第29回:野沢正光さん

「この人に会いたい」第29回目は、OMソーラーとも縁が深い建築家・野沢正光さんです。野沢さんは、OMソーラーの前身ともいえる「ソーラー研」時代からパッシブデザインに取り組まれ、以降、環境共生建築の分野では住宅、施設を問わずに第一人者として活躍されてきました。現在、OMソーラーという枠を超えて、広く社会にパッシブデザインの考え方を浸透していくための組織、「パッシブデザイン協議会」の設立にも関わっていただいており、野沢さんはその初代理事長にも内定しています。今回はパッシブデザイン協議会設立の背景や経緯、またそれに絡む野沢さんご自身の問題意識等について、そして3.11以降の建築の役割などについてお話を伺いました。
(文/2011年5月現在)

“自由な個人”としての考えが、新しい発想や技術を生む。

「考えることを楽しむこと」ができる社会

写真:野沢正光さん

―「パッシブデザイン協議会」の設立にあたっての背景や経緯、また、それに関連して野沢さんご自身がどのような問題意識をお持ちなのか、そのあたりのお話を聞かせてください。

僕は前々からパッシブデザインに関して開かれた議論の場があったらいいなと感じていました。残念ながら人間は、与えられた環境とか、そこから表出した課題が出てこないとなかなか答を考えられない側面を持っています。僕らが奥村さんたちと「ソーラー研」をはじめた頃も、やっぱり二度にわたる石油ショックが背景にありました。それで、エネルギーを使わないでどう快適性を得るか考えてきたわけです。「ソーラー研」の時代から含めるとOMソーラーに関わってもう30年くらい経つわけですけど、曲がりなりにもOMソーラーはそこそこ普及し、地域工務店を絡めたデザイン運動として一定の役割を果たしてきましたし、昨年は環境省の“世界に伝える日本の環境取り組みの優れもの”に選ばれるなど社会的にも認められてきました。しかし、もちろんOMだけあればいいというものではないし、パッシブ技術がいくつもあってそれらが楽しげに連携している社会が望ましい社会だろうと思います。

一方で社会は既存のしくみや規制など、一定に確立されたシステムの中で動いているが故に既存の技術と違うものを受け入れ難い側面があるのも事実です。特に日本はそういう傾向が強いように思います。僕も色々考え頑張ってきたつもりですがあっという間に四半世紀を経過してしまいました。でもそろそろ「考えることを楽しむこと」「考えたことを情報交換してさらによい考えを生み出す」ということが行われなければ、現在表出している様々な課題に応えられない気がしています。これは3.11以前から考えていたことであり、3.11を契機に様々な課題の解決を急ぐことを社会から求められている状況です。もちろん、住宅だけが良くなればいいということではなく、様々な社会の課題に対して提言していけるしくみ、その受け皿が必要だろうと考えていました。足を引っ張り合うのではなく、互いに協調していかないと社会的なパワーにならないのではないでしょうか。

―それは個人や企業といった単位だけではなく、行政などを含めた日本社会を構成する様々な領域、階層での話ですね。

建築の材料や工法、あるいはOMのような考え方を見ても、例えば、“社会的な要求を共有”して、“社会的な合意をつくっている”ヨーロッパのほうが、パッシブな社会を確実に構築するための様々なサポート、つまり、技術や制度を生み出している感じがします。「パッシブハウス」という、かなりレベルの高いスタンダードな住宅を用意するとか、ドイツやオーストリアの人たちが発明した断熱や通気工法のための素材のようなものは、大きな社会的な要求が共有され、合意されているというバックボーンがあるからこそ生み出されているものです。もちろん、民間や個人のアイデアだけでなく、まちから車を排除してトラム(路面電車)を通すとか、行政が担うインフラなどの社会整備と相まって新しい社会の構築が進んでいます。それに対して日本は既存のしくみや規制が新しいことを生み出すことの障壁となっているような感じがします。自分たち自身がつくり上げたしくみや制度が、新しいことを生み出せないしくみや制度になっているとしたら、何らかの新しい社会の勢力をつくらなければなりません。このことはかなり前から漠然と感じていたことでもありました。

―国や行政に任せているのではなく、民間や市民の側から勢力をつくらなければ社会的な合意の形成は難しいということでしょうか。

戦後、霞が関主導でつくり上げた制度で上手くいってきたから、川下は何も考えずに“言われた通りにやればいい”という感覚に近いのかもしれません。前と同じことしかできないしくみだから、何か新しいことをやろうとすると、逆にそのしくみが障壁になってしまうのです。

良くできた制度は「思考停止」を生む

愛農学園農業高校(三重県)の改修後の外観。3階建てだった校舎を2階建てに減築することで耐震化を図り、勾配屋根の設置によりOMソーラーを導入した。
愛農学園農業高校(三重県)の改修後の外観。3階建てだった校舎を2階建てに減築することで耐震化を図り、勾配屋根の設置によりOMソーラーを導入した。
愛農学園農業高校の改修前の外観。
愛農学園農業高校の改修前の外観。

―良くできた制度であればあるほど、障壁が高くなるというのは何とも皮肉です。“言われた通りにやればいい”という状態は、一見社会のシステムが標準化、合理化、安定化された成熟した感覚を抱きますが、その状態でずっといいわけがありません。

例えば、この前手がけた愛農学園高校の改修工事では3階建ての校舎を2階建てに“減築”することで耐震化を図るというトライをしました。“鉄骨ブレースを入れる”以外の耐震化のメニューが行政にはないので、申請を受け取った行政の担当者は非常に戸惑ったと思います。でも、我々建築家や技術者は、これまでの社会のしくみやあり方に対して“もっとこうしたら良くなる”ということを考えることが社会的な使命であって、そのことがそれぞれの主体の中で、あるいは地域毎に考えられるということが一番面白い状態だと思うわけです。しかし、現実は考えないでいいようになっている。それは“思考停止”につながり、自発がないところでは、結果として“停滞”を招いてしまう。そういう感じがしないわけではないですよね。

―愛農学園高校の申請図書を受け取った担当者はまさに、「障壁」に当たったわけですね。

もちろん、彼自身にその意識があったかどうかはわかりませんが、こういった傾向が現在の日本社会の一般的な状況なんじゃないでしょうか。彼がある任務を果たしているということは間違いないことだけれども、それが単にハンコを押すだけの係り、単なる機械のようなことになっていないかということです。“考える”ということを皆がしなくてはならない、どこのどんな立場の人もそれぞれが考える、判断することが、新しい発想や技術を生むのだと思います。北米なんかにはそういう空気があって、アップルやフェイスブック、バラード兄弟(燃料電池)など、ガレージから次々に社会を大きく変えていくような新しい技術やアイデアが生まれています。パッシブデザイン協議会では、そんなふうにして新しい技術やアイデアが生まれる環境がつくれたらいいと思います。

ソウル市内にあるバス停の様子。路線バスは中央の専用車線を通行することで渋滞などの影響を受けず、スムーズな運行により利用者拡大、渋滞緩和を目的としている。
ソウル市内にあるバス停の様子。路線バスは中央の専用車線を通行することで渋滞などの影響を受けず、スムーズな運行により利用者拡大、渋滞緩和を目的としている。

先日、韓国に行く機会があったんですが、ソウル市内では道路の中央にバス専用レーンが設けられていて、路面電車の安全地帯のようにバス停がつくられていました。上り下り2つのプラットホームがあって、そこには高木が何本か植えられていました。道路の中央ですからよく目立つんです。例えばそういうことにトライしてみようとか、失敗を恐れずまずはやってみるということが大事で、社会全体が失敗を恐れずトライすることを面白がる状況が、新しい技術やアイデアを生み出す条件なのではないかと感じました。

―“思考停止状態”は、震災や原発事故にも大きな影を落としたように思います。

まだ復興が見えない中で、あまり軽々しく口にできない問題だと思いますが、戦後の復興期、社会全体が疲弊していた中で皆が考える力を持てず、思考停止状態にあったということはあるのかもしれません。社会のしくみづくりは学者や官僚に任せておけば大丈夫だろうと。個人でもありますよね。忙しいときは誰かに何かを任せたいということ。そうして、何もかもを任せてしまったことで、結果根拠のないプロパガンダに頼ることになってしまった。もちろん、そうじゃない人もいたのでしょうが、その人たちは妨害を受けるというか、影響が小さくなるような工作がなされたりしたんでしょう。聞こえてくるのは巨額の宣伝費を使った「大きな声」だけということになってしまいました。僕も石油ショックに遭ってエネルギーを使わないで快適性を得ることに取り組んできて、原発に対しては結果として距離を取ってきたということですけど、その程度でしたね。深夜電力やオール電化を採用した家は一軒もないですが、明確な意志をもって選択してこなかった、というよりも、僕らがやっている面白いこと(パッシブデザイン)と肌が合わないという感じはしていました。

先日読んだ本『低炭素経済への道』(諸富徹・浅岡美恵著/岩波新書)では、エネルギーとCO2の関係について客観的に解説されていて、電力生産の負荷を2次エネルギーで計算すると騙されてしまうことがよくわかります。電力の生産はそれを1次エネルギーに換算すると、なんと全産業と同じくらいのCO2を排出している計算になるというのです。このものさしで言えば住宅が出しているCO2は取るに足らない量であるといえるのです。こうしたことを知ると、電力を如何に自然エネルギーに移行できるかが極めて大きな問題だということがわかります。電力のグリーン化だけで日本のCO2排出量が1/3になる。やっぱり考えること、知ることは大事で、皆が考え、知ることをしないといけないと思いますね。

「オルタナティブなあり方」に社会が気付く

野沢正光さん

―まさに他人任せにできない、自分の問題という意識になりました。

自分がどの企業に属しているとか、何と関係しているかに関わらず、自由な個人、自由な市民として「こう考える」ということがすごく大事なのだと思います。そして、それに対して社会=「大きな力」が圧力を掛けるようなことがあってはなりません。いろいろなところに自由な人がいて、その人が得意な分野で様々な工夫をすること、それが社会にとって大事な力になるはずです。

―エネルギーの選択という話だけではないですね。

様々な地域に様々なポテンシャルがあって、そのポテンシャル毎に個性を持った地域社会ができることが一番いいですよね。“考え続ける”ことをもう一度獲得するということです。例えばバイオマスで十分に賄える地域、小水力で相当やれる地域があるわけです。でも、そういうことを霞ヶ関は良しとしないところがあった。地域のほうも中央に依存しているところがあった。でも新しいタイプの知事の出現など、地域主権の意識も広がりはじめています。

3月に開催された国産材利用のシンポジウムの様子。奇しくも東北地方太平洋沖地震はその翌日に起こった。
3月に開催された国産材利用のシンポジウムの様子。奇しくも東北地方太平洋沖地震はその翌日に起こった。

―そんな中で、今回パッシブコンペ(※)が開催されました。まさに応募者一人一人が考えた結果だと思います。コンペはその受け皿の一つといえるのではないでしょうか。

そうですね。地域のポテンシャルを生かした提案、個人の自由な発想から生まれたアイデアが含まれていることを期待したいですね。近い将来、社会を大きく変えていくアイデアの種(たね)が存在しないとも限りません。今回のコンペでは、建築だけでなく、技術や住まい方の工夫なども部門設定しています。設計事務所やメーカーだけでなく、一般市民にも間口を開けているという点が特徴です。

―まさにそれぞれの立場で考えられたアイデアといえます。このコンペは協議会の活動として継続されていくのでしょうか。

まだそこまで決まっていないですね。ただ、今回手を挙げて(エントリーして)くれた皆さんは、我々の近傍にいらしていただける方の候補ということになると思いますから、できればメンバーになっていただいたり、主要な役割を果たして下さる方も出てきてくれたら嬉しいことです。

―協議会の具体的な活動のイメージはあるのでしょうか。

現段階では、まずはコンペを無事終えてからということになろうかと思います。ただ、3.11以前と以降とでは、状況が大きく変わっていると思います。当初は、建築家や技術者、地域工務店など、どちらかというと専門家に近い人たちが面白いことを考えていく場というイメージを持っていましたが、3.11以降は明らかに問題意識が高まっています。そして、ITの活用等から皆が外国の先進事例、技術やアイデアなどの情報を知っている状況にあるわけです。もはや“専門家に任せておけばいい”ということではなくなっているわけですから、社会の制度や都市のインフラなど、様々なテーマで我々専門家も一般市民も自由な個人としてこの国を良くしていくための提言を行う、場合によっては行動に移していく、ということになっていけばいいと思います。

ちょっと古い話ですが、19世紀半ばに始まったイギリスのナショナルトラスト運動(自然環境等を環境破壊から守るため、市民活動等によって買い上げる・自治体に買い取りと保全を求める等の活動)は、誰かに言われて始まったわけではないですよね。3人の普通の人が自発的に始めたことがあんな大きな組織になり、今や社会に欠かせない存在になっています。「いわんこっちゃない」ではなく「やったら面白い」ということ、「そんな選択肢があったのか」など、オルタナティブ(これまでとは違う選択肢)なあり方に社会が気付いていく、面白がることにつなげていきたい。パッシブな建築というスケールを超えて、パッシブな都市やパッシブな農村、パッシブな制度やパッシブな社会を築くための新しい技術や装置、あるいは建築やしくみが生まれれば、それが新しい産業を生み新しい社会を形成していくと思います。

―単なる業界団体ではなく、新しい産業や社会を生み出す推進母体というイメージですね。

社会学者や哲学者、思想家など、いわゆる“ものを考えることを仕事にしている人たち”は、3.11で起きてしまったことについて、今深刻に考えられていると思います。彼らにも加わってもらいたいし、もちろん僕たち自身も考えざるを得ない。皆で考えなければならないということです。

―“パッシブ”という言葉が建築や業界をイメージさせてしまいますが、社会全体に当てはまる言葉として一般化していけばいいですね。

もう家なんてそんなにたくさん建たなくていいのです(笑)。日本の人口は今後減っていくわけで、それほど遠くない未来には3000万人以上人口が減った社会になっているといわれているわけです。それに合わせた住宅生産なり、社会の豊かさを考えなくてはいけない。そんな中でどうやって楽しく、ドキドキしながら新しい社会を考えられるかです。人口減少社会だからといって楽しくないわけじゃない。

※建築、環境、自然エネルギーなどのキーワードで繋がる人・団体で構成する「パッシブデザインコンペ実行委員会」が開いたオープンコンペ。2011年2月21~5月31日まで作品応募受付、7月に公開審査を開いた。
パッシブデザインコンペサイト http://www.pd-compe.com/

地域工務店の役割は、むしろ大きくなる

―人口減少、大量の空家が生まれていく社会で、建築が果たせる役割とは何でしょうか。

余った家をそのまま残していけば不必要なエネルギー消費をすることになります。また、大きな家のままでは持て余すことにもなります。愛農高校の話に戻りますが、熱的な負荷を軽減しつつ丁度良いサイズに直していくということが求められるでしょうね。そういうことがこれまでよりもドラスティックに行われていくことになるでしょう。だからといって新築がなくなるわけではないと思います。だけど、日本でも住宅寿命が延びているわけで、その上分母、人口そのものが減っていくわけだから、新築が大きく減ることは確かです。

―同じ建築でも、建築家と地域工務店とでは役割が異なると思いますがいかがでしょうか。

僕は、工務店は大丈夫だと思いますよ。もちろん、新築が減る以上、その姿が変わっていくことにはなると思いますが、もっと変わらざるを得ないのはハウスメーカーなど大量に住宅供給を行ってきたところです。住宅を大量に、効率的に生産するしくみは住宅が大量に必要な時代はいいですが、今後は不要です。

―まさに“しくみが時代に合っていない”わけですね。

そう。退場せざるを得ないわけです。その一方で、住宅を地域の中で見守っていく役割は残っていく。点検したり、修繕したり、改修したり、その延長として新築することもあるでしょう。ハウスメーカーや大規模ビルダーは退場を余儀なくされるわけですから、地域工務店がその受け皿になっていく。そういう意味で、地域工務店の役割はむしろ大きくなっていくんじゃないでしょうか。

―OM工務店がその候補になっていけばいいですね。

もちろん、いろいろな事情で退場せざるを得なかった工務店もあると思いますが、OM工務店にはそういう役割を担っていける工務店が多いように思います。

―最後に野沢さんご自身の今後の活動というか、やりたいこと、興味などがあればお話いただければと思います。

野沢さんが構造設計家の稲山正弘さんとともに手がけたいわむらかずお絵本の丘美術館。美しい木架構が印象的。
野沢さんが構造設計家の稲山正弘さんとともに手がけたいわむらかずお絵本の丘美術館。美しい木架構が印象的。

僕自身は鉄骨造の家に住んでいますが、いわむらかずお絵本の丘美術館をつくったあたりから構造家の稲山さんたちと付き合いはじめて、その後は木造の仕事が増えていきました。木造をやっていると、大工さんの技術の素晴らしさに気付くわけです。日本以外でこんな建物絶対につくれないだろうと思うことがあります。また、技術だけでなく、木造の家をつくり続ける中で磨かれてきた合理的な思考方法のようなものを大工さんは持っています。そのあたりの凄さを何度も感じています。逆にいうと、大工さんが喜ぶような木造の図面が描けるといいなと思いますね。“こんなこと俺にさせるの”って思ってもらえるような(笑)。“こんなこと初めてだけど、これまでの経験からしてやれそうだとか。”言い換えると彼らが持っているパッシブなノウハウということができると思います。バイオマス(利用)の重要性は今後日本においても注目されるはずです。その時に必ず大工さんの経験とつながっていなくてはならないと思います。

―住宅だけでなく、大きな建築にも木を使っていきたいということですか。

そうですね。先日も6000平米の大きな木造の建物の基本設計をやって、実施設計の部隊に引き継いだところです。ヨーロッパでも木造の5、6階建ての集合住宅があったりします。木造の環境価値が見直され、どうやって大きな建築に木を使っていくかということをヨーロッパでは早くから考えられてきました。日本では未だに学校はいいが他はダメだとか言っています。やれることがあるのにそれをさせなかったり、足を引っ張ったりする。再生可能エネルギーの普及に対してもそういう面があったように感じますよね。今回そういう考え方が敗北したと思いますし、パッシブな社会の中では原発は消滅しているはずだと思います。現に、ドイツやスウェーデン、スイスなんかはその一歩手前まで来ていますよね。

―これまで声高に言えなかったことが言えるようになってきたことが変わりつつある証拠のようにも感じますし、だからこそパッシブを推進していくチャンスかもしれません。パッシブデザイン協議会については本誌でも継続的に取り上げていくつもりです。本日はありがとうございました。

野沢正光(のざわ・まさみつ)
野沢正光(のざわ・まさみつ)

建築家。1944年東京都生まれ。1969年東京藝術大学美術学部建築学科卒。同年大高建築設計事務所入所。1974年野沢正光建築工房設立。主な建築作品に、阿品土谷病院(奥村昭雄との共同)、世田谷区立宮坂地区会館、いわむらかずお絵本の丘美術館およびアトリエ棟、長池ネイチャーセンター、相模原の家、那須の週末住宅、木造ドミノ、立川市役所新庁舎、愛農学園農業高校本館再生工事など、著書に『居住のための建築を考える』(建築資料研究社)、『団地再生のすすめ』(マルモ出版)、『住宅は骨と皮とマシンからできている』『パッシブハウスはゼロエネルギー住宅』(共に農文協)、『地球と生きる家』(インデックス・コミュニケーションズ)など。