第26回:岡田武史さん

連載「この人に聞きたい」第26回目は、前のサッカー日本代表監督の岡田武史さんです。岡田さんはサッカーをやっていなかったら環境活動家になっていたと語るほど環境問題に高い関心をお持ちです。OMソーラーも参加している「地球環境イニシアティブ」の代表発起人でもあり、サッカーとともに環境問題に対してもライフワークとして取り組まれています。そんな岡田さんに環境問題に関心を持ち始めた経緯や、今後取り組んでいきたいことなどをお聞きしてきました。お忙しい中、スケジュールの合間を縫ってお願いした短いインタビュー時間でしたが、環境問題や子どもたちの将来を想う気持ちを熱く語っていただき、お話の内容とともに、その言葉には岡田さんの人間性が現れているように感じました。
(文/2010年10月現在)

スポーツや野外体験活動を通して、「人間の生きる力」を育てていきたい。

ヨハネスブルクで受けたショック

写真:岡田武史さん

―GEINの活動も太陽光発電の普及に関する政策提言という目的としては一段落し、今後は環境教育の分野への取り組みもお考えとお聞きしていますが。

太陽光発電に関する政策がこれほどスピーディーに立ち上がるとは思っていませんでしたが、私としては、その先にある環境全体の意識の向上が本題でしたから、そのあたりをGEINとして継続して取り組んでいくのか、あるいはまた別の形になるのか模索しているところです。いずれにしても、これからが本番だと思っています。

―岡田さんは学生時代から環境問題に対して高い意識をお持ちだったと聞いています。それはどのようなことがきっかけだったのでしょう。

私が環境問題に関心を持った最初の機会は大学生の頃に手にした『成長の限界※1』というローマクラブがまとめたレポートです。「これって本当なのかな?」と思ったのがきっかけです。それから早稲田の古本屋なんかで環境関連の本を探しては読むようになって、そんな時に『西暦2000年の地球※2』という合衆国政府がまとめた環境予測などを中心としたレポートに出会いました。合衆国政府が言ってるくらいなんだから、かなり信憑性が高いんだろうと感じたんです。それで、気付いてしまった以上、何かしなければいけないと思ったんですが、当時は省エネとかリサイクルと言えば「お金の節約」といった意識しかなくて「ケチ」と呼ばれていたくらいでしたから、何をしたらいいかわかりませんでした。そんな中で大阪に「地球村※3」というNPOがあることを知って入れてもらったんです。忙しくてなかなか活動に参加する時間はありませんでしたが、たまに集まりに出たりしていました。そして、2002年にヨハネスブルクで開催された環境サミットに「地球村」のグループの一員として一緒に連れて行ってもらい、そこで大きなショックを受けたことを憶えています。

―ヨハネスブルクまで行かれたんですね。やはりそこでのショックというのは、新しい情報をたくさん知ったということですか?

いえ、そうではなくてガッカリしたことなんです。政府間では利害が対立してひとつにまとまらないということはサミット開催前から予想されていたことでした。実際に前回(1992年)のリオでの会議で「もう時間がない」「まだ間に合う」と言っていたにも関わらず10年間何もしてきませんでしたから。だから私は、インターネットがあるんだから、ノンガバメントでボーダーレスな個人の力を寄せ集めたり、大きなNPOが皆手をつなぐことで政府や国連を動かすことができないか、という自分としては大きな夢を持って会議に臨んだんです。ちょうどNHKのカメラもついてきてくれたので、WWF※4など大きなNPOと会うことができたんです。彼らにとってもテレビに出ることはアピールになりますから、お会いした皆さんにそのことを話したんです。そしたら、「我々はお互いにコミュニケーションを取っている」「そんなに言うならウチへ入ればいい」と口々に言うんです。横のつながりを持とうとしないで、それぞれがそれぞれのことしか考えていないんですね。このことにものすごくガッカリしました。そんな様子を目の当たりにしてつくづく人間って愚かだと思いました。だいたい大きなNPOのトップなんて最高級ホテルから黒いリムジンに乗って会場に来るんです。私が歩いて会場に向かっているときに横をスーっと追い越していきましたよ(笑)。

※1『成長の限界』:ローマクラブが資源と地球の有限性に着目してマサチューセッツ工科大学(MIT)のデニス・メドゥズを主査とする国際チームに委託してシステムダイナミクスの手法を使用してとりまとめた研究で、1972年に発表された。
人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば100年以内に地球上の成長は限界に達すると警鐘を鳴らした。
※2『西暦2000年の地球』:1980年7月,米国ホワイト・ハウス直属の環境問題諮問委員会(CEQ)が国務省と共同で完成した,2000年の地球の人口,資源,環境の予測報告書。当時のカーター大統領が1977年5月,作成を命じ,カーター政権が総力を挙げて作成した。
※3「地球村」:「地球村」とは、国連などが提唱する飢餓、貧困、戦争、環境破壊などのない、「永続可能な社会」(幸せな社会)のことで、ネットワーク『地球村』とは、『地球村』(幸せな社会)の実現のために大阪府に事務局本部を置くネットワーク(NPO法人)。
※4「WWF」:ダブリュー・ダブリュー・エフ。世界自然保護基金(World Wide Fund for Nature)。世界約100カ国で活動している環境保護団体。

罪悪感では環境問題は解決しない

―環境問題の現実だけでなく、環境問題に取り組む人たちの現実を見てしまったんですね。

そうですね。そういう部分ではガッカリして日本に帰ってきたわけです。でも、やっぱり何かしなければいけないんじゃないかという思いはあって、それと同時に「あれダメ」「これダメ」「我慢しろー」では続かないんじゃないかという疑問も抱くようになりました。ある時、あるNPOの人たちが「あなたたち環境に悪いことしてるでしょう」「車に乗ってるでしょう」って、集まった人たちに原罪を振り掛けるようなことを言うわけです。それを聞いた人たちは泣き出しているわけです。びっくりしましたね。これじゃオウムと同じじゃないかと思いました。「えっ、じゃあどこまでならいいの?」「江戸時代の生活に戻ればいいの?」「環境のためを考えたら人間なんていないほうがいいじゃん」ってことになります。人々に罪悪感だけを植え付けても環境問題は解決しないだろうと思いました。

富良野自然塾でインストラクターを務める岡田さん。
富良野自然塾でインストラクターを務める岡田さん。

―「環境を守る」ということが、どうしても後ろ向きの発想になってしまうことはありがちですね。

そんなときに倉本聰さんが主宰している富良野の「自然塾」と出会ったんです。自然や自分が生かされている環境を体感したり、自分で考えるヒントを与える環境教育のような取り組みをしているんですが、これは素晴らしいなと思って、翌年そこのインストラクターの資格を取ったんです。実はなかなか取れない資格なんですよ(笑)。

―サッカーの指導ではなくて、環境のインストラクターですか。

富良野自然塾では地球環境の変化について様々な体験を伴ないながら学習している。
富良野自然塾では地球環境の変化について様々な体験を伴ないながら学習している。

毎年1回はそこでインストラクターをしています。この記事を読まれる皆さんはすでにご存知だと思いますが、私たちは「地球が危ない」って言いますけど、本当は地球は全然大丈夫で、人間が危ないだけなんですよね。富良野自然塾では地球の46億年の歴史を460メートルに置き換えてそこを皆で一緒に歩くんです。我々の祖先、ホモサピエンスが生まれたのが20万年前ですからたった2センチなんですよね。そして我々がCO2を出し始めたのが産業革命からです。そうすると0.02ミリなんです。この0.02ミリの間に急激に環境や気候が変化しているから人間が適応できないだけで、今までだって地球の環境や気候は大きく変化してきたんです。今は平均気温が15℃ですけど、45℃とか50℃だったこともあるんです。ですから変化するのは当然で、それに生物も適応してきていました。しかし、現在はあまりにも変化が急激だから適応できない状況が起こっているのであり、急激な変化をスローダウンしてあげるというのが一般的な環境保護活動なんです。「スローダウン」はとても大事なことです。しかし、それとともに私が大事だと思っていることが「アダプテーション」、つまり「適応」していくということです。適応できる人間であり、適応できる社会をつくるということです。自然災害に強い街をつくるとか、社会づくりとなると私の専門ではありませんが、適応できる人間を育てることも大事で、それが私ができる環境教育だと考えています。

今こそ「生きる力」のスイッチを入れるとき

岡田さんは「今の日本人は遺伝子にスイッチが入っていない」「そういう時代だからこそ、スポーツや野外活動に取り組む必要がある」と語ります。
岡田さんは「今の日本人は遺伝子にスイッチが入っていない」「そういう時代だからこそ、スポーツや野外活動に取り組む必要がある」と語る。

―適応力を持つことの大切さというのは、スポーツにおいても生き方そのものにおいても通じる部分があるんでしょうね。

現在の日本人は「便利、快適、安全」で、生きる力がすごく落ちてきているように思います。年間3万人が自殺していて、9万人が行方不明になっているというのもその証左です。アフリカでは1日何万人もの人が飢えや感染症で亡くなっているといわれていますが、自殺がこれほど多くはありません。生きる力というのは「脳幹」への刺激が必要なんです。「やったー!」とか「苦しい!」とか、感動だったりどん底の苦しみだったりします。「生きるか死ぬか」というのは強烈な刺激なわけです。今の日本にはそういう環境がなくなってきています。「うざってえ」とか「かったるい」とか言いながらもなんとか生きていけちゃうわけです。これって人間が家畜化していることなんです。今後、環境や気候の変化だけでなく、経済的、社会的環境を含めてどう変化していくのかわかりませんが、そうした変化に一番ついていけないのが日本人だと思うんです。

―そういえば、最近はトイレが済んだ後そのまま出てきちゃう子がいるそうです。最近のトイレは自動でフタが開き、流してくれるだけでなく、お尻を洗浄し乾燥までしてくれます。子どもはパンツを下ろすだけでいいんです。学校のトイレはそうなっていないので、そのまま出てきちゃうそうです。

なるほど…(苦笑)。そうやって便利や豊かだと思ってつくってきた社会が生きる力を落としているんだと思いますよ。私たちは豊かさに適応する遺伝子は多分持っていないんです。生きるか死ぬかの人は自殺なんて考えません。豊かさというのは一つ間違えるととても怖いことなんですよ。
でも、日本人だって先祖代々、飢餓期や氷河期を生き抜いてきた強い遺伝子を持っているわけです。平和ボケした現在は、おそらくその遺伝子にスイッチが入っていないんです。企業の経営者だって、腹をくくった経営者は「倒産、闘病、戦争」をくぐり抜けてきた人だとよく言われます。でも、今の若い人たちにはその機会がないんですよね。かといって若い人たちに「倒産、闘病、戦争」を経験させるわけにもいきませんから(笑)、私はスポーツや野外体験活動を通じて生きる力を付けるような環境教育、環境活動をやりたいと思っています。

―スポーツや野外体験を通じて「スイッチ」を入れるきっかけをつくるということですね。確かにスポーツは、プレイしている人はもちろん、大勢の観客にも瞬間的に感動やパワーをもたらしてくれます。

そう。そのきっかけになればいいと思います。
昔は生きていくだけで山あり谷ありでしたが、今は高い位置でフラットなんです。じゃあどうしたらいいかというと自分で山や谷を用意しなくちゃならない。それがスポーツや文化活動だったりするんだと思います。やっぱり私はサッカーの監督ですから、私にとっての環境活動は、生きる力に結び付くような環境教育のような気がします。

サッカーは環境意識の啓蒙のためのいいツール

―欧米ではスポーツや文化を通じた教育に力を入れている印象がありますが。

W杯南アフリカ大会で日本代表チームの指揮を執る岡田監督(当時)。国外大会では初めてとなるベスト16進出を果たした。
W杯南アフリカ大会で日本代表チームの指揮を執る岡田監督(当時)。
国外大会では初めてとなるベスト16進出を果たした。

たとえばイギリスではスポーツや文化のステイタスはとても高いです。ヨーロッパにはスポーツ庁を持っている国もあります。イギリスのプライベートスクールなどでは一ヶ月くらい子どもだけで野外活動(キャンプ)をさせます。彼らは生きる力が必要だということを知っているんです。日本では、まだスポーツに対する価値やその取り組みに対する意識がとても低いのが実情です。たとえば、臨海学校で一人でも死んだりしたら日本中で臨海学校が中止になります。もちろんリスクはあります。でも絶対リスクを負おうとしませんから、結果的に「余計な事はしない方がいい」という判断に至ってしまうんです。

―メディアなどもそういったことに過剰に反応します。意識高く取り組んでいても折れてしまうこともあるのではないでしょうか。

公園の遊具で子どもが怪我したら日本中の同じ遊具が使用禁止になるでしょう。そんなバカな話はないでしょう。公の立場でそういうことができないのであれば、私の活動がそのきっかけになればと思います。

―社会的に影響力のある岡田さんのような方からそういった情報が発信されるのはとても意味深いことだと思います。先日、川崎フロンターレのクラブハウスに太陽熱温水器が設置されるという話を聞きましたが、地域で憧れの存在であるサッカー選手が太陽熱の温水でシャワーを浴びるというのも、多くの人に太陽熱利用技術を知ってもらういい機会だと期待しています。

サッカーは環境意識の啓蒙という点で大きな力を持ったツールの一つだと思います。FIFA(国際サッカー連盟)は全世界を網羅した組織で、FIFAからの通達は世界中に浸透します。こんな組織は他にありません。ある意味、国連よりも情報伝達力を持った組織だと言えます。それもあって、私も日本サッカー協会(JFA)で環境プロジェクトを立ち上げていますが、ゆくゆくはFIFAの環境プロジェクトとなって世界中に広がればいいなという夢を持って取り組んでいます。ヨーロッパでは豊かな社会だからこそ、生きる力が必要だということを知っているんですよね。だから文化やスポーツを大事にする。それに対して日本では政治や経済が大事で、文化やスポーツは二の次という認識があります。そんなことも日本人の弱さに影響しているのではないかと思います。

―それはサッカー界だけでなく、一般の社会でも共通していることですよね。社会に出たら理不尽なことだらけなのに、ちょっとした理不尽さに耐えられない人間が多いと言われています。

私も「世の中の監督が全てお前にとって都合のいい監督であるわけがないだろ」「監督が気に入らないならさっさと辞めろよ」って選手にも言ったりしますよ(笑)。

―そういう時代において、日本の若者を率いた2010年のW杯南アフリカ大会では優秀な成績を納めましたよね。

サッカーの強さと人間としての強さは違いますけど、確かに今回の選手たちはいろんな修羅場をくぐり抜けてきましたから遺伝子にスイッチの入った選手が多かったと思いますよ。でも、やっぱり昔のほうがスイッチの入った選手は多かったように思います。
私自身スイッチが入ったと思ったのは97年のW杯予選のときにいきなり監督を任されたときです。あの時は脅迫電話も止まりませんでしたし、家にも変な人がいっぱい来るから24時間家の前でパトカーが守っていて、子どもは危険だから送り迎えするように言われていました。そりゃもう、のたうち回ってましたよ。私がボロボロにされているのをテレビで見て息子は涙を流していました。そんな状況で戦っていましいたね。そんなにっちもさっちもいかない追詰められた状況のとき、ジョホールバル※5でポーンとスイッチが入ったような気がしました。「ちょっと待てよ、俺の肩に日本のW杯初出場が掛かっている。日本のサッカーの将来が掛かっている。そんなの俺一人で背負えるかよ」と、「明日、俺は自分の力の全てを出す。全力でやる。それでダメだったら俺の責任じゃない。俺を選んだ会長のせいだ」って、完全に開き直ったんです。まさにスイッチが入ったような感覚です。それ以来、怖いものがなくなりましたね。マスコミに何言われても怖くありませんでした。その時の経験から、人間ってこういうことでスイッチが入っていくんじゃないかと思うようになったんです。そして、今の若い人が悪いんじゃなくて、豊かになった環境が彼らの生きる力をスポイルしていると思うようになったんです。だから、何とかチャンスを与えてあげたいというのが私の発想です。

※5「ジョホールバル」:マレーシアの都市。1997年11月16日、ジョホールバルで日本代表が1998 FIFAワールドカップ・フランス大会のアジア第3代表決定戦としてイラン代表と戦い、勝利を収めたことによりFIFAワールドカップ本戦初出場を決めたサッカーの試合が行われた。俗に「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれている。

日本の良さをもっと誇りに思うべき

―日本はちょっとしたきっかけでスイッチが入る可能性をたくさん持っていると思います。環境問題に対しても、元来、日本人は自然と共に生きてきましたので、日本らしい環境問題の取り組みがあると思っています。岡田さんはドイツでの生活も経験されていますが、ドイツの事例と比べてどう思われますか。

ドイツのすごいところは国民の意識の高さとともに、それが政治力に直結しているところです。一方、日本人はもっとデリケートな環境に対するフィーリングを持っているように思います。暑いときには打ち水したり、風鈴や金魚鉢から涼感を得たり、衣替えしたりなどのデリカシーを持っています。開発による環境破壊も叫ばれていますが、それでもこれほど緑や水に恵まれた国はあまりありません。他の国にはない、日本の良さ、日本の素晴らしさをもっと誇りに思っていいと思いますね。

「太陽の恵みは私たちにとって全て。その有難さに感謝できる人はきっと幸せになれる」と語る岡田さん。OMの住まい手はまさにそういう人たちといえるのでは。
「太陽の恵みは私たちにとって全て。その有難さに感謝できる人はきっと幸せになれる」と語る岡田さん。OMの住まい手はまさにそういう人たちといえるのでは。

―OMソーラーの家づくりは、太陽の熱を利用することでのスローダウンの効果がありますが、同時に住まい手自身がそういう家の暮らし方に適応しようという効果もあるようです。自然と応答する家では住まい手の意識が変化し活動的になる傾向があるんです。

怪しい話に受け取られるかも知れませんが、「太陽の恵み」というのは私たちにとって全てなんですよ。地球において太陽がなかったら生物は生きていけませんよね。その有難さに感謝できる人はきっと幸せに生きていける人だと思います。私は朝散歩している時に太陽が出ていたら心の中で「ありがとう」と言うことに決めています。太陽の恵みを実感できる家に住んでいる人というのはおそらく幸せに生きていける人だと思いますね。
最近は、山登りをする若者が増えているなど、「生きる力」の必要性に若い人たちが気付きはじめていると思います。だからこそチャンスだと思っているんです。具体的な活動が立ち上がったらOMソーラーさんにも是非、支援していただけたらと思います。

―こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。今日は大変興味深く、面白いお話を伺うことができました。本当にありがとうございました。

岡田武史(おかだ・たけし)
岡田武史(おかだ・たけし)

1956年、大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。中学1年からサッカーを始め、天王寺高3年時にユース日本代表となる。大学3年時には総理大臣杯、大学選手権優勝を経験し、大学選手権ベストイレブン、ユニバーシアード日本代表に選出される。大学卒業後、古河電気工業株式会社に入社。日本サッカーリーグ(JSL)に189試合出場。日本代表選手として国際Aマッチに24試合出場。出場した主な大会に第9回アジア大会、ロサンゼルス五輪予選、メキシコW杯予選など。第7回、第11回JSLカップ優勝。第21回日本サッカーリーグ優勝。第6回アジアクラブ選手権優勝。現役引退後はドイツでのコーチ留学を経てジェフ市原コーチ、日本代表チームコーチを歴任し、1997年、日本代表チーム監督に就任。その後はコンサドーレ札幌監督を経て、横浜F・マリノス監督に就任しチームをJリーグ史上初の3ステージ連続優勝に導く。2007年12月、オシム監督の後を受け日本代表監督に再任される。2010年、W杯南アフリカ大会で国外開催大会では初めてとなる決勝トーナメント進出を果たした。