第20回:安田喜憲さん

「この人に会いたい」第20回目は、環境と文明の関わりを紐解く「環境考古学」という学問を切り開かれた安田喜憲さんにお話を伺いました。気候変動など、環境問題が大きくクローズアップされるようになり、安田さんが長年研究されてきたこのテーマが、今注目を集めはじめています。そして、伺ったお話からは森と人との関係、日本の文化はまさに森を背景に成立してきたなど、木の担い手である我々にとっても大変意義深く、身近なテーマであることを感じました。さらに、家と家族の関係、家の役割りや大切さについても語っていただき、家づくりに携わる者、また、これから家を建てようと思われている方への良いメッセージをいただくことができました。(文/2009年10月現在)

国の文化や倫理観は「普通の家」のあり方で決まる。

「日本の家」の良さが失われつつある

写真:安田喜憲さん

―先生は西洋の「畑作牧畜文明」と日本の「稲作漁労文明」の比較をされていますが、こういった差は「家づくり」にも当てはまりますか。

クレタ島(ギリシャ)のクノッソス宮殿に行ったとき、厚い壁で仕切られた小さな個室を見て、西洋と日本の建築文化の違いを感じました。クノッソス宮殿にはミノタウロスという怪物が棲んでいたわけだけど、日本のように障子と襖で仕切られていた建物にはあんな怪物は生まれません。障子の向こうで鶴が機を織ることはあってもね(笑)。日本の昔の家はプライバシーなんてありませんでした。それはお互いの気配を感じながら暮らすということで、そこに遠慮する心も養われました。最近日本でも「引き篭もり」が増えていますが、僕から言わせれば彼らはミノタウロスです。人間を個室に閉じ込めることで、他人に対する配慮の心を持たない怪物が生まれやすくなったのだと思います。家の構造が心に与えている影響というのはあると思いますよ。

写真:クノッソス宮殿ギリシャ・クレタ島にあるクノッソス宮殿。ミノタウロスを閉じ込めるための迷宮(ラビリントス)としても有名。

写真:ミノタウロス クノッソス宮殿に閉じ込められていた牛頭人身の怪物。闘っているのは英雄テセウス。

―家のつくり方が家族のあり方に影響を与えるということですね。

教育という面でも、西洋では子どもがある程度成長したら個室を与えて自立を促すという教育文化です。一方日本では、プライバシーはないけれど、人と人との関係が維持されていました。微妙なすり合わせの中で人間は生きていかなくてはなりません。自分勝手なことはできないわけです。家族とは一番小さな社会の単位であって、おじいさんやおばあさんを含めた三世代の中で人と人との関係性をまず学ぶわけです。秋田県や福井県は小学生の成績がいいんですが、それは三世代同居の割合が高いからといわれています。中高になると塾通いの都会の子たちに追い抜かれますが、小中の基礎学力は田舎のほうが高いんです。お父さんお母さんは忙しくて子どもの面倒を見れませんが、おじいさんおばあさんは時間がありますから家の中でいろいろなことを教えるわけです。おじいさんおばあさんが毎日仏壇の前で手を合わせる姿を見てサムシンググレート(神や仏など、目に見えない大きな力)の存在を意識し、道徳や倫理観を学ぶというのが子どもの発育に良かったわけです。その場所が本来の「家」だったはずです。ところが、核家族化してお父さんが単身赴任で家にいないとか、夫婦共稼ぎで子どもが一人でご飯を食べているような家が増えたということです。言い換えると、昔の日本の家は子どものうちから「個の欲望」を抑えることを暗黙のうちに教えていたんです。

―おじいさんおばあさんの教えもあるが、家の中での暮らし方が教育や躾そのものだったということですね。

そう。マナーとか心の作法という点で、住空間が与えている影響というのはあまり語られていないと思います。食という面でも三世代が同居することで「好きなものしか食べない」という勝手が許されませんでした。子どもはハンバーグやスパゲッティなんかが好物ですが、おじいさんおばあさんは魚と味噌汁が食べたいわけです。食材そのものも、若者好みのものばかりに偏らなくなるわけです。必ずしもどちらかが我慢するということでないにしても、「年寄りと子どもでは好みが違う」ということを生活の中で実感するこ とだって、話として聞けばあたり前のことですが、毎日の生活の中で「人との違い」を実感して受け入れるという経験は子どもにとって大きな価値を持つものです。そういった意味でも日本の未来を考えると、三世代が仲良く同居できるような家をどうつくるかが問われるんじゃないですか。
元々、日本人は土器を発明して家族5、6人で鍋をつついていたわけです。もちろんプライバシーはないし、嫁姑の問題もあったでしょう。しかし、それもこれも人生の機微です。家の中で肌と肌を接していれば、親やおじいさんおばあさんからの愛情も感じるはずです。秋田県に「なまはげ」という行事があって、大晦日や正月15日に恐ろしい鬼の面を被ったなまはげが山から下りてきますよね。家の中に入ってきて「悪い子はいねーかー」「怠け者はいねーかー」と、わめき散らします。子どもたちは本気で怖がって泣きながらおじいさんの背中に隠れます。おじいさんは子どもを安心させるためにギュッと抱きしめて、鬼に許しを請うわけです。現在の日本では失われた心温まるシーンの象徴です。

これからの文明や経済を担う倫理観は、家や家族のあり方の中でつくられる

―家族のあり方の変化が、社会全体の変化にも繋がっていくわけですね。

そうです。秋田県は全国で一番自殺率が高い県なんです。貧しいから自殺する人が多いというわけですが、その裏には「他人に迷惑を掛けてはならない」という思いがあるわけです。小さい頃から叩き込まれているこの思いが、今悪い方向に出てしまっているんです。でも一方で、環境を守るという点では秋田県は森林が一番守られている自治体の一つです。つまり、他人に迷惑を掛けないということは、生きとし生けるものをむやみに貪ってはいけないということに繋がっているわけです。こういった倫理観や利他、慈悲の精神というのは、小さい頃におじいさんやおばあさんを通して伝わっているものだと思います。

―環境問題を解決するために科学技術の進歩と普及は不可欠ですが、その前に「他人に迷惑を掛けない」という思いが必要であり、そのベースとなるのが「家」ということですね。

やっぱり「家」とは、倫理観の基本をつくる場所といえます。これからの文明や経済を担う倫理観は家や家族のあり方の中でつくられる。子どもの頃につくられるものです。やっぱり三世代が仲良く暮らすことのできる家が必要とされるんじゃないですか。

―先生が取り組まれている環境考古学の中でも「家」のことはテーマにされるのですか。

どちらかというと家というよりも都市という括りですね。城壁を廻らせた都市が文明のシンボルです。欧州や中国など大陸の都市は堅固な城壁を廻らせています。ところが、日本では城壁があったとしても、すぐ乗り越えられるような小さな城壁しかない。いつ敵に攻められるかもしれない大陸との違いかもしれませんが、今でも日本では田舎へ行けば壁や門どころか玄関に鍵すら掛かっていません。中国に行って驚いたことですが、マンションの扉に鉄格子がついているんです。一見、刑務所かと思いました。しかも階段を上っていくと途中ゴミだらけなんです。何て汚いところに住んでいるんだろうと思って鉄格子の扉を開けて中に入ると中はピカピカなんです。この扉一枚で別世界なんですね。自分の家の中はきれいにするけど、玄関を一歩出たらゴミを捨てても平気なんです。こういったことはアメリカにも似たような話があって、日本ではお金持ちほどマナーも良く、ゴミをきちんと捨て、清掃ボランティアなんかにも参加するそうですが、アメリカではゴミの始末は貧しい人がやることで、金持ちは自らゴミの始末をしないのが当たり前のようです。

―倫理観の違い、利他の精神の有無ということでしょうか。

ただ、日本人も市場原理主義に毒されつつあると思います。それはやってはならないことです。やたら金持ちアメリカ人の批判などできません。そうならないためにも、日常生活における教育は大事なんです。「家」というのは、人間が生きていくための心の原点であり、教育の原点だと思います。そしていくつになっても育った家と家族の記憶は心に深く刻まれています。

家は人生で一番長く過ごす場所。
だから住む人の命が輝くような家を建てて欲しい

―OMソーラーが提案する家づくりや暮らしは家族が一体となって暮らせる開放的な家や、昔ながらの日本の家の知恵や工夫にもっと目を向けた自然と共存する暮らしです。

最近は土壁も見直されているよね。知り合いも土壁の家を建てたらエアコンいらずだと言っていました。土壁の多孔質性は温湿度の調整機能があると。在来構法や昔から使われている材料の良さが見直されているんじゃないですか。
あと、温熱環境も重要ですが、私は音環境も重要ではないかと思っています。周囲の環境によって聞こえる音の環境も随分変わります。音が人に与える影響を研究している友人がいますが、彼は人間が聞こえる範囲外の音も人に影響を及ぼしていると言っています。人間の可聴周波数は高いほうで一般的に20kHzといわれています。だから最近のデジタル音楽では20kHz以上の音は捨てていますよね。でもマニアの人はそんなの音楽じゃないといいます。実際は20kHz以上の音も人間は感じているんです。例えば森の音や風のせせらぎ、水が流れる音、虫の鳴声などからは100kHz以上の周波数の音が出ていて、それが人の脳に良い影響を与えていることを発見したんです。なかなか音のことまで考えて家を建てるのは難しいのかもしれませんが。

―どちらかといえば、家の外や隣の部屋の音は「騒音」という考え方で、遮音性能が高い方がよい家とされていますね。

写真:棚田最近では、バリ島の棚田が高級リゾート地として注目されており、一泊60万円もするコテージに世界中の観光客が訪れるという。

条件が許せば、家の周りに木を植えて風のせせらぎや、木に集まる鳥や虫の鳴き声が聞こえる環境をつくるほうがいいということです。畑作牧畜型の文明というのは森を破壊することで、人間にとって良い音の環境も同時に破壊してきたといえます。こういうことがわかってくると、いかに森に囲まれて住むということが素晴らしいことかわかります。ギリシャなんかはすでに森が失われ、回復するには木を植えるしかありませんが、幸い日本にはまだ豊かな森が残っています。森の中に家を建て、自然と共に生きることは人間の命の輝きを取り戻すことになるわけです。家は人生で一番長く過ごす場所ですから、自分の命が輝くような家を建てるべきです。
今、環境考古学でも、日本の建築のルーツがどこにあるかということを調査していますが、伊勢神宮の「心の御柱」にみるように日本の建築は「柱」を大事にしてきたことがわかります。稲作漁労の民である日本人は、天と地を繋ぐことで五穀豊穣を祈ったわけです。
稲作をやるには水が必要です。水がどこから来るかというと山から来るわけです。山は天と地を繋ぐ架け橋であり、柱はその象徴として大事にされてきたわけです。伝統的な家屋には必ず「大黒柱」がありました。大黒柱を中心とした家づくりは、稲作漁労民の文化が背景になっているわけです。でも、今の家づくりでは柱そのものが見えなくなり、接着剤で貼り合わされた柱が使われていたりします。柱は単なる工業材料になってしまったわけです。僕らからすると寂しい限りです。「普通の人の家」が日本の文化をつくり育てる。

―法的にも国産の製材(無垢材)を使った木組みの家は建てにくくなってきました。

性能はともかく、家そのものが日本の文化や伝統、歴史を伝えるものです。昔はどの家にも神棚と仏壇がありました。神様や仏様、ご先祖様がいるから家でした。心の拠り所だったんです。今は家から神がいなくなりました。それが心の荒廃に繋がっているように思います。三世代が同居しなくなり、サムシンググレートを意識しなくなった結果です。もし、これからの新しい日本の家のあり方を探るとしたら、「家族」が復活できるような家、「サムシンググレート」を感じることのできるような家、稲作漁労民の天地を繋ぐ世界観、自分がどんな文化の上に存在しているかがわかるような家というのが大事かもしれませんね。

―建築物としての品質や性能としてだけではなく、家族の生活や日本の文化の原点としての家の役割ですね。

僕は建築の専門ではないからわかりませんが、傍目にも日本の家が利便性ばかり求めてきたということはわかります。でも快適性を得るために窓を閉め切ってクーラーを付けたけどダメだったわけです。窓を開けて風を家の中に通して、風のせせらぎや鳥や虫の声、水の流れる音が聴こえるほうが快適で、人間の命が輝くということがわかってきたんです。閉め切った無音の空間にいたら頭がおかしくなっちゃうんです。
そして、もう一つ大事なことは、日本の家のあり方は「人との信頼感」が支えていたということです。人を信頼できる社会というのは自然を信頼できる社会です。人が信頼できないから鉄格子の扉が必要になるわけで、人が信頼できない社会はその周りにある自然も信頼できないんです。東京の金持ちの家もだんだんそうなりつつあります。

―日本の文化を育てていくことが家づくりにも求められているということですね。

いきなり日本の文化というよりも、もっと身近な自分の心や子どもの心、孫の心を育てていくことであり、命を輝かせる場所ということです。それが日本の文化を育てていくことに繋がるということかな。
戦後になって日本の家の考え方はガラリと変わってしまったけど、本来の日本の家というのは、あらゆるものの原点であり、日本文化の根幹を形成するものだったと言って過言ではありません。

書籍:安田喜憲さんの近著安田喜憲さんの近著
『生命文明の世紀へ』
発行:第三文明社
「自然と人間」の文明史的洞察を踏まえ、「2050年地球環境危機」克服の道を示す。

―文化というと一部の才能のある人たちがつくっているものと思いがちですが、そうではなくて一般庶民の日々の営みそのものなわけですよね。

そう。ご飯を食べて仕事に行って、帰ってきてご飯を食べて寝る。その営みの空間が家であり、そこにあらゆるものが凝縮されているわけです。それはそこに住む人だけではなく、つくる人にとっても同じです。商売のための家づくりというだけではなく、日本をつくって育てるという意識、自信を持って欲しいですね。
これまでも宮大工や伝統工芸的に建築をやってきた人はそういう意識を持ってきたかも知れないけれど、実際はそうではなくて、日本人そのものをつくって、日本人そのものを育てている場所が「普通の家」なんです。だから、家の建築を請負うということは、その人の一生を決める、日本人の心を育て、日本人の将来を決める第一歩を担っているということです。

―OM ソーラーに取り組む工務店さんは、そういう気概を持って、地域に根ざした家づくりに取り組んでいます。

家をつくっている人が家の大事さを一番良く知っているはずです。僕も自分が研究していることを誰より信頼しています。工務店さんも流行や情報に振り回されずに自分の直感を大事にして欲しいですね。

―安田さんに直接語っていただきたいほど、今日伺ったお話は工務店さんや我々にとって励みになるお話でした。本当にありがとうございました。

安田喜憲(やすだ・よしのり)

1946年三重県生まれ。環境考古学者。国際日本文化研究センター教授。スウェーデン王立科学アカデミー会員。東京財団主任研究員。稲盛財団環境文明研究センター所長。紫綬褒章受章。東北大学大学院理学研究科博士課程退学。広島大学総合科学部助手を経て理学博士。
フンボルト大学客員教授、京都大学大学院理学研究科教授などを歴任。主な著書に『文明の環境史観』(中公叢書)『気候変動の文明史』(NTT出版)『森を守る文明・支配する文明』(PHP新書)『一神教の闇』(ちくま新書)など。気候変動と文明史の関係を実証的に解明する「環境考古学」の創始者。日本文化が森の文化であったことを初めて実証したほか、古代文明の盛衰と環境変動との関わりを世界的スケ−ルから研し、自然科学と人文科学の学際的研究に取り組んでいる。

安田喜憲(やすだ・よしのり)