さんは右手でコーヒーカップを掴み飲もうとしている」という文章は絵が一枚あれば必要ないわけです。それに、読者は主に子どもですから。絵のほうが伝わりやすいですよね。

自分にとって雑木林はとても価値のある場所

子どもたちに「読み聞かせ」をするいわむら氏。子どもたちの真剣な表情が印象的。 子どもたちに「読み聞かせ」をするいわむら氏。子どもたちの真剣な表情が印象的。美術館では、年間を通じて、里山のフィールドを活かしたイベントが行われている。 美術館では、年間を通じて、里山のフィールドを活かしたイベントが行われている。

―逆に、一枚の絵からは文章以上により多くのことが伝わります。いわむらさんの中で絵本のテーマが「自然」になっていったのは、やはり現代の子どもたちの「自然離れ」が背景にあるのでしょうか。

そうですね。でも、それはどちらかというと後からそういう意味合いが加わったというくらいで、元々は幼少の頃の遊び場であった雑木林が自分にとっての原風景になっているということです。小さい頃は杉並に住んでいて、その頃は近くの雑木林が遊び場でした。でも雑木林はどんどんなくなっていき、高校生くらいになると近所からは消えてしまいます。
30歳の頃に日野市に移り住んで、十何年ぶりに雑木林と再会を果すわけですが、とても懐かしくて、よく一人で散歩したり、子どもと一緒に歩いたりしました。そして、そうしているうちに「雑木林ってすごいぞ」「雑木林が自分にとっての原風景なんじゃないか」「自分の中では雑木林はとても価値のある場所なのかもしれない」と思うようになったんです。絵本作家としてスタートし始めた頃でしたが、雑木林の中を歩いて帰ってくると、すごくイメージが膨らんで、いろんな絵本の発想が生まれてくるんです。「14ひきのシリーズ」はまさにその一つでした。もちろん、すぐに描くということではなくて、壮大なスケールを持った絵本にしたい、自分にとってすごく大事な世界なのだと感じていました。そして、それを描くには東京にいるのではなく、雑木林の中に家を建て、家族と暮らしながら描いていこう、絵本の主人公と同じような暮らしをしながら描いていきたいと考えたんです。今振り返ると、我ながら大胆でしたね。

―大きな「決心」だったわけですね。

いや。決心というよりも、自分の中では「そうしたい」という思いが強かったので、そしたらどうなる?仕事が無くなるんじゃないか?といったマイナス面はあまり考えなかったですね。益子に移り住んだのは35歳のときです。引っ越してすぐに36歳になったのかな。まだ四人目の子どもがハイハイしている頃でしたね。翌年にもう一人生まれて子どもは五人になりました。

―絵はすぐに描き始めたわけですか。

自分の中の原風景が核になり、そこに実際の暮らしが重なってはじめて確かな風景になっていくわけなので、じっくり腰を据えてやりたいと思っていました。まだ出版社や編集者と具体的な話はしていませんでしたし。でも、イメージや構想はどんどん膨らんでいましたから、内心は描きたくて描きたくてしょうがなかったですね。

絵本の世界だけでなく、体験することが大事

いわむらさんの家づくりの実体験が投影された絵本『14ひきのひっこし』。 いわむらさんの家づくりの実体験が投影された絵本『14ひきのひっこし』。

―絵を描くときは実体験が基本になるのでしょうか。

そうですね。益子に移り住んで何をしたかというと、土地を開墾するところからです。いろいろと問題が起こって、自分でできないこともあるので業者さんにお願いしたりもしましたが、家も自分で設計図を書いて、自分で材料を選んで発注して、知り合いの大工さんにお願いして建てました。いわゆる工務店がやっていることを自分でやったんですね。大工さんも一人大工だから長い材料などは一人では持ち上げられなかったりしたので私も手伝いました。「いわむらさんもっとしっかり持って」なんて、施主なのに大工さんから怒られたりして(笑)。

―現代社会では"自分でやること"が極端に減っている気がします。自分でやることはとても貴重で意味のあることだと感じます。

私は絵本作家ですから、何一つ無駄になることはないんです。私の実体験はちゃんと『14ひきのひっこし』の中に活きています。自分の暮らしに積極的に関わる、参加していくことはとても大事なことだと思います。自分でつくれるものは自分でつくる、自分でやれることは自分でやる、「14ひきのシリーズ」で語り掛けていることです。

―ひと昔前の日本では、当たり前のように行われていた暮らしです。今の子どもたちは身近だけど大事なことを知らないまま大きくなっているような気がします。

いわむらかずお氏。子どもたちの未来を想う柔和な表情の内側には、強い意志が隠されていた。 いわむらかずお氏。子どもたちの未来を想う柔和な表情の内側には、強い意志が隠されていた。

材木の調達まで自分でやることで、国産材か外材か、樹種の違いも分かるようになりました。ここにあるテーブルは5つとも樹種が違うんです。奥村さん(木曽三岳奥村設計所)の木曽のアトリエでつくってもらったんですが、実際につくっている方に案内してもらってテーブルになる前の材料を見せてもらったんです。どの樹もすごく魅力的で、結局5つのテーブル全部違う樹種にしました。日本の樹木は本当に美しいです。

―そう感じるいわむらさんの感性が、全てのバックボーンになっている気がします。

小さい頃の雑木林の原風景や自分で家を建てた経験などが関係しているかもしれないですね。サクラ、ミズナラ、クルミ、クリ、トチですが、それぞれの樹が山に生えている頃の様子を思い浮かべながらこうして触るんです。

―とても素敵です。思い浮かべられるから、美しいと感じるんでしょうね。美術館の周囲には農場や草原、雑木林など、子どもたちが里山の環境を体験できるフィールドも用意されていますよね。

体験を伴うことがとても大切なんだと思います。絵本の世界だけでなく、絵本の世界と体験とを行ったり来たりできるのがこの美術館の特徴です。

どんな状況でも、家族が協力して生きていく姿

えほんの丘農場での活動の様子。農業体験は自然と人間活動の間にある大事な体験の一つ。 えほんの丘農場での活動の様子。農業体験は自然と人間活動の間にある大事な体験の一つ。

―今の子どもたちにとってこの美術館は、いわむらさんの原風景である雑木林でもあるんですね。

そうですね。それと、原風景ということでは私は幼児期に終戦を迎えましたから、戦後の貧しい時代を経験しています。終戦は疎開先の秋田で迎えましたが、終戦から半年後には東京に戻ってきました。いきなり帰ってきたって家も食べるものもないわけです。幸い一部屋だけ借りることができたので家族で何とか暮らしていけましたが、とにかく食べるものがなくて子どもは皆ガリガリに痩せていました。朝鮮戦争で物資が増えるようになるまではそれは悲惨な状況でした。当時は銭湯が焼野原から使えそうな材料を集めていて、そこから材料を譲ってもらい、大家さんが庭を貸してくれたので、そこに親父が台所やお風呂をつくってくれました。とても粗末なものでしたが、それでも何とか暮らしを良くしたいという思いで一生懸命工夫してやっていました。食べ物がなくてどうしようもなくなると親父が自分で網をつくって善福寺川へ行ってザリガニをとってきてくれてそれを昼ごはんにしたこともありました。
当時私は小学校に上がったばっかりで、小学生時代はそういう親父の背中を見て過ごしたんです。昨年の震災でやや似たような状況はありましたが、宮城県の被災地へ行ったあと仙台に出ると一変して賑やかでした。終戦直後はどこへ行っても何もない、食べ物もない状況でした。皆が同じ状況ですから誰も頼りにできない、誰も助けてくれませんから、自分たちで何とか生きていくしかないわけです。親父が家族の生活を必死で支えようとしている姿が強く私の中に残っています。それも私の原風景であり、「14ひきのシリーズ」を描く元になっています。14ひきの家族たちは何でも自分たちでつくります。親父さんが中心になっていろんなものをつくっていくでしょ。食べられるものは採ってきて朝ごはんの食材にしているでしょ。何もない中どうにかして生きていく。どんな状況になっても生きていける強さをあの時代を生きた人は持っていましたよね。

―生命としての「生きる力」を感じます。今はその力を覚醒する場面はありません。

益子に移り住んできたときは、何もないところからのスタートでしたから、当時はもう戦後という状況ではなかったけれど、それに近い状況に身を置いたということです。でも、気持ちとしては描きたいことを実践するというチャレンジでしたから、開墾も耕作も家づくりも食器づくりも楽しくてしょうがなかったですね。そして、それと共に自然の奥深さに気付いていくことになりました。「14ひきシリーズ」は益子に移って8年目に出版されるわけですが、自然の中で生きる、自然をよくよく見つめる作業は、さらなる自然の奥深さを私に気付かせました。雑木林は私の中の原風景でしたが、今思えば益子に移ってきたときはほんの"自然の入り口"を知っているに過ぎなかったのです。小さな生き物に出会い、出会うと興味が出てきて調べます。そうすると出会いのチャンスは益々大きくなるわけです。こうしていろいろな出会いがあると、逆に自然のことをほとんど知らない自分に気付いていくわけです。先日もテレビで「カワネズミ」の貴重な映像が出ていましたが、『トガリ山のぼうけん』を描こうと思っていたときに私も一目見たくて3日間都留(山梨県)の観察小屋に通いました。でもなかなか出会えなくて最後に一瞬だけ見ることができたんです。ほんの一瞬でしたが、その感動は大きかったですし、一瞬の動きからイメージが大きく膨らみました。動きの速さ、一瞬の様子からキャラクターが生まれていくのです。

自然を知るということは、自然の理を知るということ

report29「いわむらかずお絵本の丘美術館」については、施設建築を取材したレポート(2003年9月発行)もあわせてご参照ください。 「いわむらかずお絵本の丘美術館」については、施設建築を取材したレポート(2003年9月発行)もあわせてご参照ください。

―そこまでして絵を描かれるわけですね。いわむらさんの絵を見ると絵の中に引き込まれていくというか、絵の中の一人になった気になります。

実際に見て、感覚的に獲得していかないと描けないですよね。自然を見るということは、絵を描くとか物語をつくるためだけではなくて、自然のしくみとか理(ことわり)を知ることになります。自然とはそういうことなんだ、ということを学ぶことができる。それは素晴らしいことだと思うのです。「14ひきシリーズ」では擬人化して人間の暮らしを投影しましたが、これを描くことで自然をより深く見つめることができ、そこから生まれた気付きから『トガリ山のぼうけん』を描きたいという思いに繋がっていったのです。そして、「トガリ山」を描くために、主人公となる生き物を実際に見に行く、住んでいる環境を見るということを自分に課すことにしたのです。そういうことをたくさんするんです。「トガリ山」の話は、主人公のトガリねずみ「トガリィ」が天に突き刺さるトガリ山のてっぺんを目指すというもので、てっぺんを目指す過程の中で様々な自然のしくみや理を描けるのではないかと考えたわけです。てっぺんまでのガイドブックをつくったり、取材したりなど4年くらいの準備期間を経てスタートしたシリーズです。
全8巻掛けててっぺんに到達するわけですが、1巻毎に「取材して描く」ということを繰り返して8年掛けてつくっていきました。やはりここでも、生き物に会いに行く、主人公になったつもりで実体験する、ということがとても財産になりました。そして、いろんな動物に会いに行くことは、その動物を通したいろんな人たちとの出会いも意味します。これらの財産は「トガリ山」を描くということだけではなく、この美術館の活動にも活かされています。

―自然との出会いを重ねていく大先輩として、ここにくる子どもたちに思いが引き継がれていくといいですね。

私は「絵本」と「自然」と「子ども」をテーマにしていて、この3つが繋がっていくことがとても大事だと思っています。子どもの情操教育にいいとか、そんなうわべのことではなく、子どもの時代にもっと深く自然と接していくことが大事だと思います。自然の中での体験が乏しい人間が増えるのは、いろんな意味で問題なんだと思います。今回の原発の問題とも繋がっている気がしてなりません。私たちもOMも、自然というものを良く見て、よく理解しながら、なお快適に暮らしていく、環境を壊さず、次の世代へと引き継いでいく、ということをしているんだと思います。そういった、きれいな理念や生き方から生まれている、ということが大事なのです。原発はそういうことを台無しにしてしまうものです。3つのテーマの「子ども」という中には「未来」あるいは「もっと先の未来」ということが含まれています。
「生命」とは次の命を生み出すことができるものを意味しますよね。自然の摂理に反する、命を繋いでいくことを妨げるものがあってはならないと思います。OMのような技術がもっともっと研究されれば、エネルギーの問題も解決できるんじゃないでしょうか。

―ありがとうございます。いわむらさんが絵本を通して自然との関わりを教えているように、私たちは建築を通して子どもたちに自然との関わりを感じていってもらいたいと考えています。今日はとても楽しく、また、とても貴重なお話を伺いました。本当にありがとうございました。

いわむらかずお(岩村和朗)

1939年東京生まれ。東京藝術大学工芸科卒業。1975年に東京を離れ栃木県益子町の雑木林の中に移り住む。「14ひきシリーズ」(童心社)や「こりすのシリーズ」(至光社)をはじめ多くの作品が日本だけでなくフランス、ドイツ、台湾、韓国などでロングセラーとなり、世界の子どもたちに親しまれている。『14ひきのあさごはん』で絵本にっぽん賞、『14ひきのやまいも』で小学館絵画賞、『ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ』(偕成社)でサンケイ児童出版文化賞など受賞多数。ほかに、『かんがえるカエルくん』(福音館書店)、エッセイ集『風といっしょに』(理論社)など、著書多数。1998年栃木県馬頭町に「いわむらかずお絵本の丘美術館」を開館。絵本・自然・子どもをテーマに活動を続けている。

いわむらかずお(岩村和朗)