第19回:白井貴子さん

「この人に聞きたい」、第19回目は、女性ポップ・ロックシンガーの先駆者的存在である白井貴子さんにお話を伺いました。1981年にデビューされ、「Chance!」のヒットにより当時としては稀だった女性ロックシンガーということからロックンロールエンジェルと称され、日本武道館や西武球場など大規模なコンサートを次々と成功させていきました。最近では音楽活動に加え、環境問題にも積極的に取り組まれており、音楽と環境問題を通してさらに活動の幅を広げられています。今回は白井さんが環境問題に取り組むことになった経緯や活動に対する想いなどをお聞きしました。(文/2009年10月現在)

音楽もOMも「いい空気」をつくっている点で共通している。

私の仕事は「いい空気」をつくること

写真:白井貴子さん

―現在は女性ロッカーというハードなイメージよりも、環境活動にも取り組まれているアーティストという印象を持っている方も多いと思いますが、白井さんの中で「音楽」と「環境」が結び付いたきっかけは何だったんでしょう。

私の中では小さい頃から大好きだったことに、今あらためて取り組んでいるんだなーと最近になって考えるようになりました。10代の頃を振り返ると、ロックミュージックが大好きで、一方でインテリアのことも大好きでした。例えば普通なら捨ててしまうような家具に自分の好きな色を塗って、部屋中その色に染めてしまうとか、自分の暮らしの質を豊かにしていくということが大好きだったんです。

―音楽だけではなく、生活そのものを豊かにしたいという思いが強かったんですね。

そうです。豊かなライフスタイルの中心には音楽があって、“ロックを聴きながら”というのが私にとってのポイントでした。ラジオをつけてヒットチャートを聴きながら、洋楽を聴きながら、インテリアにいろいろと手を加えていました。部屋中水色にしたりとか、時には行き過ぎるくらい。

―「音楽系」か「美術系」かではなく、一緒というか同時だったわけですね。

正確には、それに「体育系」も加わるんですけどね(笑)。考えてみると不思議なんですが、外で活動するのも好きだし、部屋の中にいるのも好きでした。今この部屋にいても外気を感じていたいし、言ってみれば衣食住・音楽も、私の中では全て繋がっているということかもしれません。全てが呼吸しているというか、音楽も「いい音楽」は音楽の中だけから生まれるのではなくて、喜びや悲しみ、苦しみなど豊かな経験がバックボーンとなって生まれるわけです。私はある意味、音楽というのは「いい空気」だと思っています。先日もファンの方とのメールのやりとりで「貴子さんの使命はまだまだありそうですね」なんてメッセージをいただきましたが、つくづく私の仕事は「いい空気」をつくることなんだと思いました。

―なるほど。まさにOMソーラーも「いい空気」をつくるのが仕事です。私たちは度々、「熱と空気をデザインする」のがOMであると説明しています。

目に見えないものをデザインするということですね。わかるなー。音楽と同じだと思います。どういうことかというと、いい(空気の)家にいれば心地いいから気持ちも良くなり会話も弾んで音楽も変わってくるんです。いい音楽はさらに周りの空気を良くしていきます。「いい空気」は次々に「いい空気」を増幅していくんです。そういう意味で私の仕事は音楽と環境を通して「いい空気」をつくることだと思うようになりました。

たまご見学
白井さんには、OMソーラー(株)の社屋「地球のたまご」にもお越しいただいたことがある。植栽や建物の様子を興味深げに見ておられた。

―音楽がつくる空気感もOMがつくる空気感も通じているというのは新たな発見です。今回のタイトルは決まりですね(笑)。一見「ロック」と「環境」はイメージが重なりませんが、ロックミュージシャンが環境活動に関わっていることは意外と多いように思います。

そうですね。ロックである以前に音楽ですからね。もちろん、30年も40年も前のロックはアンダーグラウンドで反体制というイメージがありました。バンドは不良のやることでしたし、まさにロックバンドは不良の代名詞でした。ですが、世間から見たら不良ですが、反抗しているのは何かに不満や抵抗があってのことで、そこにこそ真実が隠されているわけです。そこに目を向けない社会にも問題があったわけで、だから意外とロックミュージシャンは正直な人が多いんです。

野生のマーガレットに生き方を教わった

―当時のロックは、体制に対する反抗というスタンスもあったんじゃないですか。体制=経済至上主義による環境破壊という時代でもありましたから、そう考えると、ロックは昔から環境破壊に対する反抗ともいえるんじゃないかと。でも、今は世の中全体が環境をなんとかしよう、となってきて、そうするとロックも昔の反抗・異端というポジションとは違ってくるのではないですか。

私はそういう変化を肌で経験してきました。80年代の初めは、自分で曲を書くというだけで当たり前のように「シンガーソングライター」に括られて、女の子がロックミュージックをやるというのはどこか許されない雰囲気がありました。何度も自問自答しましたが、それでも私がやりたいのは弾き語りで優しいだけの音楽じゃなくて、アーティストがステージに立つと会場全体が「ギャーッ」ってなるようなアクティブな音楽でした。ビートルズが大好きで、ロックミュージックを聴いて育ち、そういうステージを見て音楽を始めましたから、はなからわかっていたことです。「好きなことして何が悪いの!」なんて、怖いもの知らずの強さもあったりして拳を挙げはじめたわけです。最初の頃はお客さんもシーンとしていて静かでしたが、ステージを重ねるうちに最前列の人が5人、6人立ち、その後ろの人が立ち、80年代の終わりになったら当たり前のように皆が立ち上がって楽しんでくれるようになりました。思いっきり異端だったスタイルが、7、8年頑張ることであたり前になったわけです。そのときは恐れを知らなくて、大きな仕事を終えて「さあ次だ」という思いもありましたが、その一方で自分の力だけではどうしようもない大きな壁も感じたんです。それが男女の壁(差別)でした。

―音楽の世界でもそうなんですね。

今だったら未婚の母でも音楽を続けられる雰囲気がありますが、私が20代の頃は男の人と付き合うのもNGという感じでしたね。なのに、詩の打ち合わせとかしていると「ちょっと恋愛が足りないんじゃない」なんてことを言われたりして。普通の会社でも女性が20代後半になると肩叩きが始まるように、音楽界も男性中心の時代でした。この先売れるの?売れないの?結婚するの?しないの?とか、ロックンロールエンジェルが山のように生まれ、若い子たちが持て囃され、非音楽的な価値観が支配していることを感じて思うようにハードルがクリアできなくなり、30代を迎える頃ボロボロに疲れ切っていました。この先どこへ向かえばいいか分からなくなっていた時、ふと足元を見たら野性のマーガレットが咲いていたんです。疲れ果ててボロボロだった私には、その花がとても美しく、強く、だけど風に吹かれながらしなやかに、しっかりと大地に根を下ろし、地球と呼吸して咲いている姿を見て、こうやって生きていないから私はボロボロになっちゃったんだと思ったんです。それまでは心の中でいろんなところに拳を向けて生きてきたわけですが、そうやって生きていること自体間違っていた、女性として別の生き方があるんじゃないかということを花に教えられたんです。本来おてんばで、自然が大好きで、誰を恨むことなく楽しく生きていた自分がそこに咲いていた気がしたんです。本来の自分を取り戻して生き直せばいい、そうすることできっと多くの人に喜んでもらえる日が来るという望みを持ちました。

―その時から活動内容も変わっていったわけですね。

だいぶ変わりましたね。でも実際には花と出会って一年半くらいはそれまでのスケジュールが入っていましたから、それを全て終えてからロンドンへ向かいました。ロンドンではオーガニックのものを食べたり、日本では周りの人との交流なく大人になってしまったわけですが、ロンドンでは地域の人との交流を大切にして過ごしていました。2年間ロンドンで過ごして日本に戻ってきたわけですが、当時日本はバブル全盛で、使える物が当たり前のように捨てられていました。ロンドンではアンティークが基本の生活でしたから、日本の実情とのギャップに唖然としました。この国はおかしい、だからチャートの順位でしか音楽の価値がわからない国になってしまうんだとあらためて感じたんです。でも、その時の私は一旦日本の音楽シーンから消えた存在でしたから、私のできることから一歩一歩、歩みを進めていこうと思って再出発しました。

地球からもらった「エコパンチの一発目」

―道端に咲く花と、道端に捨てられたゴミから教えられたわけですね。

そうなんです。先日も地元の地産地消のお祭りで来年の植樹祭の歌を歌わせてもらったんですが、大地に立って歌わせてもらって、私が望んでいたことが本当にできるようになったんだと実感しています。初めてロンドンに行ったときに、川沿いでアコースティックのギターで歌っている子たちが太陽と話すように歌っている姿を見てすごくいいなと思ったんです。その時の私は彼らにとって大ホールを渡り歩く恵まれた存在だったと思いますが、私は彼らを羨ましく思いました。その光景が今でも目に焼き付いています。

―商品としての音楽と、日常に溶け込んだ音楽との違いなんでしょうか。

そうかもしれないですね。私はやっぱり本来、音楽というのは多くの人の心を救い、苦しいときは力になり、嬉しいときは倍増してあげられるものだと信じています。商品であるかどうかや売れるか売れないかという二極化の価値観だけで語れるものではないはずです。そう信じているから今もこうして歌っていられるわけです。

―今は音楽活動以外の面での役割りも増えているわけですよね。

そうですね。ただ、歌が予定されてなくても歌ってしまったりすることもありますよ。会場の雰囲気とかが歌って欲しそうだと思ったら勝手に歌っちゃいますね(笑)。私にとって歌を歌うのは空気を吸っているのと変わらないんです。分け隔てなく歌っちゃいます。

―このマグカップも活動の一つですよね。

そうです。これは「Re食器」といって、岐阜県の多治見市で活動しているもので、家庭から出た不要食器を粘土に戻して再生したカップです。

写真:Re食器
Re食器。家庭から出た不要食器を一旦粘土に戻し、再生されたマグカップ。白井さんはこの普及活動にも取り組んでいる。

―植林や植樹など、森との関わりもですよね。

来年は私の出身県である神奈川県で初めて「全国植樹祭」が開催されます。その一番の宣伝マンをやらせてもらっているので、来年の5月まではその関係の活動が多いですね。森林を守り育むというのは日本人にとってとても大切なことですから、そのお手伝いができるのはとっても光栄なことです。

―森を守ることは川や海を守ることであり、ひいては国土を守ることでもあります。

私もその通りだと思います。森の大切さはイギリスに行って実感しました。なだらかな草原が続いている風景はきれいで私たちも憧れますが、地元の人に話を聞くと、昔は全部森だったと言われました。食用肉を安定して確保するためにはたくさんの牧草が必要で、そのために木が伐られ森が失われたそうです。あと、イギリスに渡った最初の頃は家を探しながらキャンプ生活をしていたんですが、ある荒涼とした風景の中に赤い数字がスタンプされた羊や牛を見つけて、なんであの個体だけ赤なのか地元の人に聞いたんです。そうしたらチェルノブイリの被曝にあった羊や牛を識別するために赤にしているということだったんです。こんな離れたところまで事故の影響が及んでいるんだと思ってびっくりしました。そしてその時、地球が一つであることを実感したんです。今では当たり前になりましたが、当時は衝撃的でした。日本で音楽していたらダメになる。あらためて音楽を見つめ直すためにビートルズやローリングストーンズの故郷を訪れ、野生のマーガレットのように大地と仲良く、地球と仲良くなりたいと思ってイギリスを訪れたわけですが、そこで環境問題と出合ったのはとても意義深いことでした。私がエコと出合ったこの時の衝撃を、今は「エコパンチの一発目」と呼んでいます。

大事なことは“自分のモノサシ”を持つこと

―イギリスでは、音楽やアンティークといった良い面と共に、環境問題という悪い面の両面と出合ったわけですね。

植樹祭に関われることは私にとって運命的なことだと勝手に盛り上がっています。それから、私は昭和天皇の崩御をロンドンで迎えたんですが、テレビを通して映し出される荘厳な葬儀の様子から、日本が日出国であること、また自然を大切にしてきた国であること、そして、自分はその美しい国、日本で生まれた人間なのだと、あらためて誇りに思えるようになりました。

―OMに取り組む工務店の皆さんは、森と地域、森と家の語りべでもあります。お客さんと森を見に行ったり、伐採の現場を見たりしています。木を伐るという行為がとても神々しく思えます。

木の家を建てて、そこに訪れた人がやっぱり木の家はいいね、と思う気持ちが増幅されていくといいですね。そういう皆さんの一つ一つの体験が新しい価値観を創造していくんだと思います。

写真:伊豆の森
白井さんが購入された伊豆の土地。夢はここへ周囲の木を伐って、大工さんに家とスタジオを建ててもらうこと。

―白井さんも伊豆に土地を購入されて、家づくりや畑づくりをされていると伺いましたが、そちらの様子はいかがですか。

お恥ずかしい話ですが、今それこそ植樹祭の準備で手一杯で残念ながら進んでいないんです。いずれ地元の木で、地元の大工さんに家やスタジオを建ててもらうという夢を持っているんですが、今はトレーラーハウスが置いてあるだけで、別荘の森のようになっています。草刈などで地元の皆さんにお世話になりっ放しです。でも、夏に裏の竹林を伐採しに行ったんですが、竹こそ利用価値があると再発見しましたね。小さい頃は食べられるし、すぐ生長するし、伐ったら器にもなり、炭にもなる。竹酢液を採れば肥料にもなります。この夏の大きな発見でした。

「森へ行こう!」子どもたちには少しでも地球と遊んで欲しい!

ライブ会場
「みんなで歌おう!フラワーパワー」で子どもたちと一緒に歌う白井さん。大切なことを若い世代へ伝えるのは音楽が一番。

来年、2010年5月23日、神奈川県で「全国植樹祭」が開催されます。私は今回、テーマソング「森へ行こう!」を手がけ、横浜でその曲を皆で発表しました。近々CDもリリースします。今、そのCDの売り上げの一部を丹沢のブナの森へのベネフィットにしたいと考えています。というのは、今年、新緑の頃、初めて丹沢山に登りそれはそれは美しいブナの森に出会いました。でも、山頂の一部が無残にも枯れ果てていたんです。私はその廃墟のような光景を見て、とても恐ろしい気持ちになりました。私たちの命の頂、源が死んでいるように思えたからです。今、何が原因か調査中だそうで、「森へ行こう!」をその活動への募金にしたいと直感しました。ある先生から聞いた話ですが、10歳までに土に触れる機会がないと、地球に戻れない宇宙人になってしまうと伺いました。小さいうちに自然に触れないと、自分のモノサシがなくなってしまうからです。そのモノサシが、あの丹沢の立ち枯れた木ではなく、これからの地球を担う子どもたちには、活き活きと輝く木であって欲しい。大人である私たちが、今頑張らなくては、これまでの綿々と受け継いで来た先祖からの宝物を全て捨ててしまうことになります。今「童謡」を歌う活動も共にやっていますが、全て同じ思いからです。少しでも次世代のお役に立てるよう頑張ることに私が生まれてきた意味があるように感じています。

―やはりメッセージを伝える仕事というのは大事ですよね。企業、メディア、学校の先生などいろいろな立場の人たちがメッセージを発信していますが、アーティストが発信するメッセージの力はもの凄く大きいと思います。特に若い世代には絶大ですよね。私たちも、ぜひ、白井さんたちと一緒にそんな活動ができればと思っています。今日は大変貴重なお話を伺いました。ありがとうございました。

白井貴子(しらい・たかこ)

神奈川県出身。1981年デビュー。84年「Chance!」のヒットをきっかけに女性ポップ・ロックシンガーの先駆者的存在に。96年から3年間、NHK「ひるどき日本列島」のレギュラーを担当。07年には神奈川県初の環境大使、同時に環境省3R推進マイスターに就任。08年自身の所有する伊豆の森「マーガレットグラウンド」で生まれた局を多数収録したニューアルバム「地球~HOSHI~」リリース。09年夏から横浜市の「YES(横浜エコスクールの略称)アンバサダー(親善大使)」就任。10年開催の神奈川県「全国植樹祭」テーマソングの作詞・作曲の担当に決定。その他、日本のソウルミュージックともいえる「童謡」を取り上げ、ライブ会場でみんなで歌うコーナー「みんなで歌おう!フラワーパワー」を設け、全国各地で“日本の原風景”を守ることの大切さを伝える活動を展開中。「歌」と「環境問題」を通じて、活動の幅を広げている。

白井貴子(しらい・たかこ)